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あらかじめインターネット上で外観を検索していたとはいえ、その古さと大きさには驚いた。夏居旅館は実に立派な建物だった。
早は勝手を知っているのだろう、旅館の広い玄関へゆっくり歩いて行く。樹生はその後ろを物珍しく見渡しながらついていった。高い天井の高いところに色ガラスが填まっているのが珍しい。ステンドグラスというほど細かな造作がしてあるわけではないが、陽を透かして赤や黄色の光を飴色の床に所々落としていた。
前を行く早が立ち止まる。「草刈さん」と早を出迎えたのは夏居巌の息子、夏居嘉彦だった。
「――と、岩永ジュニア」
樹生をそう呼ぶ。
温泉旅館の跡取りなのだから相応の格好でいるのかと思えば、嘉彦はシャツにチノパンを穿くだけのごくラフな格好だった。これをどうやって見ても死んだ母には似ないのだが、半分は母と同じ血が流れていると思うと、嘉彦への見方が変わる。あまり歓迎すべき事柄ではないと思ったが、茉莉以外の血縁者に会ったことなどほぼなかった。
「いつ到着するかって、親父が珍しく気を揉んでましたよ。草刈さんから出向いてくれるなんて久しぶりだからかな?」
「そうかもしれませんね。私がここへ来るのは十年は前になりますから」
「あの時はご夫婦でいらしてくださいましたね」
「ええ、そうでした」
こちらへ、と嘉彦の案内に続いて長い廊下をスリッパで進む。大きな階段を上り、さらに廊下の奥へと進んだ。先には一等室があるのだと嘉彦が説明する。
「そこに親父もいますんで。食事の用意は出来ています。すぐに運ばせますね。――さあ、どうぞ」
そう言って突き当たりの部屋、「さくら」と書かれた札のついた部屋の引き戸を嘉彦がすらりと開けた。部屋の入口は二重になっている。「父さん、草刈さんだよ」と声を掛けながら嘉彦はその扉も開けてくれた。
まず初めに目に飛び込んで来たのは、大きな窓だ。その窓いっぱいに白っぽいソメイヨシノが満開に咲き乱れていた。
二階にある部屋なので、桜の枝振りを間近で見ることが出来た。部屋の窓際に豪奢なテーブルと籐椅子が置かれ、そこに夏居巌が和装で座っている。傍らには同じく和装の女性が立ち、茶を淹れていた。女性の着る淡い黄色の着物は、座る夏居巌の紺色のパリッとした着物と対照的で、それが桜の前にあるのだから絵になった。高価な日本画でも眺めている気になる。
おっとりと微笑む女性は、よく見ればそう若くもない。嘉彦の嫁だということを、その後の話の流れで察した。いわゆる「女将」だ。
早と樹生をちらりと見て、巌は「来たか」とぶっきらぼうに言った。
「お言葉に甘えまして、花見に来ました」
と早が言う。女性が椅子を勧めてくれた。巌の隣に早は腰掛ける。樹生はどうしてよいやら、ぼんやり立っていた。桜に見とれる振りをする。
「すぐにお食事お持ちしますね」と女性が言って部屋を出る。早と巌は花の話を始めた。年々白化が進む花はそろそろ寿命なのだとか、それでもこうして今年も見事な花をつけてくれたとか、そんな話だった。
「岩永樹生」
と、巌が唐突に発声した。
「座らんか。食事が来るからな」
そう言われて樹生はようやく椅子に腰掛ける。それでもまだ花を見る振りをした。なかなか巌の顔を正面からは見られない。どう見ていいのかよく分からなかった。
運ばれて来た食事は、三段重ねの弁当だった。
夏居旅館は依頼があれば仕出しもしており、この弁当は花見のシーズンにだけ提供する、特別なものなのだという。一段目には色とりどりの野菜の惣菜が品良く詰められ、二段目には肉や魚の焼き物が、三段目にはころんと丸い手毬寿司が入っている。どれもこれも手が込んでいる。飾り付けを見て早は「まあ、かわいらしい」と嬉しそうに微笑んだ。
早と、巌と、樹生とで花を眺めながら弁当を食べた。主には早と巌が喋るだけで樹生は一向に口を挟めなかったし、話す事柄も思い付かなかった。この人が自分の祖父である、という事実に実感が湧かない。当たり前だ。交流は全くなかった。
弁当は美味かったのだが、食べ終えて樹生は煙草が吸いたくなった。さすがに部屋は禁煙だろう。そのことを早と巌に申し出ると、階下に降りれば喫煙スペースがあると言った。
「……じゃあ、まあ、吸いながらちょっと散歩でもしてきます」
そう言って逃げるように部屋を出た。
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粟津原栗子
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お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
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甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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