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3.七嶋


  母親からの電話を切るのに十五分かかった。いま忙しいから明日かけてくれと再三頼んでも聞かず、飼いはじめた文鳥が非常に愛らしい話や通い始めた書道教室の先生が私と同い年であった話、今度職場の仲間と登山に行く話などをヤマもなくオチもなく延々と喋った。十五分で済んだのならば早い方だったろう。しかし今日は特に一分一秒が惜しかった私にとって、電話を鳴らす行為自体がすでに許せないことであった。
 もうええな、と半ば放るように電話を切り、大きく息を吐いてから隣の和室へ戻った。八帖のダイニングキッチンと寝起きする八畳の和室とは曇硝子をはめ込んだ引き戸で仕切られているが、夏の盛りである現在は開け放している。南西の方角にベランダが据えられ、ここにはどちらの部屋からも出られるようになっている。現在はよしずをかけ、さらに朝顔や糸瓜のプランターで塞ぎ、日が入らないようにしてある。
 畳に敷いた布団の上に、清己がうつぶせで寝転んでいる。私に足を向ける格好で、持参した本をめくっている。肩甲骨の凹凸や引き締まった尻がまぶしい。裸である。
「ごめん」私は声をかけた。「かあさんからだった」
 美しいラインを見せる背中に、私はおおいかぶさった。くりかえし当たる扇風機の風で、肌の表面が冷たくなっている。さっきまでとても熱かったのに、乾いてしまった。うなじの髪を分け、くちびるを寄せた。
 ぱたんと本を閉じ、清己は私を振り返った。「長かった」と十五分ほったらかしの感想を述べる。
「七嶋が訛ってるところなんて久々に聞いたな。ちょっと面白かった」
 清己はそう言い、微笑む。私が地元の言葉をつかうのは肉親の前だけである。それは高校時代から綺麗な標準語をつかっていた清己に憧れてのことだ。清己は同郷であるくせに頑として方言をつかわなかった。清己の母親は横浜の出身で、父親も大学時代は東京へ出ていた。家でもあまりつかわなかったのだろう。
 電話が来て中断していたことを、ようやく再開した。先ほどまで私はずっと、清己の身体にあるほくろを探し出しては舐めていた。目立つものも小さいものも、清己の知らない場所にあるものもひとつ残さず辿りたかった。キスをし、舌でなぞり、息を吹きかける。清己がびくりと身体をふるわせ、荒い息を吐くたびにぞくぞくした。
 右裏のふくらはぎで途中になっていたので、そこから始めた。この辺りはあまり多くなく、くるぶしのすぐ下にひとつ見つけただけだった。「今度、まえ」と言って、清己の身体を表に返す。足先を丹念にしゃぶり、少しずつ位置をあげて探してゆく。ちなみに私は、好物は最後に残しておくタイプだ。
 清己以外の誰かでは、しつこいと言ってこんな時間のかかることはさせてもらえない。もっとも、私だってする気はおきない。高校の頃から清己は私に甘いというか、好きなことを好きなだけやらせる男だった。私の好奇心をくすぐり、満たし、さらに上を覗かせる。そういうことがいちいち上手かった。
 画家の図版をめくるのに夢中になって下校時刻を忘れても、清己は傍らで待っていてくれた。校外学習で行った昆虫の博物館でもそうだったし、二学年の修学旅行では集団を嫌い行くのを渋った私をなだめ連れ出し、旅行中に宿を抜け出して夜遊びを教えてくれた。
 清己の腰元まで戻って来た私は、足の付け根にほくろを見つけて嬉しくなった。喜んで唇を寄せると頭上から「楽しいか」と清己が訊いた。私は顔を上げて頷く。満足そうな清己の表情は、高校の頃に私の下校を待っていてくれた時と変わらない。
 愛おしい気持ちが身体の内側で爆発し、キスがしたくなった。
 清己の腿に手を置いたまま、顔を近付ける。私がなにをしたいのかが分かって清己は笑った―のだと思う。それでいて意地悪く、「そういえばおばさん何の用事だったんだ」と言った。
 いまこのタイミングで。鼻と鼻が触れ合う距離で、私は面食らった。
「――いや、きみが聞いて面白いと思う話は、なにも」
「だから、何を?」清己は息を漏らして笑っている。
「別に、……飼い出した文鳥とか、書道教室の話とか、」
「ふうん。ほかに」
「今度トレッキングに行くのに派手な色の合羽を買ったとか」
「へえ、何色」
「なんだっけ、……ムラサキに近いピンク、って言った、な」
「目立っていいじゃないか」
「……きみ、本当にぼくの母さんの話をしていたい?」
 私はキスがしたいのだし、舌を吸いたいし、もう、入れたい。焦らす清己に困っていると、清己は声をあげて笑いながら私の首の後ろに手をひっかけた。
「だって電話、長すぎ」と言い、すぐにくちびるを塞いだ。清己の指が私の股間に触れ、先端同士がこすれ合う。もっと密着できるよう清己の両膝のあいだに身体を押し込み、清己を向こう側へ押し倒した。
 入れていいか尋ねると、清己は顔の位置をずらし、私の右まぶたにキスをくれた。
「もうあちこち舐めないでいいのか」
「いや、……続きは、する」
「は、好きだな」
 そう言いながら、私の背中を抱いて力を込めてくる。入れる瞬間の清己の表情が本当に良かった。


 ◇


 シャワーを終えた清己は、なにも身に着けず頭にタオルをかぶっただけの状態で机に備え付けた椅子に腰かけた。和室の壁際に置いてある机は、小学生の頃からずっと使っている。引き出しが一段しかない木製の机で、小学生の私にはシンプルすぎて不満だったのだが、おかげで大人の今でも使えている辺り両親を評価している。さすがに就職してから椅子は替えた。裸に樫材の座面は硬くて痛そうだが、清己は平気な顔で座りこんでいる。
 流しに水を張って冷やしておいた桃を剥いて、持って行く。「なにも着ないの」と訊くと、清己は「おまえも脱ぐか」と笑った。清己と違い私は裸でうろつく癖はないので、Tシャツと下着を身に着けている。清己がそうしろと言うならば再び脱ぐのだが、清己はそれ以上なにも言わず桃を食べ始めたので、私も傍に座った。椅子はひとつしかないので、清己の足もと、畳の上だ。
 清己は瑞々しい桃が気に入ったようだった。美味い、とこぼし、立て続けに三切れ食べた。買ったのかと訊かれ、私は首を横に振る。これは先日、大叔父を見舞う際に母が買い、ついでにと置いて行ったものだ。
「桃か。今年初めてだ。向こうじゃ果物はいちいち高くて、あまり買わない」
「こっちでも桃は高いけどね。まだあるよ。剥こうか」
「うん」
「葡萄もあるよ」
「桃がいい」
 傷む果物ばかりあるのは母がお節介を焼いて寄越したからだが、私の好物でもあるせいだ。昔からそうだった。夏場は果実ばかりで、おまえの前世は虫だなと父によくからかわれた。おかげで私は、果物に包丁を入れるのがとても上手い。
 私が桃を剥いている隙に、清己は机の上に置いてあった私の眼鏡をかざして遊んでいた。レンズを近付けたり遠ざけたり、弦を内側に曲げたり外側に曲げたりして確かめている。清己を真似て買った黒縁眼鏡は、仕事の際にしか使わない。休日は裸眼で過ごす。高校の頃の私は至って目が良かったので、いま私の右目があまり良くないことを、再会直後の清己は信じなかった。
 フレームを選んだ際、私には黒縁しかあり得なかった。高校時代の清己がかけていた眼鏡が赤縁だったら赤だったし、銀縁だったらそうした。清己が高校時代に私に与え教えたものが、いまの私の基礎である。悪いことも良いことも、清己がすればすべて正しい。
 清己の足もとへ再び座した私は、清己の膝頭へ頬を載せた。清己の片足を抱え、甘えるようにすがる。「なんだよ」と清己は笑ったが、私を好きにさせてくれた。また一切れ桃を咀嚼し飲みこんでから、ふと「夏休みか」と呟く。
 窓の外から、昼間でも賑わしい若者の声が響いている。
 清己の夏休みはあるようでない、という。私の夏休みは、盆の三日間だけは好きなことを自由にしようと決めている。「だったらこっちへ来い」と清己が言った。「おれの部屋なら、好きにつかっていい」
「実家になんかいつでも帰れるだろう。帰るな」
「――うん、」清己の言うことは、私にとって絶対だ。
「そういえば、おまえの好きな絵がどこかの美術館に来ていたな。ターナー」
「それ、行きたいと思っていたんだ」
 おまえの好きな、と清己は言うが、これも清己が私に教え込んだものだ。こんな色が描けたら最高だろうな、と感じ入りながら図版を示してくれた。あの時の清己の立ち姿は感動そのもので、未だに忘れられない。
 潔く凛と張って、見惚れるぐらい美しかった。そしてその感動はまだ続いている。一生囚われる。
「一緒に行こうよ」清己の膝に額を押し付け、私は言った。「きみも、行こう」
「夏休みなんだよ」
「――そうだな、夏休みだ」
 清己の右手が私の髪に差し込まれる。強くかきまわされ、私は目を閉じた。


End.


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Lさま(拍手コメント)
こんにちは。いつもありがとうございますw

玉川上水。恥ずかしながら名前でしか知らず、Lさんから頂いたコメントで画像検索などしてしまいました。遊歩道なんてついているんですねぇ。歩いてみたい。(この時期は特に良さそうですね。)
暗い好奇心、という言葉がまさにその通りで、ちょっと癖や裏や暗さがある方に惹かれてしまうものですね。そういう人の心の特性をたちまち掴み取ってしまう人間が七嶋だと思っています。清己とはある意味逆でしょうか。
恋愛、よりは人のことを書きたいと思って書いたお話です。
ひとまず本日更新分でいったん区切りです。が、これに関してはもう少し書きたいと思っています。ぼちぼちとお付き合いくださいね。

拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/07/25(Thu)10:15:55 編集
ellyさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます!!

昨日のお話の後にこれだと、松田さんが哀れすぎるような、七嶋くんが頑固すぎるような、色々な思いが湧きあがります。
七嶋の興味は全部清己に注がれてしまっているので、こればっかりはどうしようもありません。ただならない愛情、ですね(笑
更新は本日でとりあえずラストです。今日はまた別の人の登場です。どうか最後までよろしくお願いいたします。

拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2013/07/25(Thu)10:21:46 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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