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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 数日後の夕方、レジを打っていて店の窓の外がオレンジ色をしているのに気が付いた。少しだけ手を止めて空を見る。一瞬飛んで客に向かい直し、こなし、また次の客を迎える。客は「ラッピングをお願いします」と本を寄越しながら言った。
 声に驚いて顔を上げる。七嶋だった。
「――閉じ込められていたのに黙ってなかったことにしては、いけませんよ」
「――……あ、なんで、……」
「鍵を閉め忘れたことに気が付いて引き返したら、平林さんが階段を下りてくるところを見ました」
 屋上での一件は、誰にも気付かれずに終息した。あの後七嶋は電話を終え、屋上を出て行った。鍵を閉めて行かなかったので再び閉め出されることもなく平林は屋上を出ることが出来た。七嶋に気付かれてしまったのは、そういうことだ。ということは電話を聞かれていたかどうか気にしているだろうかと、「盗み聞きしてすみませんでした」と謝る。
 悪いのはこちらです、と七嶋は穏やかに言った。
「平林さんが黙っていらっしゃるのでまだ報告はしていませんが、閉じ込められてしまった、でいいんですよね。きちんと確認もせず、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、いえ。私もすぐ誰かに連絡をすれば良かったのに、つい、というか、なんというか、」
「すごい空でしたよね」
「――はい、すごい空でしたね」
 七嶋の言葉をおうむ返しにするしか答えられない。それでも七嶋は責めず、穏やかな顔でいる。
 ラッピングのリボンの色を訊くと、少し迷った後に七嶋は金色を選んだ。白地に星がプリントされた包装紙に金のリボンでは安っぽくて申し訳ない。七嶋が買う本は印刷の鮮やかなポストカード集だ。星や旅先の風景ばかり撮っている写真家が最近出したもので、コントラストの出し方が上手く、ぱっと見て人目を惹く。シリーズとしては古い。この写真家を選ぶ辺りが、七嶋だと思わせた。
 電話で喧嘩をしてあれきりなので貢いでやるんです、と七嶋が言った。誰と喧嘩をしたのかは当然、分かる話だった。
「――あの、本当に電話、聞いてしまってすみませんでした」
「いえ、あまりお気になさらず。――ぼくも、鍵がかけてあった屋上だからと油断してつい電話に夢中になりましたが、職場からする電話ではないですね」
「電話のお相手は、恋人ですか? 贈るには子どもっぽい包装で……」
「いえ、それは大丈夫です。こういうきらきらしたのは好きなんです。きっと喜ぶ」
 発言に驚いて顔をあげる。緩みきって惚気るならともかく、七嶋はあくまでも静かに語る。その淡々とした口調が発言の中身とまるで合わない。つい「恋や恋人は、いいものですかね」と聞いてしまった。
「――や、皮肉や妬みではなく。その、私はあまり、そういうことに関心がないので、」
「平林さんはちょっと遠慮しすぎなんじゃないですか」
 屋上での一件を言っているのか。代金を渡しながら七嶋は笑ったが、ふと真面目な顔をしてものを考え始めた。
「――恋や恋人では、ないかもしれませんね」
「え?」
「そういえば、好きだと言われたことはないし、愛してるとも言ったことがないです。付き合おうと決め合ったわけでもない。恋というと、少し違うような」
 釣銭を財布に収め、受け取った本をじっと眺めてから、答えた。「ぼくの場合は、情熱、と思います」
「執着、夢中、信望、そんなのです。向こうに言わせればまた違うんでしょう。ぼくは、どんな手を使ってでも気を引いておきたい。だからなんでもします、ぼくにとって彼は絶対的なものなんです」
 本、ありがとうございました、と結んで七嶋は去って行った。「彼」と言ったがそこはどうでもよかった。「情熱」の言葉にずしりと痺れていた。
 それは恋じゃないのかと思ったが、言わなかった。七嶋のことよりも、自分自身のことを考える。誰かが絶対だなんて、宗教さえ持たない平林に想像は難しかった。だと言うのに、羨ましいと思う。夢みたいな現実が、いまさっきまで目の前にいた男に起こっている。
 今夜はもう閉店時間で、いつも通り閉店作業をこなしメールをチェックして、母親の作った食事を食べ風呂に浸かって、読みたい本は眠気に負けて読めないまま、眠ってしまうのだろう。眠ったまま明日目覚めなければどれだけいいかと思いながら、朝になったら起きてしまう。慌ただしくも静かでなんの事件もない今日と同じような明日を送ってしまう。
 そんな毎日で、大丈夫なんだろうか。
 大丈夫ですか、と後ろから声をかけられた。あたたかい手が背中に触れている。従業員の時田が不思議そうな顔で平林を見ていた。「表、もう閉めましたよ」
 背中に添えられている手に、ふるえが来るほど安堵した。
「具合悪いですか」
「――いや、ちょっと考え事してた」
「しっかりしてくださいよ。店長このあいだから上の空ですよ」
 明るく笑う時田に救われた気分だった。いてくれて良かったと心の底から思った。そういえば時田とは一緒に仕事をしているくせに、通りいっぺんの情報しか知らない。ほっとしたまま、「今度飲もうか」と誘っていた。時田が勤務し始めてすでに五年近く、平日に誘うのはじめてのことだった。
 驚いた顔をして時田が振り向く。誘った平林本人も驚いている。
「今日飲もう、とは言わないんですか」少しして時田は表情を崩した。「部下に遠慮しすぎ」
「……いや、今日はもう、おふくろが夕飯をつくっちまってるからなぁ、と考えて」
「おれはいつでもいいですよ。暇で楽しい独身生活を満喫中ですから」時田も平林と同じく三十代を過ぎてまだ、独り身だ。
「満喫、してんのか」
「楽しいですよ。メシに凝ってみたりいきなり遠出してみたり怒られないで延々と本が読めたり。一人の楽しみを覚えた、っていう言い方をしちゃうと淋しいですが」
「……そうか」
 ここにも羨ましいと思える奴がいて、平林はついに笑ってしまった。
「うちで良ければ、メシ食ってかないか。少し窮屈だけど、ビールもあるよ」
「はは、喜んで」
「でさ、この間、おれが高校の屋上に締めだされた話を聞いてよ」
「ええ!?」と時田は声をあげた。「だから遅かったんですか? 言ってくださいよ、もう!」
 真剣に叱られた。それがなんだか、嬉しかった。


End.


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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