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4.杣谷


 夏休み初日、会社へ出向くと先客がいた。社の通用口を抜けて研究部署へ向かう途中の喫茶スペース、ソファに清己が腰かけていた。朝のうちだからと西側の窓を大きく開け放ち、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
 相変わらずどんな姿でも様になっているなあ、と半分呆れて、感心した。同期入社の清己は入社当時から目立つ男ではあったが、歳を経るごとに男としての凄みというか、艶やかさというのか、深みなのか、一言ではまとめきれない魅力を増している。
理工学系研究所の所員にありがちな野暮ったさはどこにもない。ノータイでもだらしなく見えないのは、姿勢がいいからだ。薄いブルーのシャツはきちんとプレスしてある――はずだが、今日は少しよれている。無精ひげも少々見える。これでも印象は至って涼やかなのだから、同じ人間に思えない時が多々ある。
 僕に気が付いて新聞から顔を上げた。「泊まったのか」と訊くと、清己は新聞を折りたたみながら「今日から夏休みだからな」と答えた。
「今年はなにがなんでも休むつもりで色々片付けてたら夜が明けた――ああ、」
 コーヒーを一口飲んでから大きく息を吐いた。それから「ちょうど良かったよ」と僕の方を向いた。
「杣谷に聞きたいことがあったんだ。おまえ、嫁さんの実家がY区だって言ってたな。Y美術館、分かる?」
「分かるよ。あの辺は散歩コースだ」
「ちょっと道が入り組んでるみたいだけど、どう行くのがいちばんいい」
「行くの」
「今日これから」
 へえ、と思った。清己は高校時代、美術部に所属するぐらい美には親しみがあると聞いてはいたが、会社の休みをきっちり守ってまで行くような人間だとは思わなかった。清己は人と揃うことを嫌う。世間が休暇になれば自分はずらして休みを取るのが通常の清己だ。
 いまY美術館で行われている展示は評判が高く、連日にぎわっていると聞いた。展示は十月までやっているので、いつもならば日を延ばし、人の落ち着いた隙を狙って行くはずだ。誰かと一緒なのかもしれない。聞いてみると案の定で、「午後一で駅まで迎えに行く」と言う。
「清己が駅まで? 人を迎えに?」
「なんだその言い方」
「いいか人ってのはな、みんながお前みたいに完璧なわけじゃないんだよ。疲れるし汗かくし眠くなるし腹も減るの。話もしたいし休みたいしトイレにだって行きたい。そのためにはな、喫茶店や自動販売機やベンチや、おまえの興味以外の場所も必要なんだ」
「人をロボットみたく言うなよ。おれだって疲れるし汗かくし腹も減るよ」
「一緒にいる相手を気遣って歩け、って言ってんだ」
 清己は基本的に他人に興味を持たない。よって一緒に歩く際には、自分の欲求や都合を簡潔に分かりやすく伝えないとタイミングを逃す。変に気後れしたり遠慮してはいけない。僕は「同性」の「同期入社」の立場で気楽にやれているが、女性や後輩は困惑するようだ。デートだとしたら尚更だ。
 僕の心配をよそに、清己は笑った。笑うとまたいい男なのだ。徹夜明けとは思えないほど清々しい。
「駅までってことはJR?」と僕は聞いた。「Y美術館なら地下鉄の出口がいちばん近いよ。もっとも地上に出るまでがちょっと長いから、子どもや年寄りと一緒ならJRを勧める。南口、かな」
「いや、大丈夫かな。地下鉄、降り口どこ?」
「A3てとこ」
 カバンに入れて常に持ち歩いている文庫サイズの地図帳を取り出し、清己に場所を教えてやった。子どもが喜ぶし僕も楽しいので、休みの日は地図帳を片手によく電車に乗るのだ。ついでに馴染みの喫茶店や天ぷら屋、歩いて楽しいと思う路地をいくつか紹介した。清己は熱心に聞き、僕から地図帳を奪って一通りチェックした後、「ふうん成程」と頷いて僕に地図帳を返した。
「やっぱ杣谷は歩いてるんだな。聞いてよかったよ。ありがとうな」
 こちらが照れるほどストレートに感情を伝え、清己は立ち上がる。大きく伸びをした。
「――よし、帰る」
「おう、お疲れさん。楽しくやれよ」
「杣谷もな」
 ふっと笑い、清己はさっさと行ってしまった。涼しげな後ろ姿を見送りながら、ひとつ余計なことを思った。清己の同行者が淋しい思いをしなければいいな、と。
 清己の隣を歩くのは、とても勇気がいる。背筋を頑張って伸ばしながら、清己に必死でついていく。自分に精一杯ながら清己の気を引きたいし、周囲の目も気になる。期待したり淋しくなったり自分が嫌いになったり、清己といると人は様々なことを考えてしまうようだ。耐えられない人は本当に耐えられない。
 だから清己は、常に相手に裏切られている。本当に一人なんだと思う。
 清己自身も、同行者も、お互いに満足し充実する。清己とそういう関係になるのはとても難しいが、そうだといいなと思う。肉親でも恋人でも犬でもネコでもなんでも。



 夏休み明け、僕のいる部署までわざわざやって来た清己が、梨をひとつくれた。
「この間のお礼」
 そう言われてしばらくなんのことだか分からなかったが、清己の楽しそうな顔を見て、美術館への道順を教えた礼だと思いついた。どうして梨なのか訊くと、「たくさん買って余ってるから」と清己は答えた。
「休みの間だけじゃ食い切れなかった」
「梨かあ。こういうのは子どもや嫁さんが喜ぶなあ」
「――はは、そうだよな。あまい果物は子どもが好きだ」
 なにか思い出したのか、いきなり清己は笑った。僕には理解できぬ次元で、ひとりで笑っている。それが本当に愉しそうで嬉しそうで、僕もつられた。清己を前にこんな気持ちになることがまた新鮮だ。
「天ぷらの店も良かったよ」笑ったまま清己が言った。
「――へえ、行ったか」
「とうもろこしと魚のすり身が合うなんて思わなかったなあ」
「あ、それ嫁さんが好きだ。美味かったろう」
「うん。また来ようかって、話したんだ」
 え、と思わず声が出そうになり、首を横に縦に振って頷き返した。清己の言葉の向こうに誰かがいる。それは入社以来十四年の付き合いでも、僕の全く知らない清己だ。
「夏休みは楽しかった?」
「楽しかったよ」
 またそのうち飲もう。ひらひらと手を振って清己は持ち場に戻った。その後ろ姿を追わずに、僕は手のひらの梨をふと眺める。
 鼻を近付けると、あまい香りがした。帰ったら子どもの手のひらに載せてやろう、と思った。


 
End.


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拍手[57回]

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ellyさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。

梨は、まあ大方ご想像されていると思いますが、夏休みにやって来た七嶋に清己が買ってあげたか、七嶋が勝手に大量に買い込んだかのどちらかです。楽しい夏休みだったんでしょうね。

そして過去のお話も楽しみにしてくださるとのこと、ありがとうございます。昔のものとか、恥ずかしすぎてもう見返せません…!
柊人くんと新くんは、私の脳内では続編が出来上がっているのですが、かたちにはなっていません。あの二人も一途ですね。七嶋・清己とはまた違った二人を、よろしくお願いします。

毎日拍手とコメントを本当にありがとうございました。
またぜひ!
粟津原栗子 2013/07/26(Fri)08:42:06 編集
mmさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。

若い頃の話なんか直接詳しく語ったりなんかしないでしょうが、七嶋の昔の話、もしくは暗く人を惹きつけてしまう性分なんかを分かっているとは思います。
ですがそれらは清己にとってどうでもいいことです。七嶋が清己に夢中になっていることが、清己には重要なことです。
(そしてそれを継続させるために、例えば美術館までの道のりをわざわざ人に聞いて下調べしてしまうぐらい、努力をしている人です。)
mmさんの仰るように、太陽と月の二人だったなぁと私も納得いたしました。

時間軸を変えたり、人を変えたりと実験的な書き方をしました。分かりにくい箇所もあったかと思います。こういうところをぼちぼちと直しながら、この二人はもう少し、続く予定です。その時はよろしくお願いしますね。

拍手・コメント、本当にありがとうございました。またぜひ!
粟津原栗子 2013/07/26(Fri)08:54:07 編集
美冬さま(拍手コメント)
こんにちは。ようこそw
夏休みですね。桃は、私は大好物なんですが、今年は手に入らずまだ食べていません。書いている途中でどんなに食べたくなったことか!(笑)
七嶋は、普段は大人しく静かで、本当に目立たないように生きてきた人だと思うんです。それが清己に会って、大きく影響されて、変わりました。いま再び清己と出会ったことで、もうちょっと周辺にも思いやりや優しさが出てくるかな…と筆者としては期待しています。うーんどうかな(^_^;)

そしてレモン・ライムもお読み頂き、ありがとうございました。おっしゃる通り、本当に楽しかったんですよ…! カワムラさんにはお世話になりっぱなしでした。
ちなみに、この後どーなんのかねーっていう話は、すでにカワムラさんとの妄想が進んでおります。いつかかたちにしたいと思っています。どうぞ気長にお待ちください。

その他の作品についても、感想をお待ちしております。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2013/07/27(Sat)08:33:46 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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