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羽村耀(はむらよう) 様


 お変わりないでしょうか?
 このたび、十三年勤めた会社を辞しまして、
 長年の夢だったギャラリーをM市にオープンさせることが叶いました。
 つきましてはオープニング・レセプションに羽村様もご出席頂きたく、
 ご案内申し上げます。
 当日、お会いできることを心よりお待ち申しております。


 野島あゆみ



 その案内を受け取って、羽村は首を傾げた。大学時代には「ノジマ、ノジマ」とよく呼んだ名前だが、羽村が知る限りでは、現在はこの苗字ではないはずだった。
 旧姓に戻った理由は、活動上の名義なのか、それとも。ただそれだけの興味で、返信用はがきの「出席」の文字に、丸をした。


 青井透馬との恋愛は楽だった。なにが楽かって、なにもかもが違うところが。
 ことあるごとに怯えた瞳をする少年だった。繊細で傷つきやすい、軟弱な精神。磁器のような白さの肌も、筋肉がろくにつかないほそっこいつくりの身体も、羽村には好ましかった。どこもかしこも似やしない。透馬に溺れていれば、学生時代を思い出さずに済んだ。
 ゆらゆらとよりどころのない恋だった。水面を漂う水草のように、行先を二人とも希望しなかった。ただ現実から目をそらすためだけの恋愛。透馬の現実といえば伯父への恋心で、「それがなに?」だなんて適当なことを言ってしまったが、大人になって抱えたとしても痛すぎる現実を、たかだか十代で抱えなければならない透馬を憐れだと思い、可哀想だと思った。憐憫がまた、恋に火をつけた。
 秋、透馬を誘って美術館へ行った。当時住んでいたFの山奥からさらに山奥にある美術館で、羽村が車を運転して出かけた。県内では珍しい彫刻の美術館で、広い野外には雨風にも耐える巨大なオブジェを、こじんまりと小さな館内にはブロンズの小品が二十点ほど並んだ。
 いくら元・美大生だといえども、絵画や彫刻の類にはあまり興味がなかった。羽村が好きで専攻していたのは染織クラスであったし、工芸品ならまだしも、アート、と呼ばれる物物への、関心はうすかった。山奥の美術館へ行こうと思ったのはドライブも兼ねていたからで、高原を走る有料道路からの眺めは紅葉も相まって最高だったが、行きついた美術館では、かえって興奮がさめてしまった。この後どこのホテルに連れ込んで一発やるかな、という下種な段取りを、裸婦のブロンズ像などを眺めて思っていたぐらいだ。
 それでも、見慣れぬブロンズ像をしげしげと眺める透馬の横顔を見るのは、わるくなかった。羽村が一目で惚れた、惹かれてやまない横顔だ。期間限定のおつきあいだからいつか別れるとはいえ、この横顔の写真ぐらいは、残しておきたいな、と考える。額から瞳へと切り込む斜線と、瞳から鼻筋へと伸びる斜線、鼻を経てかたちよいくちびるに届く、数々の面。透馬の横顔はどこかの美術家に評論させたらいいんじゃないかと思う。きっと黄金比がどうのこうのって、言う。
 しばらく透馬を眺めていると、ブロンズ像を見ていた透馬は、やがて目を数度、瞬かせた。見つめすぎて目が疲労したか。もうこの辺で切り上げようかなと考えていると、透馬は「静かだね」とぽつり、こぼした。
「美術館っていつもこう。音がしなくて、ものがなくて、真っ白」
「まあ、ホワイト・キューブ、って言うくらいだし」
「ホワイトキューブ?」なにそれ? と言う風に語尾を上げて羽村に訊ね返す。
「いやーまあおれも、学生の頃にちょろっとテキスト読んだぐらいの知識なんだけどさー。美術品をちゃんと見るために、美術館の壁面ってほぼみんな、真っ白なのさ。そういう空間を、ホワイト・キューブ、って、いう」
「へえ」
「でも、かえって浮世離れしちゃって現実味がないとかね。そういう意味で、美術館のことを『試験官の出来事』、って批判されちゃったりねー」
「びっくりした」
 と、透馬が目をまるくひらいて羽村を見た。
「羽村さんってちゃんと大学生やってたんだね」
「ちゃんとってなんだよ、ちゃんとって」
「美大生ってセンスだけで生きてるんだと思ってたから、そういうこと知ってるの、意外だった」
 ばあか、これでもちゃんと卒業してるんだぜ。そう言いながら透馬の髪をくしゃくしゃにする。どうしてこの言葉を覚えていたかといえば、自分のことみたいだと思ったからだ。現実味のない白い箱に閉じこもって、夢ばかり見ている。そう、たとえばこんな風に透馬とホワイト・キューブの中にいて……なんだこれもまた、現実味のない、つくりごとの恋愛じゃないか。
 だって証拠に、透馬の心は羽村の元にない。羽村と付き合ってくれる、という事実だけを、羽村を傷つけない白い壁に展示して、眺めて満足している。客観視してみれば、自分は確かに透馬を好きなのか、分からなくなる。田舎へやって来てたまたま隣家に好みの顔がいたから、手を出しただけかもしれない。都合よく失恋していたし、童貞の美味しいところも食えたし。いまじゃ羽村にすっかり慣れて、おびえた瞳もしなくなった。
 愛されたい、と思った。片想いが長すぎておかしくなっている。愛するんじゃなくて、愛されたい。期限付きで愛し合っている半年間、透馬に愛してもらおうという気分はおきなかった。ただ、早く春が来てこの恋が終わらないかなと、唐突に思った。


 M市は、羽村の通った美大のある街だ。久々に訪れた街は、めっぽう変わっていた。以前よりもアート色が強くなり、「商店街ミュージアム」と称して駅前から伸びるアーケード街に学生の展示が続いていたのには驚いた。羽村がいた頃の商店街は人気がなくがらがらで、いわゆる「シャッター街」だった。活気づいてきたと言うならいいことだが、展示されている作品はどれも勢いばかりで、羽村の目には新しくなかった。それだけ自分が年齢を重ねた、という意味だったら、少しさびしい。
 それでも街を歩くにつれて、楽しくなってきていた。はじめ、M市でギャラリーをひらくなんて、いくら美大のおひざ元でも酔狂な、と思っていたが、これは当たりなのかもしれなかった。どんなギャラリーをひらいたと言うのだろう。画廊なのかクラフト・ギャラリーなのか、そういえばそんなことも知らなかった。
 学生時代によく通った喫茶店を訪ねるつもりで早めに行ったから、喫茶店が深夜営業のバーに改装されていたと知った時は、あーどうしよう、だった。それであてもなく、ひとまず先にギャラリーを訪ねた。外観だけでも見てから、適当な店に入ろうと思った。
 ギャラリーは古いビルの一階部分にあり、目立った看板もないから、通り過ぎそうだった。かろうじて通り過ぎなかったのは、真っ白な内装が視界の端にうつったからだ。あ、ホワイト・キューブ。足を止めて中を覗くと、白く塗られたビルの内側は、机があるだけでなにもなかった。
 ――いや、人が一人、立っていた。真っ黒い短髪に、白いTシャツ、ベージュのワークパンツをはいていた。浅黒い太い腕、そこに真白いカラーの花束を抱えている。うつむいていたが、羽村に気付くとウインドウの外へ視線を投げ寄越してきた。ガラス越しに目が合う。
 はっきりと濃く、太い眉。意思の強い瞳。多少の無精ひげは相変わらずで、精悍に口元を引き結んでいる。そのくちびるが「あ」のかたちにひろがり、強い瞳がまるくひらかれた瞬間、羽村はその場を逃げ出した。いや、いることは予想済みだったけれど、あんな風にホワイト・キューブの展示品みたいに現れるのは、予想外だった。走る走る。路地の裏まで、心臓も走る。
 池田白藤(いけだはくとう)。
 その名を心の内側で唱えるのも久しぶりだった。
 まだ心臓が鳴っている――急に走ったりなどしたからだ。



→ 後編




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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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