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「――え?」
「ちょっと行き違ってしまって、実家に戻ってるんです、いま。でももう少し色々がきちんと落ち着いて来たら、また家を出ます」
「……今度は、」
「ひとりで暮らしてみようと思っています」
暁登は目を細めて頭の後ろを掻いた。
「就職っていうか、……アルバイトみたいなもんなんですが、決まって」
「まあ。おめでとうございます」
それでこんなにさっぱりとした格好なのかと合点がいった。
「どこへ決まったんですか?」
「市内からちょっと外れたところにある、小さな出版社です。絵本とか図鑑とか、地域に根差した郷土の本とか、そういうの、出してて」
「ああ、もしかして詩烏出版?」
暁登は「お、」と嬉しそうな顔をした。
「当たりです、その、シガラスさん」
「主人がよく本を取り寄せていましたし、そこから本も出していたかと思います。小さいながら素敵な本を出版する会社だなと思っていました」
「そう、おれも早先生のご主人の本を整理してて初めて知った会社だったんですけど。……求人が出ていたので、思い切って、」
ということは早の夫が繋げた縁だったのだろうか。早は微笑む。
「よかったですね」
「まだ始めたばかりなんで、おれのしていることって本当に雑用ばっかりなんですが、……小さい分、職場の雰囲気がいいんです。忙しいですが、気持ちがゆったりしてるというか。
そこは洋書の輸入販売もしていて、翻訳家の方にお願いして日本語版を出す時もあって。その担当をしている先輩に、色々と教わって仕事をしています」
そう言った暁登の表情は、今までに見ない自信や期待が垣間見えた。不安がないわけではない。けれどこの進路に本人は意志を持って向かっている。そういう、あたらしい表情だ。
春にふさわしいのだと思えた。
早は暁登の自立を素直に喜ぶ。前向きな人を見るのは心が豊かになるようだといつも思う。暁登の苦しんでいる姿を長いこと見ていたので、それは蕾のふくらみだとか、日照りの後の慈雨、冬眠からの目覚め、そんな風に感じた。
季節は巡る。四季のあるこの地域に暮らせて嬉しいと思う。青年にようやく春が来た。
「本当に、本当によかったですね」
と言うと、青年は照れを隠してうつむき、また顔を上げて真正面から早の顔を捉えた。ありがとうございます、と穏やかに礼を述べる。
「それでも、今までこの家でやっていたことは途中で辞めたくはないんです」と暁登は言った。
「書斎の整理とか、」
「ああ……そうですね。急ぐものではないので焦りはしないのですが」
「今までよりペースは落ちてしまうと思いますが、休みの日はここへ来てもいいでしょうか」
そう訊ねた暁登の瞳は不安げに曇る。もちろん拒否する理由はなかった。
「助かります。それに、嬉しいです」
「よかった」
「来たいと思う時にいらして下さい」
暁登は分かりやすく安堵の息を吐くと、「これで行きます」と背後のバイクにちらりと目をやった。これから仕事なのだと言う。
去り際、暁登は「岩永さん、」と呟いて、早を振り返った。
「……いや、」
「え?」
「なんでもないです。じゃあ、また」
暁登は今度こそ迷いない足取りで早の畑を後にした。
→ 64
← 62
「ちょっと行き違ってしまって、実家に戻ってるんです、いま。でももう少し色々がきちんと落ち着いて来たら、また家を出ます」
「……今度は、」
「ひとりで暮らしてみようと思っています」
暁登は目を細めて頭の後ろを掻いた。
「就職っていうか、……アルバイトみたいなもんなんですが、決まって」
「まあ。おめでとうございます」
それでこんなにさっぱりとした格好なのかと合点がいった。
「どこへ決まったんですか?」
「市内からちょっと外れたところにある、小さな出版社です。絵本とか図鑑とか、地域に根差した郷土の本とか、そういうの、出してて」
「ああ、もしかして詩烏出版?」
暁登は「お、」と嬉しそうな顔をした。
「当たりです、その、シガラスさん」
「主人がよく本を取り寄せていましたし、そこから本も出していたかと思います。小さいながら素敵な本を出版する会社だなと思っていました」
「そう、おれも早先生のご主人の本を整理してて初めて知った会社だったんですけど。……求人が出ていたので、思い切って、」
ということは早の夫が繋げた縁だったのだろうか。早は微笑む。
「よかったですね」
「まだ始めたばかりなんで、おれのしていることって本当に雑用ばっかりなんですが、……小さい分、職場の雰囲気がいいんです。忙しいですが、気持ちがゆったりしてるというか。
そこは洋書の輸入販売もしていて、翻訳家の方にお願いして日本語版を出す時もあって。その担当をしている先輩に、色々と教わって仕事をしています」
そう言った暁登の表情は、今までに見ない自信や期待が垣間見えた。不安がないわけではない。けれどこの進路に本人は意志を持って向かっている。そういう、あたらしい表情だ。
春にふさわしいのだと思えた。
早は暁登の自立を素直に喜ぶ。前向きな人を見るのは心が豊かになるようだといつも思う。暁登の苦しんでいる姿を長いこと見ていたので、それは蕾のふくらみだとか、日照りの後の慈雨、冬眠からの目覚め、そんな風に感じた。
季節は巡る。四季のあるこの地域に暮らせて嬉しいと思う。青年にようやく春が来た。
「本当に、本当によかったですね」
と言うと、青年は照れを隠してうつむき、また顔を上げて真正面から早の顔を捉えた。ありがとうございます、と穏やかに礼を述べる。
「それでも、今までこの家でやっていたことは途中で辞めたくはないんです」と暁登は言った。
「書斎の整理とか、」
「ああ……そうですね。急ぐものではないので焦りはしないのですが」
「今までよりペースは落ちてしまうと思いますが、休みの日はここへ来てもいいでしょうか」
そう訊ねた暁登の瞳は不安げに曇る。もちろん拒否する理由はなかった。
「助かります。それに、嬉しいです」
「よかった」
「来たいと思う時にいらして下さい」
暁登は分かりやすく安堵の息を吐くと、「これで行きます」と背後のバイクにちらりと目をやった。これから仕事なのだと言う。
去り際、暁登は「岩永さん、」と呟いて、早を振り返った。
「……いや、」
「え?」
「なんでもないです。じゃあ、また」
暁登は今度こそ迷いない足取りで早の畑を後にした。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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