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「そこのラック、組み立てて」と暁登が言った。
「組み立てたらどこに置くの、」
「机の横かな。そこには本を入れるから」
「こっちの衣類は?」
「押し入れに衣装ケース置いたから、そこに仕舞う」
樹生はラックを、暁登は衣類を仕舞いこみ始める。収納予定の本が納められた段ボール箱の中にミヒャエル・エンデの本があるのを見て、樹生はついに覚悟して口を開いた。
「早先生の家に引き取られたのは、八歳の時」
「……小学二年生?」
「かな。父親がいなくて、母親も交通事故で死んだ。茉莉は」
「まつり?」
「ああ、姉貴の名前、……そっか、そんなことも言ってなかったんだっけ、おれは」
自分の情けなさに呆れて笑う。暁登は背を向けて衣類を畳みながら「そうだよ」と冷たく言った。
「うん、茉莉、っていうんだ。おれの姉ちゃん。十歳離れててさ。母親が死んだとき、茉莉は高校三年生で、進路が決まってた。それは変更しないって決めて、だけどおれを養うことは出来ないってなって、早先生のところに引き取られた。十八歳で家を出るまであの家にいたから、まる十年いたんだな」
ラックは簡単に組み上がった。それを机の横に動かして、段ボール箱から本を取り出す。
「それが不登校の理由?」と聞かれたので、「半分マルで半分バツ」答えた。
「あの家で暮らし始めて一年ぐらい経った頃、アトピーが酷くなった。それをクラスメイトに笑われて。こんなくだんない奴らと一緒にいるなら嫌だな、と思ったから行かなくなった。クラス内の空気のどっかに、岩永は親を亡くしたかわいそうな子、っていうのもあって、それで気を遣うのも嫌だった。授業参観とかさ、懇談会とか、運動会に音楽会、遠足の時の弁当作りとか、親の出番ってたくさんあるだろ。その度に、だったからさ」
仲の良い友人がいないわけではなかったが、それだけでは学校へ行く理由にはならなかった。
「勉強は基本ひとりでテキスト進めて、わかんないところは早先生と惣先生に教えてもらえた。教師と教授の家の子になれたんだから、すげえラッキーだったよな。
高校へ行かない選択は、自分でした。惣先生は進学を勧めたけど、おれは早くあの家を出た方がいい、って思ってたから。ただ、中卒で働けるところってほんと少なくてさ。いまの会社に決まって、収入も安定してきて、家を出られたのが十八歳の時。せいせいしたけど、淋しかった。
早く自分の家族が欲しいって思って、二十歳過ぎぐらいで水尾と知り合った。知り合ったっていうか、元から知ってたのが恋愛に発展した、って言うのかな。水尾とは、母親が起こした交通事故の時に出会ってた。おれの母親の運転してた車と、水尾の母親が運転してた車がぶつかって起きた事故だったから。うちの母親は死んだけど、水尾の母親は生きてる。でも障害が残ってさ。半身まひ」
「樹生、」と暁登が僅かに咎めるような口調で呼んだが、樹生は苦笑して首を横に振った。
「自分の嫁さん半身まひにさせられて、恨みをぶつけたくても加害者は死んじまった。そんな女の子どもと自分の娘が結婚するなんてさ、そんなの許せる訳がないよな。水尾の父親――緒方さん、に猛反対喰らった。おれも相当辛かったけど水尾の方が追い詰められてた。それでこの婚約はなかったことにしようっておれから言った。あの時の水尾の、悔しくて悲しいって顔は忘れらんないな。強烈に覚えてるけど、おれはどっかで安心もした。これで苦しいのが終わると思ったから。逃げたんだ」
「樹生、」
「行方知れずの父親のことを、茉莉はずっと許せなくてね。そもそも母親を死なせたのはあいつのせいだって思い込んで、妄執に駆られて、彼女は二十何年もそれに囚われることになった。復讐する人の執念ってほんとに凄いのな。生活の隙をついて父親探して、探して、探して。ようやく見つけたと思ったらもうとっくに死んでたってオチでさ。しかも遺体の大部分は見つかってないんだって。山の遭難死で、ただ、腕が見つかったって」
「樹生」
「そういう恨みとか、怨念、執着心、色んな感情の渦巻いている人が周りにたくさんいる環境だったのに、おれは早先生と惣先生に守られてぬくぬく育って。――だからもう、本当に過去なんだよ。全部が過去。おれにとっては大したことじゃなくて、気に病むことでもないし、話すことでもなかった」
いつの間にか暁登は静かに泣いていた。瞳から零した涙は光に透過している。なにか酷く美しく眩しいものでも見たかのように、樹生は目を細める。
「大事な人にも、話すことじゃなかったんだ。例え相手が知りたがってたとしても、おれにはどうでもいいことになってたから。秘密だとか、そんな大層なものじゃなかった」
「樹生」
「黙ってて、ごめん。でも、そう……たいしたことじゃないんだ」
暁登の体が自然に近付いたので、樹生はその頬に今度こそ手を伸ばす。涙を親指の腹で拭ったのが合図で、暁登の体温が衣類の上から寄せられた。細い体をきつく抱きしめる。
「……――あんたのことでぜってー泣くもんか、って思ってた」
とくぐもった声が肩口に浸みた。樹生はようやく触れた体温にますます力を込める。
「早先生の家で暮らしたら、楽しいだろうな」
「……楽しかったよ」
「だからあんたはこんなにさっぱりしてるんだな」
「そうかもしれない。マイナス面の感情を早先生たちは育てなかったから」
そう、樹生の中には茉莉のような怨念も、緒方のような憎しみも、水尾のような悲しみも、晩のような執着もなにもない。こんな生い立ちでいて、身体にも精神に曇りがないことがある。それが幸いだったのか不幸だったのかはわからない。ただいまは、それでいいと思っている。
大切なものをこうして抱けているのだから、いいのだと思う。
「――おれも引っ越さなきゃな」と言うと、腕の中で暁登が身じろいだ。
「あの部屋でひとりは広すぎるからな。どうせ暁登は、ここで暮らしてくんだろ、」
「うん」
「決めたんだよな」
「そう」
暁登は樹生の胸に手を置き、体と体の距離を置いた。
「あんたの夢が家庭を築くことだったら、おれの夢は自立することだった。夢というか、目標か」
「うん」
「だからいまはそれをしてみたい」
「その先は?」
「考えてない。まだ、いまは」
暁登は少しだけ笑った。その小さな微笑みを優しく感じた。柔らかな風が吹いたように感じたのだ。
実際、吹いたのかもしれない。
「ここに遊びに来てもいいよな」と言うと、暁登は頷いた。
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「組み立てたらどこに置くの、」
「机の横かな。そこには本を入れるから」
「こっちの衣類は?」
「押し入れに衣装ケース置いたから、そこに仕舞う」
樹生はラックを、暁登は衣類を仕舞いこみ始める。収納予定の本が納められた段ボール箱の中にミヒャエル・エンデの本があるのを見て、樹生はついに覚悟して口を開いた。
「早先生の家に引き取られたのは、八歳の時」
「……小学二年生?」
「かな。父親がいなくて、母親も交通事故で死んだ。茉莉は」
「まつり?」
「ああ、姉貴の名前、……そっか、そんなことも言ってなかったんだっけ、おれは」
自分の情けなさに呆れて笑う。暁登は背を向けて衣類を畳みながら「そうだよ」と冷たく言った。
「うん、茉莉、っていうんだ。おれの姉ちゃん。十歳離れててさ。母親が死んだとき、茉莉は高校三年生で、進路が決まってた。それは変更しないって決めて、だけどおれを養うことは出来ないってなって、早先生のところに引き取られた。十八歳で家を出るまであの家にいたから、まる十年いたんだな」
ラックは簡単に組み上がった。それを机の横に動かして、段ボール箱から本を取り出す。
「それが不登校の理由?」と聞かれたので、「半分マルで半分バツ」答えた。
「あの家で暮らし始めて一年ぐらい経った頃、アトピーが酷くなった。それをクラスメイトに笑われて。こんなくだんない奴らと一緒にいるなら嫌だな、と思ったから行かなくなった。クラス内の空気のどっかに、岩永は親を亡くしたかわいそうな子、っていうのもあって、それで気を遣うのも嫌だった。授業参観とかさ、懇談会とか、運動会に音楽会、遠足の時の弁当作りとか、親の出番ってたくさんあるだろ。その度に、だったからさ」
仲の良い友人がいないわけではなかったが、それだけでは学校へ行く理由にはならなかった。
「勉強は基本ひとりでテキスト進めて、わかんないところは早先生と惣先生に教えてもらえた。教師と教授の家の子になれたんだから、すげえラッキーだったよな。
高校へ行かない選択は、自分でした。惣先生は進学を勧めたけど、おれは早くあの家を出た方がいい、って思ってたから。ただ、中卒で働けるところってほんと少なくてさ。いまの会社に決まって、収入も安定してきて、家を出られたのが十八歳の時。せいせいしたけど、淋しかった。
早く自分の家族が欲しいって思って、二十歳過ぎぐらいで水尾と知り合った。知り合ったっていうか、元から知ってたのが恋愛に発展した、って言うのかな。水尾とは、母親が起こした交通事故の時に出会ってた。おれの母親の運転してた車と、水尾の母親が運転してた車がぶつかって起きた事故だったから。うちの母親は死んだけど、水尾の母親は生きてる。でも障害が残ってさ。半身まひ」
「樹生、」と暁登が僅かに咎めるような口調で呼んだが、樹生は苦笑して首を横に振った。
「自分の嫁さん半身まひにさせられて、恨みをぶつけたくても加害者は死んじまった。そんな女の子どもと自分の娘が結婚するなんてさ、そんなの許せる訳がないよな。水尾の父親――緒方さん、に猛反対喰らった。おれも相当辛かったけど水尾の方が追い詰められてた。それでこの婚約はなかったことにしようっておれから言った。あの時の水尾の、悔しくて悲しいって顔は忘れらんないな。強烈に覚えてるけど、おれはどっかで安心もした。これで苦しいのが終わると思ったから。逃げたんだ」
「樹生、」
「行方知れずの父親のことを、茉莉はずっと許せなくてね。そもそも母親を死なせたのはあいつのせいだって思い込んで、妄執に駆られて、彼女は二十何年もそれに囚われることになった。復讐する人の執念ってほんとに凄いのな。生活の隙をついて父親探して、探して、探して。ようやく見つけたと思ったらもうとっくに死んでたってオチでさ。しかも遺体の大部分は見つかってないんだって。山の遭難死で、ただ、腕が見つかったって」
「樹生」
「そういう恨みとか、怨念、執着心、色んな感情の渦巻いている人が周りにたくさんいる環境だったのに、おれは早先生と惣先生に守られてぬくぬく育って。――だからもう、本当に過去なんだよ。全部が過去。おれにとっては大したことじゃなくて、気に病むことでもないし、話すことでもなかった」
いつの間にか暁登は静かに泣いていた。瞳から零した涙は光に透過している。なにか酷く美しく眩しいものでも見たかのように、樹生は目を細める。
「大事な人にも、話すことじゃなかったんだ。例え相手が知りたがってたとしても、おれにはどうでもいいことになってたから。秘密だとか、そんな大層なものじゃなかった」
「樹生」
「黙ってて、ごめん。でも、そう……たいしたことじゃないんだ」
暁登の体が自然に近付いたので、樹生はその頬に今度こそ手を伸ばす。涙を親指の腹で拭ったのが合図で、暁登の体温が衣類の上から寄せられた。細い体をきつく抱きしめる。
「……――あんたのことでぜってー泣くもんか、って思ってた」
とくぐもった声が肩口に浸みた。樹生はようやく触れた体温にますます力を込める。
「早先生の家で暮らしたら、楽しいだろうな」
「……楽しかったよ」
「だからあんたはこんなにさっぱりしてるんだな」
「そうかもしれない。マイナス面の感情を早先生たちは育てなかったから」
そう、樹生の中には茉莉のような怨念も、緒方のような憎しみも、水尾のような悲しみも、晩のような執着もなにもない。こんな生い立ちでいて、身体にも精神に曇りがないことがある。それが幸いだったのか不幸だったのかはわからない。ただいまは、それでいいと思っている。
大切なものをこうして抱けているのだから、いいのだと思う。
「――おれも引っ越さなきゃな」と言うと、腕の中で暁登が身じろいだ。
「あの部屋でひとりは広すぎるからな。どうせ暁登は、ここで暮らしてくんだろ、」
「うん」
「決めたんだよな」
「そう」
暁登は樹生の胸に手を置き、体と体の距離を置いた。
「あんたの夢が家庭を築くことだったら、おれの夢は自立することだった。夢というか、目標か」
「うん」
「だからいまはそれをしてみたい」
「その先は?」
「考えてない。まだ、いまは」
暁登は少しだけ笑った。その小さな微笑みを優しく感じた。柔らかな風が吹いたように感じたのだ。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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