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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 訃報は、遅れて届いた。出先から帰宅すると封書が届いていた。差出人は嶋田さつき。まるっこい、でも丁寧な字で綴られた手紙は、三枚にも及ぶ大作だった。
 そこに、嶋田さつきの夫・嶋田緑朗(しまだろくろう)が亡くなった旨が書かれていた。


 歳が二十歳も離れているのに、あなたのことを「友人」だと言い張る主人を不思議に思っていました。ことあるごとに、主人はなにかとあなたのことを気にかけていました。その訳が、主人が亡くなってから分かりました。主人の日記をひらいたのです。あなたへの愛情がくまなく記されていて、わたしは驚くと同時に、納得もしたのです。
 葬儀は身内だけで済ませましたが、よければ線香をあげに来ていただけないでしょうか。主人も喜ぶと思います。なにより、わたしがあなたにお会いして、お話をお伺いしたい。


 手紙にはこう書かれていた。これは嶋田さつきからの呼び出した、と理解したとき、時生(ときお)は大きくため息をついた。死んだ嶋田緑朗に、未練はこれっぽっちもなかった。死んでなお修羅場を用意してくれたことに、苛立ちすら感じる。
 そうか死んだのか、と時生は思う。ようやく死んだと思うのか、まだ生きていてほしかったと思うのか、よく分からない。ただ、それはもう少し先の話である気がしていた。時生と二十歳年の違う緑朗は六十歳で、まだ充分若いと言えた。
 手紙の最後には、嶋田さつきへの連絡先が記されていた。やむなし、覚悟を決めて時生は受話器を取った。


 ◇


 出会ったときすでに緑朗は結婚していたが、ひと目見てお互いに恋に落ちてしまった。時生は二十歳で、緑朗は四十歳、大学の助教授と学生、という間柄だった。当時、緑朗は故郷に妻子を残して単身赴任中だった。自炊するよりは学生食堂で食事を取る方が栄養があって美味しい、と言う理由で、閉店間際の学食でひとり食事を取っていた。閉店間際の学食は、その日の残り物を叩き売るので、より安価で食事が取れた。貧乏学生だった時生にそれはありがたく、やはり食堂に通っているうちに、緑朗と仲良くなった。
 お互いに熱のある目で見ていたので、性癖をカムアウトするまでもなく、ふたりは自然に恋愛関係に陥ってしまった。故郷に妻子がいることを緑朗がどう思っているのかは分からなかったが、時生にとっては、そりゃあもう面白くないことだった。顔も見たこともない妻のことを考えては嫉妬に駆られ、夜九時になると必ず緑朗が妻にかける電話を、苛ただしく思っていた。それまで散々自分を愛してくれた手や、指や、声や、身体が、九時になるともう離れ、遠い故郷の妻へ向かうのだ。時生にとってのはじめてのこの恋愛は、様々な感情をもたらして、時生を不安定にさせた。泣いてしまいそうなほどの恋の喜びから、嫉妬、鼻がつんとするほど苦い涙、付きまとう不安。緑朗は優しかったが、優しいだけ身に堪えた。恋愛して楽しいだなんて、とても言えなかった。
 時生が卒業すると同時に緑朗は故郷の大学へ赴任することになり、関係は自然解消するかと思われたが、続いた。遠いT県から緑朗は「出張」と偽ってやって来ては、我も忘れて抱きあった。時生が就職して数年経ってもまだ続いた。そのころ、時間的にも金銭的にも余裕のできつつあった時生は、夏休みを少し長めに取って、緑朗の故郷へ遊びに行った。大胆にも緑朗と妻子が暮らす緑朗宅に宿を頼み、妻が用意する食事を食べ、子らと遊び、風呂に浸かり、布団で休んだ。
 古く広い、田舎の家だった。熱帯夜で、眠りづらかった。客間に敷かれた布団に横たわっていた時生は、ふと起きあがり、縁側に出た。そこには蚊取り線香を焚きながら一杯やっている緑朗の姿があった。
「さつきさんは?」と訊くと、緑朗は「休んだよ」と言った。子どもも休んだ、と言う。そして自分が舐めていた杯を差し出して、「きみもやるかい」と時生を誘った。
「ここは蒸し暑くて、眠れないだろう」
「確かに、気候が全然ちがう」
「――しかし、きみの行動には驚いたな……」
 と、緑朗は杯に冷酒を注ぎ、それを時生に寄越す。盃を受け取って、時生はそれを舐めた。地元の酒だといい、ずいぶんと濃い芳香のする、辛い酒だった。
「おれがここへ来たこと?」
「そう、きみがここへ来たこと」
「一度見てみたかった。緑朗さんが、どんな家に住んで、どんな人と結婚して、どんな子どもがいるのか」
「悪趣味だ」
「おれに手を出してる時点でもう、悪趣味はお互い様だよ」
 喋っているうちに苛々し、疲れた、と思った。こんなところまで来て、なにをやっているんだろう。堂々とおおっぴらに恋がしたいと思った。緑朗との恋はもうどろどろに淀んで、澱が深い。
「――別れようか」
 そう言うと、緑朗は眼鏡の奥の瞳をまるくした。
「まさか、それを言いに来たの?」
「そういう訳じゃないけど、いま思いついた。もう無理、おれは疲れた。緑朗さんはそう思わない? 無理があるって分かるだろう?」
「……たとえば、ぼくが離婚したら」
「ああ、そういうのやめて。あなたは奥さんも子どもも大事なうえで、おれとこうなっているんでしょう。どっちかなんて選べっこないんだ。強欲な人だよ。……おれは、そういうところにもう、疲れた」
「……」
「別れましょう」
 そう言うと、緑朗は視線を落としたが、やがてきちんと時生に目をあわせて「はい」と言った。翌日、帰る日は緑朗の妻にたくさんの土産を持たされた。途中のPAでそれを時生はすべて捨てた。


 ◇


 あれから時生は一度も緑朗の家を訪れていないし、連絡すら取っていない。
 ずいぶんと年数が経ったので顔も思い出せやしないんじゃないかと思ったが、仏壇に置かれた遺影の緑朗を見た途端に、ちゃんと思い出した。記憶の中の緑朗よりは歳を取っていたが、緑朗だった。手を合わせ。目を閉じる。終わってから振り返ると、さつきがその様子をじっと見ていた。
 さつきもまた、変わっていなかった。それなりに緩んだししわが寄ったし膨らんだが、さつきだと分かった。「こちらへどうぞ」と言われ、仏間の隣の座敷へ移る。足の低いテーブルに冷茶とぼたもちが用意されていた。ああそうか、彼岸だっけ、とカレンダーを思い出す。
 座布団に座り、茶を煽る。春先の気温の高い日で、冷たい飲み物がありがたかった。さつきは手元に用意していた、革のカバーのかかった手帳を時生へ差し出した。同じサイズの同じく古した手帳が、何冊かある。
「これ、捨ててしまうところだったんですよ」とさつきが言う。
「え?」
「亡くなる直前に、緑朗が仲の良い友人に預けたものだったの。自分が死んだら処分してくれ、と頼んでいたそうよ。その方は、捨てようかと思ったけれど、形見になるからと言って持ってきてくださったの。ひらいて、……驚いたわ」
「拝見してよろしいでしょうか」
「どうぞ」
 日記だった。五年分まとめて書けるようになっているもので、いちばん古い日付は二十年前だった。そのどの欄にも「トキオ」という文字が記されているので、心臓が痛んだ。古い日付では、恋の喜びを。時生への愛を。別れてからは未練を、それでも時生の幸せを願う旨を。日が経つにつれて、それは闘病日記に変わった。肺を悪くしていたのだ。もう長くないと悟りながらも、「トキオは元気でいるだろうか?」と記している。


 僕がいない世界の空気も君は吸うんだろうな。
 どんな味がするものか、会って聞いてみたかった。


 最後の欄には、こう書かれていた。この「君」がさつきでなく、時生を指していることは、前の文章から充分理解できた。そもそもこの手帳にはさつきや子のことなど記されていないのだ。時生を思い慕うためだけにしたためられたものだった。
 さつきの手前、ざーっと斜め読みしただけだが、涙が溢れそうになる。こんなに想われていたことに、胸が熱くなる。自分はといえば、緑朗のことは、すでに過去のことだった。会いたい気持ちよりは、会って面倒な感情を引き起こされることを厭う気持ちの方が強かった。
「これもどうぞ」そう言ってさつきは、箱を差し出した。ちいさく細長い紙製の箱で、なにか菓子でも入っていたのだろう。開けると、綿が敷いてあった。その綿を取り除くと、枯れた小枝が出てきた。先端にまるい実がふたつばかりくっついている。
 触れるとちくりと、棘が刺さった。瞬間的に思い出した。いつか、緑朗と川っぺりを散歩したときに、ノイバラの枝を見つけた。あれは冬で、枯れ色の木々の中で赤い実をつけるノイバラを見て、なんだか無性に愛おしくなり、無理に摘んだものだった。鋏もなにもつかわなかったのでちいさな棘が時生の指に刺さり、帰宅してから、緑朗がルーペをつかいながら棘を抜いてくれた。
 その枝を大事に取っていたのだ。贈り物をしあわなかったふたりの、唯一残った「もの」だったのかもしれない。うつむいたまま、顔を上げられなかった。それでもなんとかこらえ、正面のさつきを向く。
「すみません、私は、」と口をひらきかけると、さつきが「いいえ」と制した。
「謝って欲しくてわざわざ来て頂いたのではありません」
「……」
「わたしね、緑朗には感謝しているんです。わたしや子どもに後ろめたいことがあっても、最後まで隠してくれた。一緒にいた時間はしあわせでしたし、不満はなかったわ。ただ、……あなたはそうではなかったかしら、と」
「……」
「同じ人を愛していて、こんなに差が出てしまった。わたしが女であなたが男だったからかしらね。緑朗が男の人を愛せるなんて、わたしちっとも知らなかった。……だからこれからも、知りません」
「え?」
「なんにも知らないのよ。その手帳の中身も、小枝の意味も。そういうことにしておきましょう」
 そう言ってさつきは自分の分の冷茶を飲み、「お代わりはいかが?」と訊いてきた。余裕から来るのかと思ったが、さつきの笑みは無理があるようで、この件で彼女も充分傷ついていることが窺えた。緑朗は「結構です」と固辞し、立ち上がる。暇を告げると、さつきは「そうね」と遠い瞳で微笑んだ。
 小枝と手帳は引き取った。その方がさつきにとっていい気がしたからだ。これは己が責任を持って処分しよう、と決める。帰り道、休憩のために立ち寄った高速道路のPAで、小枝を取り出して眺めた。
 まるで骨をもらったようだと思った。緑朗の骨。かつて愛していた人が残した欠片。

(僕がいない世界の空気も君は吸うんだろうな。)

 清しいよ、と時生は呟いた。緑朗のいない世界の空気は清浄で、肺を潤す。手の中の小枝を思わず握りしめる。やはり棘が刺さり、時生は痛みに呻いた。


End.



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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