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六. 薄氷を踏む
揃って汁粉を頼むと、店員は「お待ちくださいね」と言ってパタパタと足音をさせて下がっていった。一枚板の大きなテーブルが贅沢だと思う。思わず鼻歌でも出てしまいそうな気持ちになっているのは、これが本当に久しぶりの外出であるからだった。
市街地に昔からある甘味処で、買い物に来ればここへ寄って甘いものを食べて帰った日が懐かしい。外出だからと、久々に指に指輪を嵌めた。老いて細くなった手には不釣り合いな指輪だったが、向かいに座る暁登はそれを褒めてくれた。
「赤が綺麗ですね」
「この赤い石はガーネットです」
「名前を聞いたことはありますが、あんまりこういうことには、興味がなくて」
暁登は申し訳なさそうな顔をしたが、早はふふ、と笑う。
「久しぶりの外出ですから、これでも少し張り切ったんですよ。こんな指輪はね、もう似合わないと分かっているんです。若いころに母からもらったものです。たまにはお洒落でもしなさいと、あの時はこれに合うようなワンピースも一緒に仕立ててくれて」
「そのワンピースは?」
「さすがにもう着られません。いつかのタイミングで処分しました。でも、真っ白い襟が素敵なワンピースでした。よく覚えています」
派手なデザインではなかったので、結構な年齢になるまで大事に着ていた。それを着て夫と出かけた記憶もある。あの時も指にはこの指輪を嵌めた。
いま、こうして早と外出に付き合ってくれるのは、なんの縁なのか、若い男だ。夫が聞いたらどんな顔をするだろう。「早さんやるじゃないか」と唸る夫の表情が見えた気がして、早はくすりと笑う。
二月の初旬で、よく晴れている。今日の外出はつい先ほど決めた。いつものようにやって来た暁登があまりにも浮かない顔――というよりは、なにかに苛立っている刺々しい空気感、でいたので、「甘いものでも食べに行きませんか?」と暁登を誘った。ちょうどよくバスがあったので、それを使って市街地までやって来たのだ。
暁登という男は、定期的に「陥る」。自分の不甲斐なさを歯がゆく思い、落ち込み、食欲をなくしたり眠れなくなったりしている。ただそれは暁登自身にかかわることだった。だからそのたび、「また内側に落っこちている」と心の中で思っていた。
だが今日の暁登は違った。どうも「外側に苛立っている」のだ。暁登にしては珍しく、何かに怒っている。それは自分自身のことではなくて、外側にあるものに対してだ。怒りの対象がはっきりと存在する。それが何であるかを暁登は明らかにしていないが、とにかく彼は怒っている。
冬も終わりが見えそうで、まだ終わらない。陽光は日に日に強くなっていくのを感じるが、風は冷たいし、朝晩は冷え込み、地面は硬い。いつか「この時期が一番消耗する」と言っていたのは、夫の友人だった。彼は農業を営んでいて、冬のこの時期は畑に出られないのだから農閑期なのではと思い込んでいた早には意外な台詞だった。
『そろそろ春の畑の準備をしたいですからね、外へ出るでしょう。風は冷たいけれど陽は長くなり始めているから、外での活動時間が自然と長くなります。ですが体は冬のまま。なまっている体にはきつい、冬の日ですよ』
なるほどな、と思ったものだ。
そういう、季節的なことをこの青年に当てはめていいのか迷うが、無きにしも非ず、といったところだろう。早自身も家にこもる日が続いていたので、正直飽きていた。外へ出てますます消耗するという例もあるが、疲れたら早めに帰って風呂にでもゆっくり浸かればいい。ただちょっとおやつを食べに街へ出てみた。気分転換の散歩の上級版。暁登は嫌がらずについてきてくれたので、楽しい気分になっていた。
やがて店員が盆に椀を乗せて戻って来た。焼いた餅が熱い小豆の汁に浮いている。こうばしく甘い匂いを嗅いで、急激に胃が動いた。「いただきます」と手を合わせて箸を取ったが、暁登は一緒に運ばれた豆皿の上に乗った青菜の漬物を不思議そうに眺めている。
「どうしましたか?」
「なんで漬物が出て来るんだろう、と思って」
頼んでいないものが出て来たので首をひねっている。「お汁粉を外で食べたことはありますか?」と訊くと、暁登は首を横に振った。
「あまりこういう店ってないですし、あっても入ったことはないです」
「そうでしたか」
「この漬物は食べていいんですよね」
その尋ね方がおかしくて、早は微笑みながら頷いた。
「汁粉を頼めば、たいていはこういうものがついてきます。地域で様々なようですが、しその実や塩昆布のところが多いでしょうか。梅干しのお店もありました。このお店はその季節の漬物ですね」
「どうしてですか?」
「汁粉は口が甘くなるから、口直しという意味合いなのだと思いますよ」
「へえ、……知らなかった」
それから暁登は改めて汁粉に口をつける。食べているうちに青白かった頬には赤みが戻ってきて、早は安心した。
店は程よい時間で切り上げた。途中のスーパーで少しだけ買い物をして、またバスに乗って戻る。車内で暁登がようやく口を開く。発せられたのは樹生に対する不満だった。
→ 42
← 40
市街地に昔からある甘味処で、買い物に来ればここへ寄って甘いものを食べて帰った日が懐かしい。外出だからと、久々に指に指輪を嵌めた。老いて細くなった手には不釣り合いな指輪だったが、向かいに座る暁登はそれを褒めてくれた。
「赤が綺麗ですね」
「この赤い石はガーネットです」
「名前を聞いたことはありますが、あんまりこういうことには、興味がなくて」
暁登は申し訳なさそうな顔をしたが、早はふふ、と笑う。
「久しぶりの外出ですから、これでも少し張り切ったんですよ。こんな指輪はね、もう似合わないと分かっているんです。若いころに母からもらったものです。たまにはお洒落でもしなさいと、あの時はこれに合うようなワンピースも一緒に仕立ててくれて」
「そのワンピースは?」
「さすがにもう着られません。いつかのタイミングで処分しました。でも、真っ白い襟が素敵なワンピースでした。よく覚えています」
派手なデザインではなかったので、結構な年齢になるまで大事に着ていた。それを着て夫と出かけた記憶もある。あの時も指にはこの指輪を嵌めた。
いま、こうして早と外出に付き合ってくれるのは、なんの縁なのか、若い男だ。夫が聞いたらどんな顔をするだろう。「早さんやるじゃないか」と唸る夫の表情が見えた気がして、早はくすりと笑う。
二月の初旬で、よく晴れている。今日の外出はつい先ほど決めた。いつものようにやって来た暁登があまりにも浮かない顔――というよりは、なにかに苛立っている刺々しい空気感、でいたので、「甘いものでも食べに行きませんか?」と暁登を誘った。ちょうどよくバスがあったので、それを使って市街地までやって来たのだ。
暁登という男は、定期的に「陥る」。自分の不甲斐なさを歯がゆく思い、落ち込み、食欲をなくしたり眠れなくなったりしている。ただそれは暁登自身にかかわることだった。だからそのたび、「また内側に落っこちている」と心の中で思っていた。
だが今日の暁登は違った。どうも「外側に苛立っている」のだ。暁登にしては珍しく、何かに怒っている。それは自分自身のことではなくて、外側にあるものに対してだ。怒りの対象がはっきりと存在する。それが何であるかを暁登は明らかにしていないが、とにかく彼は怒っている。
冬も終わりが見えそうで、まだ終わらない。陽光は日に日に強くなっていくのを感じるが、風は冷たいし、朝晩は冷え込み、地面は硬い。いつか「この時期が一番消耗する」と言っていたのは、夫の友人だった。彼は農業を営んでいて、冬のこの時期は畑に出られないのだから農閑期なのではと思い込んでいた早には意外な台詞だった。
『そろそろ春の畑の準備をしたいですからね、外へ出るでしょう。風は冷たいけれど陽は長くなり始めているから、外での活動時間が自然と長くなります。ですが体は冬のまま。なまっている体にはきつい、冬の日ですよ』
なるほどな、と思ったものだ。
そういう、季節的なことをこの青年に当てはめていいのか迷うが、無きにしも非ず、といったところだろう。早自身も家にこもる日が続いていたので、正直飽きていた。外へ出てますます消耗するという例もあるが、疲れたら早めに帰って風呂にでもゆっくり浸かればいい。ただちょっとおやつを食べに街へ出てみた。気分転換の散歩の上級版。暁登は嫌がらずについてきてくれたので、楽しい気分になっていた。
やがて店員が盆に椀を乗せて戻って来た。焼いた餅が熱い小豆の汁に浮いている。こうばしく甘い匂いを嗅いで、急激に胃が動いた。「いただきます」と手を合わせて箸を取ったが、暁登は一緒に運ばれた豆皿の上に乗った青菜の漬物を不思議そうに眺めている。
「どうしましたか?」
「なんで漬物が出て来るんだろう、と思って」
頼んでいないものが出て来たので首をひねっている。「お汁粉を外で食べたことはありますか?」と訊くと、暁登は首を横に振った。
「あまりこういう店ってないですし、あっても入ったことはないです」
「そうでしたか」
「この漬物は食べていいんですよね」
その尋ね方がおかしくて、早は微笑みながら頷いた。
「汁粉を頼めば、たいていはこういうものがついてきます。地域で様々なようですが、しその実や塩昆布のところが多いでしょうか。梅干しのお店もありました。このお店はその季節の漬物ですね」
「どうしてですか?」
「汁粉は口が甘くなるから、口直しという意味合いなのだと思いますよ」
「へえ、……知らなかった」
それから暁登は改めて汁粉に口をつける。食べているうちに青白かった頬には赤みが戻ってきて、早は安心した。
店は程よい時間で切り上げた。途中のスーパーで少しだけ買い物をして、またバスに乗って戻る。車内で暁登がようやく口を開く。発せられたのは樹生に対する不満だった。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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