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 隣家は一年ほど空き家になっていた。綾や透馬にお節介を焼いてくれる老母が住んでいたのだが、歳も高齢、伴侶を亡くしたひとり暮らしは色々と物騒で厄介だからと言って娘夫婦の元で暮らすようになったのだ。娘夫婦はここより二十キロほど離れた市内の中心部に暮らす。家を売るのか貸すのか更地にしてしまうのか土地を活用するのか判断がつかぬまま、隣の家は荒れ放題荒れ、庭木はのびのび伸びて真城家にまで届こうかという勢いだ。
 そこに若い男が入った。市の空き家情報サイトに登録していたその物件を男が見つけ、賃貸で住みだしたのは夏の手前だ。透馬の留守中に挨拶に来たのだと言って新品のタオルが置いてあったことぐらいで、男の姿は目にしなかった。
 透馬は高校三年に上がっていた。中学校よりもさらに遠い距離にある高校へは、はじめこそ意地と体力の限りで自転車で通学していたが、高校一年次の誕生日に免許を取って以降原付で通学している。
 真城家には様々な草木が咲き、それに水を撒くのは綾の役目だが、たまに透馬もやる。綾の締切が迫っていたりすると余裕がなくなるためだ。たまたま庭に出た七月、同じく庭に出ていた隣家の男と垣根越しに目が合い、男が笑ったので透馬は驚いた。肩先ぐらいまでの長い髪は濡れていて、男の細い顎先に貼りついている。タオルをかぶっていたので風呂上りだと推測できた。
「花、好きなの?」
 男が聞いた。
「いいよね、花」
 そう言われてもなんとも答えようがない。「お宅のお父さんさあ、よく庭に出て花描いてるよね」と続けられ、透馬は二重の意味で顔を上げた。綾が花を描いている事実を男が知っていることと、綾は父親なんかではないことと。
「――父親じゃないです」
「あー、そうなの」
 のんびりと男は頷く。べつに驚くべき事柄じゃない、という風に。それでなんだか拍子抜けした。
「名前、なんていうの」
「透馬です。青井透馬」
「へえ、いーい名前。字は?」
「青いに井戸の井、透明な馬、です。…その喋り方、癖ですか?」
「気に障る?」
「……べつに、そういうわけじゃ」
 人のテンポを外す言い方ばかりされて、戸惑う。この辺りの人間とは少しイントネーションも違う。不意に男は「お宅の夕飯っていっつもいい匂いするよなあ」と今までの会話はなんだったんだというような台詞をこぼす。
「おれ一人だからさ、めしはいっつも適当。お宅んとこ、二人暮らしなんだろ? 誰が作ってるの? きみ? お父さんに見えるけどお父さんじゃない、人?」
「おれです」
 透馬が答えると、男は「そうかあ」とまた一人で納得してしまった。
「今度めし食わしてな」
 そう言って男は庭から家の中へ引っ込んでしまった。なんだったんだろう、あれ。でも笑ったな。悪い人じゃなさそうだ、と思いながら透馬も家の中へ入る。今夜はどんぶり飯にするつもりだった。時間がない時はいいぞ、肉つかえばスタミナつくしな、と言って暁永が真城家へやって来るたびに教えてくれるレパートリーのひとつで、牛肉でも豚肉でも鶏肉でも基本の味付けは同じだ。
 今日は豚肉をつかって、豚丼だ。そこに冷奴と味噌汁も足す。柿内と遊んでいたせいで遅くなってしまったから手っ取り早くつくれる料理を、と考えてのメニューだが、だからといって手抜きは絶対にしないと決めている。透馬にとって、綾に食事を作ってやることはこの上ない喜びだ。普段は顔を緩ませない男が食事の際にはほうと息をつく、それが嬉しい。
 夕餉の支度が整い、仕事場としてつかっている離れに顔を出すと、綾はテーブルの脇に据え付けたソファでうたたねをしていた。整然と美しいテーブルにはいまのいままで取りかかっていたと思われる結婚式の席次表の高級和紙が並んでいる。黒々と艶よい、上品な文字だ。それに触らないように最新の注意を払いながら、そっと綾に近付いた。
 すうすうと寝息を立ててよく寝ている。白い頬は透馬とそっくりで、だが線の細さはくらべものにならない。綾の方がはかなく、薄い。あとちょっとで四十歳になるんだっけか。この身体を前に触れていいのか触れてはいけないものなのか、透馬はいつも迷う。
 触りたい、と毎日思っている。
 透馬を認め、家に置いてくれた人だ。
 ためしに前髪をそっとつまんでみた。綾は起きない。本当は睫毛に触れてみたい。触って、目蓋を押し上げて、目に透馬を映して、――想像していると綾の寝息がふっと切れた。綾が目蓋を上げ、透馬を見上げる。
 その気だるげな仕草にも、透馬の心臓はいちいち反応する。身体が疼く。
「――めし、できたよ」
「ああ」
 ふうと大きく長く息を吐いて、綾は立ち上がった。夏が来ると言うのに暑さとは無縁の顔や身体だと思う。離れから母屋へと向かいがてら、隣家の男の話をした。そういえば名前を知らなくて、透馬だけが名乗り損だった気がする、と話したら綾はうすく笑った。
「隣、羽村さん」そう綾が言った。「川の傍に染織工場があるだろ。そこにお勤めだそうだ」
「染織工場って、なんか面白いにおいしてる、あそこ?」
「あそこ。糸がたくさん干してあるの、見たことあるだろう。あの匂いは藍が発酵しているにおいだ」
 確かかつての隣人もそこに女工として勤めていた、と聞いたことがある。あまり規模の大きな工場ではないが、なにをやっているのか、見える色合いに惹かれて気になってはいた。
「後継者不足で、って言っていたけれど、染め織りをやりたい若い人はいるんだろう。どこかの美大から人を採るようになって、最近は若い人が増えているようだ」
「そうなんだ」
 そういえば男の家の縁側にはなんとも風流な麻の暖簾がかけられていた。男が製作したものか購入したものかは分からないが、前の住人のものではなく男の趣味であることには間違いなかった。
「今度めし食わせろ、って言ってた」
「そう」
 あまり興味がなさそうに綾は頷いた。人付き合いを嫌う綾は、こういう付き合いも面倒だと思っているのだろう。それに対して淋しいような好ましいような妙な感覚を透馬は味わう。そんなんじゃ世間から取り残されてしまうよ、と綾を不安に思う気持ちと、ここには透馬と綾だけでいいのだ、という安寧の気持ちとが永久に平行線のまま存在する。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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