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週明け、七嶋が出勤した。眼帯の代わりに黒縁の大きな眼鏡をかけていた。週末に作って来たと言う。誰の奨めなのかよりにもよって黒とは。地味な印象に影が加わり、七嶋を陰鬱に見せていた。
不慣れな眼鏡は憐れでもあった。よく眼鏡を外しては右目の眉根を揉んでいた。辛いと目を閉じる癖が現れるようになり、移動中でもうつむき加減に歩き、ぶつかることがしばしばだった。転びそうになったところをとっさに腕を引いてやったこともある。危なっかしくてはらはらした。
そんな七嶋の様子を、三年の野上がよく見に来るようになった。生物部の一人で、今回の事故で左手を捻挫した生徒だ。若いと治りが早いのか七嶋が学校に出て来られるようになった頃にはほぼ完治しており、けろりとしていた。
「センセ、ほんとに大丈夫なん?」
「慣れないだけだ。野上は気にしなくていい」
「これ、お見舞い。うちの庭に成ったすもも」
「もう成るのか。美味そうだな」
やたら親しい。そんなに仲の良い生徒がいたかと、松田は驚いた。言葉が少々訛るのも珍しかった。授業でも松田たち同僚の前でも、どこでも、出身が違うかと思うほど七嶋は綺麗な標準語しか話さない。
日に必ず一度、野上は七嶋の元へやって来た。七嶋にジュースをねだったり将来の話をしたり肩を揉んだりして、なにやら楽しんでいる。よく笑う七嶋が、松田には新鮮に見えた。近い距離感が、くつろいだ表情が。松田の前ではこんな顔しない、と思うと癪に障った。
披露宴まであと十日だ。松田の意識は、そこに向かわなかった。式当日の段取りやその後の生活を考えねばならなかったのに、気が散る。その日準備室にやって来た野上を松田は呼び止めた。七嶋は席を外していて、その場にいなかった。
「おまえ、まいんちここ来るはいいけどベンキョ大丈夫か、ベンキョ」
「え、やってるよ。七嶋センセに分からんとこ聞いて、こんなに熱心じゃん」
「おまえに理数の心配はしてねえぞ阿呆。国語と英語な。必須科目じゃろうが」
「うえ」
「長田センセも村山センセも気にしてらしたぞ」
「もー、いいし。生物と数学で満点取るから」
朗らかな声色で、話題がぽんぽんと出てくる。こういう可愛げが七嶋のツボを突いたりするのだろうか。つい「七嶋センセもそれどころじゃないんだからな」と厭味のような台詞が出た。野上は途端に顔をしかめ、「分かってる」と神妙に頷く。
「でも、七嶋センセといると楽しいんよ。好きなことなんでも話せて、質問にもぜんぶ答えてくれて、分かってくれて」
「そんなにいいか」
「んー、静かに笑うとことか、キレーな言葉で喋るとことか、好き」
すき、の台詞が思いがけず衝撃だった。そんなことを照れながらも教師に明かす野上の屈託のなさやプライドの低さ、若さ、なんでもに苛々した。まるで恋でもしているかのように頬を赤くする野上を、厭らしいと思った。
我に返った野上は慌てて「内緒、」と付け加え、準備室を出て行った。入れ違いで七嶋が戻って来たが、野上にはすれ違わなかったようだった。
机の上に野上が置いて行った飴玉を見て、七嶋は小さく笑った。最近は眼鏡にもだいぶ慣れ、松田が気にするほど誰かの手を必要としなくなった。だからなのか。俺はこの男に気にされたいのか。七嶋を睨むように眺めていると、目が合った。
ビニール袋から弁当を取り出しながら、七嶋は「ぼくになにか用事がありますか」と訊いた。弁当は、いつか松田が七嶋の家に差し入れたものと同じ弁当屋のものだった。
「それ、弁当、」
「ああ、そうです。前に松田先生が買ってきてくれたところの」
あれ以来気に入っているんです、と七嶋は静かに答えた。
「ブリの照り焼きが美味くて、食べたくなります」
「――ほうか、」
「松田先生は最近ぼくのことが気になりますね?」
いきなり直球を投げられ、松田はうろたえた。事実でも、野上のように素直な肯定が出来ない。七嶋の訊ね方にも幅がある。答えられずにいると、七嶋はさらに「野上が来るから?」と問うてきた。
「それとも男を抱けるぼくが珍しいですか」
「……」
「ぼくが男しか好きにならないっていうのは、知っていますね」
「……、噂で」
「こんなところでも、おおらかになったなと思います。高校の頃は性癖を他人に明らかにしようなんて思いもしなかった。色々覚えて大人になって、あれだけ熱心に隠していたことをどうでもいいと思えるような日が来るなんてね」
普段から自分にも他人にも興味の薄い七嶋が、自分のことを他人に話すのは奇妙な気がした。同時に嬉しかった。自分は七嶋にとって許せる人間なんだと思えた。
思いがけず心が緩んだところを、さらわれた。七嶋はあっさりと「ぼくは野上の素直さよりも松田先生のすれたところの方が好みですよ」と言った。
「――なんて、もうすぐ結婚を控えている人に言うことじゃないですね」
「……」
がっぷりと掴み取られて、松田は止まらなくなった。呆けたように七嶋を見つめる松田に、七嶋は笑いかけた。
「――今日、ぼくのアパートへ来ますか」
松田は数秒ためらった後に、首をがっくりと折って「行く」と答えた。汗が止まらない。
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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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