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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 あの時、暁登は何を言いかけたのか。
 樹生とのシェア生活を解消したのは何が理由だったのか、聞いていない。尋ねれば答えてくれたかどうかは分からない。それでも聞いてみてもよかったかもしれない。暁登の最後の行動には迷いがあるように見えた。迷いながらも、歯を食い縛って前進したのだ。
 畑の雑草が気になり、背を丸めてそれを抜いているうちに、樹生がやって来た。「先生」と呼びかけられ、早は振り向く。樹生に会うのは久しぶりで、だが変わらずにいるのだと思い込んでいて、違った。ひとつ試練を乗り越えたからだろうか、岩永樹生という男は、なんだかしぼんで一回り小さくなったように見えた。
 実際にはそんなことはない。高い上背も確かな骨肉の量も変わらない。表情のせいなのだと察する。樹生の表情はあまり冴えたものではなく、なんとなく疲労と痛みを滲ませていた。
 この表情は、昔の記憶を呼び起こす。あの秋雨の日、病院から姉弟を連れて夫が帰って来た時、少年はこれと同じ顔をしていた。何かを失った顔。安堵しながらも絶望している顔だ。
 背の高い男は「先生」と再び早を呼んだ。早は立ち上がろうとしてよろけ、咄嗟に男の腕が伸び、抱えられた。
「――っと、」
「すみません、大丈夫ですよ」
 言いながら体勢を立て直す。早の手は土で汚れていたので、樹生の衣服を掴んで汚すのは申し訳ないと思った。だが樹生は構わず、むしろ自分から手を伸ばして早の手を取ると、その皺だらけの手をしげしげと眺めた。
「……どうしました?」
「先生っていくつになったんでしたっけ」
 唐突な質問に面食らう。女性の、皺の刻み具合を見てそれを尋ねたのならば失礼な話だとも思ったが、元より年齢を気にする性分でもない。「七十八歳ですよ」と答えた。「去年が喜寿で、あと二年で傘寿が来ます」
「もうそんな年でしたっけ?」
「そうですよ。樹生さんは今年三十一歳でしょう? あなたを引き取ったのが二十四年前ですから、そんなになりますよ」
「すごいな」
「なにが?」
「おれは四半世紀も先生の傍にいますね」
 その言い方があまりにしみじみとしたものだったので、早は目を瞬かせる。
「親の記憶なんてないわけですよね」
「……私はあなたが生まれるよりずっと前から、あなたのお父さんを知っています」
 言い方を誤らぬよう、声音に心がこもらぬよう、早は丁寧に気を付けて発言する。
「あなたのお父さんの背が伸びる速度を見てきました。――一指導者として、ですけれども。そして樹生さんの背が伸びる速度も、見ました。ですから、誰もあなたを見ていない、ということではないんですよ」
 そう言うと、樹生は顔を背けて手を離した。庭の隅の水道で手を洗い、ハンカチで拭う。「行きましょうか」と声をかけた時、樹生は雑木林を見上げていた。
 樹生の車に乗り込む。S温泉郷へ行くのは初めてだとカーナビを操作しながら樹生は言ったが、早はそれを訂正した。
「――え?」
「一度、惣先生とあなたは夏居旅館に湯治に行っています」
「え、いつ?」
「アトピーが気になりだしたころ、でしたね。S温泉郷の泉質は皮膚症状に効く、と有名でしたから、夫があなたを連れて行ったんです」
「……全然覚えてないです」
「気にすることはありませんよ。親の記憶がないことと同じです。忘れてしまっているだけで、実際には起こっている事実です」
 カーナビを設定し終えて樹生はしばらく黙ったが、やがて「じゃあ、行きます」と静かに言い、車を発進させた。



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2018.6.18追記
先日より忍者ブログに障害が起こっていたらしく、ブログの管理画面に入れず、
よって更新が遅くなってしまいました。

現在は復旧したようです。ご迷惑をおかけしました。


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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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