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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 風呂を沸かしている間にシャワーを浴び、湯が溜まった浴槽に浸かった。引っ越しを考える。暁登はもう戻らないのだったら、ひとりにはこの部屋は広い。もっとコンパクトで綺麗で風呂は立派なところに引っ越すかな、と考えて、掌ですくった湯をざばりと顔に当てて頭を振った。
「……ひとりは、嫌だ」
 呟いた言葉は浴室で少し膨らんだが、どこにも漏れず誰にも聞かれず床に落ちた。落ちて排水溝に流れる。ひとりは、嫌だ。だからってこれから新しく誰かを探す気にもなれない。恋がしたいんじゃない。樹生が守り、或いは樹生に寄り添ってくれる人が欲しいのだ。
 これから先、暁登のいない生活を送ろうなんて、考えたくない。
 ――だったらもう、答えは出ている。
 あまり長湯も出来ずに樹生は風呂を上がる。簡単に衣類を身に着け脱衣所から出ると、キッチンに背をもたせて暁登が立っていたので驚く。夢を見ているんじゃないかと思ったぐらいだ。暁登は腕組をし、樹生の姿を確認すると鋭い眼を向けて来た。
「あき、」
 呼びかけると、暁登はもたせていた背を真っすぐにして、樹生を正面から捉えた。さっぱりと短くなった髪と、セミフォーマルみたいないでたちが慣れない。自分はといえば中途半端な格好で髪も濡れている。間抜けにもほどがある。
「鍵、返しに来た」と暁登は言う。ポケットから銀色の鍵を取り出すとそれをローテーブルの上にパチッと置いた。
「それだけ」
 じゃあ、と去る背中に咄嗟に「あき」と声を掛けた。暁登は振り向く。思い切り睨まれたが、「なに?」と口をきいてくれたので、少しだけほっとする。
「……元気にしてるって、聞いた」
「誰から?」
「早先生」
 暁登の目は醒め切っていたが、それでも「そう」とだけ彼は答えた。
 いま。
 いま言わなければならない。
 樹生がいままで暁登に言わずにいたことを、全部。
 秘密にしていたことを、全て。
「ちゃんと話そうと思うんだ。……けど、なにから話したらいい、」
 声はこわばって震えた。こんなに震えてまで身を晒して誰かを引き留めようなんてばかみたいだと思ったら、心の底からこの秘密を告げることが嫌になった。
 それでも言わねばならない。
「色々、あるんだけどまとまらない。だから何から話したら」
「あのさ、」
 言葉の途中で暁登が口を挟む。「それ、おれが今日ここに来たから話そうとしてるんだろ」
「……」
「おれが今日ここに来なかったら、一生話さなかっただろ、おれには」
 そんなことない、と言いかけて、口を噤んだ。うまく言葉を見つけられない。
「ここ何か月か、出て行った後なんの連絡も寄越さなかった」
「……」
「そういうことだろ」
「……」
「間際になって急に惜しくなって、ジタバタしてるだけだ、あんたは。本当はおれがいなくても、平気」
 じゃあ、と暁登は背を向ける。だが数歩進んだ玄関で彼は振り返った。
「――おれの気持ちは変わんないよ。あんたを尊敬している。あんたを信頼している。あんたは、格好いい人だと思う。そういう人に、……おれも信頼されたかった。されなかったから、淋しくて、悲しい」
 それだけ言って、暁登は靴を履いた。玄関のドアノブに手をかける、その背中に「平気じゃないよ」と樹生は言った。どうか留まってくれと思いながら言った。それは自分でも驚くぐらいの低く大きな音だった。
 暁登は扉の方を向いたまま動作を止める。
「暁登の言う通りかもしれない。失う間際になって急に惜しくなってあがいている。……でも、平気じゃない。平気なわけ、ないよ」
「……」
「おれが話さなかったことを全部いま、暁登に話したら、暁登は満足するか? 信頼された、って、思える? 話さないからって、暁登のことを蔑ろにしているわけじゃない。むしろ知らないで欲しかったこともある。暁登は、……そうやってなんのことにも思い煩うことなく、ただ笑って傍にいて欲しかったんだよ」
 心臓が痛い。
「傍から見れば相当に壮絶で最低で可哀想なやつなんだってさ、おれは。一晩じゃ終わんない話だ。そういうのと暁登を、切り離しておきたかった。暁登を離しておくことで、……おれもそういう過去から、離れたかった」
「……」
「一から全部根絶丁寧に、過去の話を蒸し返せって言うなら、そうするよ。ただそれは、おれの本意じゃない。ほんと、……どうしたらいいのか分かんないんだ」
 そう言って、樹生は全身に疲労を感じて、思い切りよくソファに沈んだ。情けない。格好悪い。みっともない。最低で最悪だ。
 暁登に嫌われても仕方がないのに、暁登はまだ樹生に信頼を置いてくれている。それが嬉しくて、辛い。
 暁登はしばらく立っていた。出て行く気配がない。樹生は泣きたいような気持でいて、涙は出なかった。煙草を吸いたい。
「樹生、着替えろ」
 そう言っていつの間にか玄関を上がって来た暁登に腕を取られた。樹生はその行動が意外で顔を上げた。
「着替えて、おれのうち、行こう」
「え?」
「実家」
 樹生に選択の余地はないようだった。暁登は強い瞳でこちらを見る。


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Beiさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
いきなり実家というのは樹生でなくても身構えまるでしょう。暁登のこの行動も前から考えていたことではないと思います。
暁登の家族のことに関しては、構想しておいたきりいつどのように語らせようかと考えていました。物語も終盤でようやく登場です。
このふたりが迎える結末を、見守っていただけたらと思います。
拍手・コメント、ありがとうございました。またお気軽に。
粟津原栗子 2018/06/28(Thu)06:34:29 編集
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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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