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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 古い掛け時計がボーンと鳴って、早は我に返る。毛玉を取り終えたセーターを畳んで紙袋に押し込み、ゆっくりと立ち上がる。窓の外を見ると雪があっという間に積もり、どこもかしこも真っ白く覆われていた。
 ポーン、と呼び鈴が鳴らされた。
 こんな日に誰がやって来るだろう。もう夕方になろうかという時刻だった。早が玄関へ向かう途中で、再び鳴らされる。「どちら様ですか?」と大きな声で内側から訊ねると、「ごめんください」と女の声がした。
 声で誰なのか分かったが、あまりにも意外な声だったので早は驚く。鍵を開けるとそこに立っていたのは樹生の姉・茉莉だった。
 漆黒のダウンジャケットに柔らかく仕立ての良さそうな灰色のマフラーを巻き、そこに鼻先を埋めている。ブーツには雪がまとわりついていた。庭先に積もった雪に点々と茉莉の足跡だけが残っている。
 風に長い髪がなびいた。こんなに冬そのものみたいな日に現れた茉莉を見て、早の頭にぽっと浮かんだのは「雪女」だった。人ならざる雰囲気を感じたのだ。
「……ごめんなさいね、雪かきをきちんとしていなくて」雪まみれの靴を見ながらそう言うと、しかし茉莉は首を横に振った。
「上がりますか?」
「……いえ。あの、最近樹生に会っていますか?」
 茉莉は酷く疲労しているように見えたが、瞳だけは強く光る。ただ、縋り付くような色もあったから、彼女のこんな表情は珍しいと思った。
「最近……と言っていいのか分かりませんが、年始にこちらへ顔を出してくれましたよ。その後、電話も」
「あの子、元気ですか?」
「ええ、おそらくは」
「ならいいです」
 と言って、茉莉は早に頭を下げる。そのまま足早に去ってしまった。相変わらずどういう行動を起こすか分からない女性だと思う。
 樹生の様子が知りたいなら、本人に直接電話なりなんなりをすればよいのだ。今まで定期的にそうやって連絡を取り合って来た姉弟だ。いまは違う、とでもいうのだろうか。姉弟の関係がどうなっているのかが分からない。
 雪の降りしきる中をひとりで消えていった女に、早の胸はざわめく。だからと言って追いかけはしないし、これから樹生に連絡を取ることもしないだろう。
 早はこの家にいて、あの姉弟のすることに何も干渉はしない。それはあの姉弟が探し物を始めた時に決めたことでもあった。



 その寒波がもたらした積雪は、結局50cmほどになった。雪への備えはある程度してあるからさほど騒ぐことでもなかったが、その後の晴れ間の方が樹生には恐怖に感じた。晴れれば雪が溶ける。溶けて乾いてくれれば道路が開くので結構なことなのだが、乾かないと厄介だ。晴れた分大気は温度を放出して、今度は一気に冷え込む。濡れた地面は凍って固まり、路面はスケート場のようになる。
 凍結防止剤を撒くのだが、要するに塩なのでこれも厄介だ。車の腹側につくとそこから錆びていってしまう。生活にも仕事にも車を使わないことは考えられないので、気を遣う分、面倒に感じる。
 凍って溶けてまた凍る。そういう悪路の中、樹生は仕事に出る。バイクで郵便を配るか、車に乗って荷物を配るかを樹生が今いる集配局ではシフトでまわしており、その日の樹生は車で荷物を運ぶ役割だった。荷物には時間指定があるので郵便と違って少し面倒くさい。配りながらもあちこちに設置されたポストを開けて郵便物を取り集めて来る役割もあるので、道順をうまく組み立ててから出発しないと時間に追われることになる。
 市内の大きな総合病院も配達区域内に入っている。病院の前には小さなポストが設置されていた。車を脇に止めてそこから郵便物を集めていると、視界の端からキラッと光りが飛び込んで来た。
 光った方向へ顔を向けると、そこには腹の大きな女性がいた。女性はカバンに車の鍵を仕舞うところだったので、その鍵が反射して樹生に光を届けたのだと察した。
 この病院は産婦人科があるので、こういう光景は珍しくない。腹を大きくした女性は病院の入口、樹生のいる方へゆっくりと歩いてくる。樹生はポストを再び施錠すると、軽く会釈だけして傍らの車へ乗り込んだ。女性は樹生の方を向かなかったが、車を発進させようとしたとき、その白い顔が視界に映り、樹生は思わず目を見開く。
 ――なんで水尾(みお)がここにいる。
 とっさに思ったのは、それだった。ドドッと心臓がテンポを乱して暴れはじめるのを、呼吸を大きくすることで抑え込む。
 ――そりゃ、いてもおかしくないか。
 冷静に頭は分析を始めた。女性は赤い車の脇をすり抜け、病院の中へ吸い込まれていく。
 ――実家から一番近い、産婦人科のある病院って、ここか。
 ふ、と大きく長く息を吐く。
 ――結婚、したとは聞いた。子どもが生まれるのか。
 瞬間、ありとあらゆる記憶とそれに伴う感情に襲われて、樹生は身動きが取れなくなる。もう過去になったはずで、心は痛まないはずで、――それでもやはり動揺している自分がいる。
 コンコン、と車の窓ガラスを叩かれて本当に驚いた。見れば病院のスタッフらしき格好をした女性が立っている。樹生はこわばった体を瞬時に動かして車のウインドウを下げた。
「すみません、この郵便物って預かってもらえますか?」
 スタッフが手にしているのは切手の貼られた封書だった。
「普通郵便でよろしいですか?」
「あ、はい。ポストに投函しようと思っていて忘れていて。赤い車が集めに来たのが見えたからいま慌てて」
「大丈夫ですよ。お預かりしますね」
 樹生は封書を受け取り、ようやく車を発進させた。体中から汗が噴き出ていて、無性に煙草が吸いたいのを、ラジオを点けることでやり過ごした。
 水尾は、綺麗だった。昔も綺麗だったが、今はもっと綺麗に見えた。
 かつての婚約者のことを樹生はそう評価する。やりきれない気持ちになるのを無理やりこらえる。
 幸せそうだから、自分とは別れてよかったのだと、そうこじつけた。


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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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