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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 梅雨の終わりは、ドラマチックな空模様だった。厚い雲が湧き、大気を暗くしたかと思えば、不意に差し込む光で虹が出たりする。理科の実験で見た、プリズムから発生させた七色よりもずっと大気に現れるそれは薄くて、しかしダイナミックだ。この時期がいちばん好きだ、と七嶋は思う。嵐の時期、雨期、爽やかな晴天よりも少し薄暗い方へ、心惹かれてしまう。
 第一校舎と第二校舎とは別棟の三階に、美術室がある。窓からは田舎町ののんびりとした空がよく見えた。情熱的な大気の流れを、七嶋は眺めていた。今日は雲の流れが早く、切れ切れに光が差し、また雨が降る、の繰り返し。
 七嶋の後方で鉛筆を握って石膏デッサンをしている清己に、声をかけた。
「――晴れているのに、雨が降っている」
「あ?」
 清己が気だるく振り向く。真っ黒な髪、真っ黒なフレームの眼鏡の奥の、真っ暗な瞳。それに胸が高鳴る。清己は七嶋の目線を見て、窓の外を見て、「ああ、変な天気だよな、今日は」と頷いた。
「いい加減、そっちのカーテン閉めていいか? 西日で影が狂って仕方ねえや」
「いや、もうちょっと。……どっちだと思う?」
「なにが」
「晴れているのに、雨が降っている。雨が降っているのに、晴れている」
「どっちも同じだろ」
「そうかな」
「地面に雨が届くころには空にある雨雲が消滅している、って話だろ」
「あれ、雨粒が風に舞って出来る現象だと思っていたよ、ぼくは」
「どっちも結局、天気雨、なんだろ」
 だから一緒、と雑に結んで清己は立ちあがる。すたすたと歩いて窓際までゆき、カーテンを閉めるかと思いきや、そこで立ち止まった。
 空を眺めている、後ろ姿。ぴくりと七嶋の人差し指がかすかに反応した。雨も、太陽も、風も、贅沢にこの世の最上をすべて詰め込んだ空を眺めている清己は、まるで世界の創造主かのように、七嶋の心を占める。崇拝、そんな言葉がしっくりくるような。
「どっちだと思う?」とその後ろ姿に繰り返し問いかけると、清己は腕組みをして首を傾げた。
 そして振り向いたときには、七嶋を虜にする笑みを、顔に浮かべているのだ。
「雨が降っているのに、晴れている」
「意外だな、清己は逆だと思った」
「おまえはどっちだ、七嶋」
「ぼくは――」
 清己と過ごすいまが永遠に続くなら、雨が降っていても晴れている。一年後のぼくらはまた同じ雨期をこの美術室で迎えているだろうか? 三年後は、十年後は、その先は。
「晴れているのに、雨が降っている」
「そっちこそ意外だけどな」
「低気圧の方が好きだ、」
「ああ、言われれば確かにおまえらしい」
 たとえば、誰にとっても美しい存在であるはずの清己の、他人に対して残酷で、だからこそ黒縁の眼鏡をかけて世界を誤魔化しているその立ち向かい方に惹かれていることも。
 太陽よりは雨、白よりはグレイ、春秋ののどかさよりもよりけわしい夏冬、そういう、一歩下がった闇に、心が動く。


 ◇


 清己にばかり気を取られていた時には、自分自身のことなど考えもしなかった。最近になってどうやら自分は引き寄せてしまうのだろう、ということに気付いた。よいかわるいかは、分からない。少なくとも七嶋にとって利益がない。
 愉しい、とは思うけれど。
 生徒の目。同僚の目。保護者の目。不思議なほど、自分に向けられた目がどのような意図を持っているのかが分かる。そしてそれらは、嫌悪や侮蔑ではなく、好奇で向けられていることが、多い。分かってしまえば糸にかかった蝶のように、捉えるのはたやすかった。
 今日だって、男を抱いた。いま隣で、無防備に裸を晒して眠っている。抱いてほしそうな目をしたから、そうしてやった。男とはじめて会ったのは一週間前の、文化祭の場だった。七嶋が面倒を見る生物部の、他校との交流が目的の合同発表会で、男はもう一方の生物部の顧問だった。それまでは電話でやり取りをしていたが、文化祭の発表の場ではじめて顔を合わせた。初対面で男が見せた目の色を七嶋はくまなく正確に読み取り、いまこうなっている。
 起きあがり、台所へ向かう。コップに水を汲んで一杯飲んだ。水切りかごに伏せたままの茶碗や皿、ナイフなどの食器や調理器具を見て、ふと思う。たとえばこの刃物をつかって男を切りつけてみたら、男は七嶋と寝たことを後悔するだろうか、と。
 別に殺したいと思っているわけではない。生徒にあらぬ噂を立てられたこともあるが、実際は、そんな猟奇的な趣味などない。こうやってすぐ人を(男を)寄せてしまう自分が変わるだろうか? と思っただけだ。いつだって七嶋の心を占めているのは、高校生時代の清己、ただひとりしかいないと言うのに、こんな無駄な時間を費やして。
 もう清己には、会えないのだろうか。そう思うと、心臓が冷えて、頭の中に乳白色の靄がかかるようだ。すべて無駄な時間、無駄な労力。生きている価値さえ危ぶむほどに。
 す、と息を吐いて、男が目を覚ます気配があった。
「――佐藤先生、」
 呼ぶと、男は「ああ」と低く唸った。
「すいません七嶋先生、寝てしまって」
「今夜は泊まって行ってください。雨が、ひどいですから」
「いえ……このぐらいの雨なら、大丈夫です。というかこのぐらいの雨のうちに帰らないと、嫁も息子も待っていますし」
「仲良くなった他校の先生と飲んでくる、って言って出てきたんじゃないんですか」
 意地悪をするつもりではないのだが、口では帰りたがる男を、本当はまだ抱かれ足りないと惜しんでいる男を分かっていて、七嶋はそう言った。
 男は苦笑してみせる。
「……七嶋先生は、おいくつだと言いましたっけ」
「今年で三十歳になりますね」
「いつまで続けますか、こういうこと」
 唐突に、真面目な顔で男が言った。七嶋は苦笑しつつ、男の急激な親密さに寒気を覚えていた。たかだか一度寝たぐらいで、相手の将来まで心配出来るのか。家庭を持ちながら道を外している男に、言われたくはなかった。
「さあ、分かりません」
「じゃあ、これきりにしてください」
「どうしてですか」なぜおまえが決める、という意味は表へ出さずに訊ねた。
「別に僕を最後の男にしてくださいとか、そういう意味じゃありません。ただ興味があったから、だけですから、僕は。その……」
 男はなにか言いためらったが、息を吐きだした。
「あなたの中がからっぽすぎて、少しこわいと思いました」
「……からっぽ?」
「人は、影のあるものに惹かれる性質なのかもしれません。あなたにもそう感じた。でも、あまりに光がなさすぎて、怖い。このままゆけば、犯罪者と変わりなくなる。少し、ご自分を大切になさった方がいい」
「……」
「妻子裏切ってこんなことをしている僕が言うのも、間違っていますけれどもね」
 水をください、と言われて、七嶋はいまつかっていたコップをゆすいであたらしい水を汲んだ。それを男に渡してやると、ごくごくと飲んだ。気持ち良い飲みっぷりだった。
 外は雨がうるさい。梅雨で、台風も北上していると聞いた。男は簡単にシャワーを浴び終えて、瞬く間に出て行った。過去にくらべる誰よりもさっぱりと清々しく、いなくなった。
 それを見て、男の言うとおりに最後にするつもりになった。もういい。やめよう。人を引き寄せておいて、それをいたずらに引っかきまわすことは、終わりにしよう。
「――だってずっと雨だ」
 窓の外を見つめて、七嶋は呟く。雨の日のひとり言は、雨音に消されるからなんでも喋れる気がした。
「晴れ間さえない」
 清己が恋しい。会わないでもう十三年も経つのに、未だに。ずっと、おそらく一生。


 ◇


「七嶋」と呼ばれて、起きた。
 目をあけると、清己が微笑んでいた。光って見える、と呆けていたが、実際には弱くも黄色い陽の光が窓の外に満ちていたからだと、清己の背の向こうに見える景色でぼんやりと理解した。
 ざあっと風が唸り、きらきらと輝くものが窓ガラスに叩きつけられる。そういえば七嶋が眠りに落ちる前の空は灰色で、しとしとと雨が降っていた。強い風にあおられ雲が動き、残った雨粒が陽に光っているのだ。
 晴れているのに、雨が降っている。雨が降っているのに、晴れている。
「どっち?」と訊くと、清己は七嶋を覗き込みながら首を傾げた。
「外。雨? 晴れ?」
「ああ。これで晴れるんじゃないか?」
「晴れるのか」
「どうしたんだよ」
 清己は笑った。七嶋は胸が痞えて苦しくなる。腕を伸ばし清己を引き倒すと、清己は「おお」と驚きながらもされるままになった。
 ふたりしてもつれ寝転んだままで、窓の外に時折叩きつけられる雨粒の音を聞く。床に落ちているのは、金色の光。
 清己にくちづけようとすると、少々抵抗された。
「――俺、そういうつもりで起こしたんじゃ、ないけど」
「どういうつもりだった?」
「外、陽が射してきたから、めし食いに行こうぜっていうつもり」
「まだ雨が降っているよ」
「あ、なんかこういう会話、前にもしたか?」
 清己が高校のころの思い出を、断片を手繰る。そうして、「思い出した」と言った。「晴れているか雨かどっちか、って話だ」
「少しちがうと思うよ」
「ちがわないさ。おまえ、いまどっちだと思う?」
「晴れているのに雨が降っているか、雨が降っているのに晴れているか?」
「そう」
 答えは、考えずとも決まっていた。それでも悩むふりをする。
「俺は、どっちでもいい」と清己が言う。
「高校の頃は雨なのに晴れている、って言ったよ」
「あの時もいまも変わらない。どっちでもいい。だってさ、大気がこういう色をしている時は、大概、虹が出るだろう」
「虹……」
「雨なのに晴れていても、晴れなのに雨でも、虹が出る、――ほら」
 それは予言だったかのように、窓の外にくっきりと虹が現れていた。七嶋は目を細める。この、七嶋にとって神がって美しい男に、またあえて本当に良かった。
 出かけたくない、と七嶋は言った。
「セックスがしたい」
「唐突だな」
「欲望なんてそんなもんだろう」
 体勢を入れ替え、改めて清己を組み敷くと、清己はとろりと融けるように笑った。
「いいよ。――すきにしろ」
 虹の下でするセックスはどんな気分だろうか。そう思いながら、雨期の終わりを味わうように、清己に深くくちづけた。


End.




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ellyさま(拍手コメント)
お久しぶりですね。読んでくださってありがとうございます。
梅雨の、じっとりとした空気感よりはダイナミックな空模様を見て思いついたお話でした。ちなみにellyさんは「晴れなのに雨」と「雨なのに晴れ」どちらだと感じますか? 私は「晴れなのに雨」に一票です。雨女のせいでしょうか。
「崇拝」という単語は物語を書きながら出てきた言葉ですが、七嶋さんが清己さんに感じる感情に一番近い言葉だな、とひとり腑に落ちたりしています。どれだけ清己さんが七嶋さんにとって絶対であったかと想像すると、うっとりします。そういうふたりが書けて楽しかったです。
また更新の際にはよろしくお願いいたします。
拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2014/07/21(Mon)09:00:28 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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