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「――え?」
「岩永、……なわけないよな。もしかして、息子か?」
「あの、」
「そうだそうだ、息子だ。すごいな、昔の岩永にうり二つだ。よく似ている。背の高いところも」
「……」
「身長いくつ?」
訊かれて戸惑ったが、「189cm」と答えると、中年男は笑う。
「あいつは190cmだとよく自慢していた。そこは負けたな」
誰なのか、なんなのか、父を知っているのか――あの男を。樹生が黙ったままでいるうちに老人を支えて、男は玄関を上がる。
「誰だ?」と老人が樹生に向き直った。小刻みに体が震えている。髭は豊かだがかなりの高齢のようで、耳も遠いようだった。中年男が大声で答える。
「岩永の息子だよ、息子。ほら覚えてるだろ? おれの大学の時の同期でさ、家にも何回か遊びに来てる。親父も会ったことあるだろ」
「息子? ああ、息子か」
老人が樹生を見上げる。皺だらけの目元の奥の瞳は、まるで品定めでもするかのようにぎょろりと開かれる。
「草刈が引き取った息子か。あの、かわいそうな」
「……」
「ふうん。でかくなったもんだ。おれが見たときは痩せて、肌も荒れててな。みすぼらしい少年だったが」
老人の手が樹生の腕に伸びた。
「たらふく食ったか、この家で」
「夏居さん、」早が咎める。
「でかくなったな。立派なもんだ」
腕を軽く叩き、老人は廊下の先へ進もうとする。中年男が慌てて老人の体を支えた。
「先に行っていてください」
と、男らに言い、早は棒立ちのままの樹生の手を取った。「樹生さん、あなたはお仕事へ行きましょう」と玄関の扉を開ける。
「夏居さんはものの言い方が悪いので、嫌な思いをさせましたね」と早は樹生を見上げる。
「……あの人たち、」
「言い方は悪いですが、根まで悪い人ではありません。どうか気にしないで」
「……」
「お仕事、気をつけて行ってらっしゃい。またお話しましょう。今日は嬉しかったですよ」
樹生の手をぎゅっと握って離し、早は家の中へ入った。
言い方は悪いが悪い人ではない。そう言われてもたったいま向けられた悪意を許す気になれない。老人の言葉がぐるぐると巡った。かわいそうな、みすぼらしい少年。
少年には家族がいた。父と母と十歳離れた姉と、四人で暮らしていた。
だが少年がものごころついた頃には、なぜか家の中には父の姿がなかった。母は「お仕事で遠くへ行っているのよ」と答えたが、それにしても帰ってこない。何日、何週間、何カ月、何年。さすがにおかしいのだと少年も気付いたが、父の不在に慣れきっていたので淋しいとは思っていなかった。
少年が小学校へ上がった頃には、家はすっかり荒れて貧しかった。母はずっと勤めに出ていて、帰宅するのは深夜だった。姉は学校に通いながらバイトをしていた。ふたりとも帰ってくると少年の世話を焼いてはくれたが、明らかに疲労しており、その姿が痛々しくて少年には苦痛だった。
ある雨の日、学校へ知らないおじさんが少年を迎えに来た。
病院へ行こうと言われた。強面のおじさんに連れられて少年は総合病院へ行く。廊下の長椅子に制服姿の姉がピンと背を伸ばして腰かけ、前を見ていた。前だけを、呆然と見つめていた。少年に気付くと姉は「お母さんが死んだ」と少年に告げた。
会っておいでと言われたが、白布をかけられたなにかに近寄る気にもなれなかった。少年にはなにか理解し難いことが起きていて、だが理解する努力を彼は放棄した。
ただ、少年の肩を強く掴んでいるおじさんのきつい瞳を見たとき、納得はした。母はいない。父もいない。姉はいるが、いままで通りの生活にはならない、と。
おじさんは「きみたちはたくさん食べよう」と言って、おじさんの家に姉弟を連れ帰った。家にはなんとなく見覚えのあったおばさんがいて、姉が「サキセンセイ」とおばさんを呼んだので、それを真似した。「サキセンセイ」はテーブルにたくさんの食事を用意して待っていた。
泣きはしなかった。何も悲しくはなかった。むしろ、もう疲れ切った母の頭を撫でてやらなくてもいいのだな、と思ったら、安心してしまった。
「少年」は「あの家」で「たらふく」食べて、よく寝て、遊んだ。そうして「立派」に成長した。なにも間違ってはいない。
あの老人の言った通りだ。
「岩永、……なわけないよな。もしかして、息子か?」
「あの、」
「そうだそうだ、息子だ。すごいな、昔の岩永にうり二つだ。よく似ている。背の高いところも」
「……」
「身長いくつ?」
訊かれて戸惑ったが、「189cm」と答えると、中年男は笑う。
「あいつは190cmだとよく自慢していた。そこは負けたな」
誰なのか、なんなのか、父を知っているのか――あの男を。樹生が黙ったままでいるうちに老人を支えて、男は玄関を上がる。
「誰だ?」と老人が樹生に向き直った。小刻みに体が震えている。髭は豊かだがかなりの高齢のようで、耳も遠いようだった。中年男が大声で答える。
「岩永の息子だよ、息子。ほら覚えてるだろ? おれの大学の時の同期でさ、家にも何回か遊びに来てる。親父も会ったことあるだろ」
「息子? ああ、息子か」
老人が樹生を見上げる。皺だらけの目元の奥の瞳は、まるで品定めでもするかのようにぎょろりと開かれる。
「草刈が引き取った息子か。あの、かわいそうな」
「……」
「ふうん。でかくなったもんだ。おれが見たときは痩せて、肌も荒れててな。みすぼらしい少年だったが」
老人の手が樹生の腕に伸びた。
「たらふく食ったか、この家で」
「夏居さん、」早が咎める。
「でかくなったな。立派なもんだ」
腕を軽く叩き、老人は廊下の先へ進もうとする。中年男が慌てて老人の体を支えた。
「先に行っていてください」
と、男らに言い、早は棒立ちのままの樹生の手を取った。「樹生さん、あなたはお仕事へ行きましょう」と玄関の扉を開ける。
「夏居さんはものの言い方が悪いので、嫌な思いをさせましたね」と早は樹生を見上げる。
「……あの人たち、」
「言い方は悪いですが、根まで悪い人ではありません。どうか気にしないで」
「……」
「お仕事、気をつけて行ってらっしゃい。またお話しましょう。今日は嬉しかったですよ」
樹生の手をぎゅっと握って離し、早は家の中へ入った。
言い方は悪いが悪い人ではない。そう言われてもたったいま向けられた悪意を許す気になれない。老人の言葉がぐるぐると巡った。かわいそうな、みすぼらしい少年。
少年には家族がいた。父と母と十歳離れた姉と、四人で暮らしていた。
だが少年がものごころついた頃には、なぜか家の中には父の姿がなかった。母は「お仕事で遠くへ行っているのよ」と答えたが、それにしても帰ってこない。何日、何週間、何カ月、何年。さすがにおかしいのだと少年も気付いたが、父の不在に慣れきっていたので淋しいとは思っていなかった。
少年が小学校へ上がった頃には、家はすっかり荒れて貧しかった。母はずっと勤めに出ていて、帰宅するのは深夜だった。姉は学校に通いながらバイトをしていた。ふたりとも帰ってくると少年の世話を焼いてはくれたが、明らかに疲労しており、その姿が痛々しくて少年には苦痛だった。
ある雨の日、学校へ知らないおじさんが少年を迎えに来た。
病院へ行こうと言われた。強面のおじさんに連れられて少年は総合病院へ行く。廊下の長椅子に制服姿の姉がピンと背を伸ばして腰かけ、前を見ていた。前だけを、呆然と見つめていた。少年に気付くと姉は「お母さんが死んだ」と少年に告げた。
会っておいでと言われたが、白布をかけられたなにかに近寄る気にもなれなかった。少年にはなにか理解し難いことが起きていて、だが理解する努力を彼は放棄した。
ただ、少年の肩を強く掴んでいるおじさんのきつい瞳を見たとき、納得はした。母はいない。父もいない。姉はいるが、いままで通りの生活にはならない、と。
おじさんは「きみたちはたくさん食べよう」と言って、おじさんの家に姉弟を連れ帰った。家にはなんとなく見覚えのあったおばさんがいて、姉が「サキセンセイ」とおばさんを呼んだので、それを真似した。「サキセンセイ」はテーブルにたくさんの食事を用意して待っていた。
泣きはしなかった。何も悲しくはなかった。むしろ、もう疲れ切った母の頭を撫でてやらなくてもいいのだな、と思ったら、安心してしまった。
「少年」は「あの家」で「たらふく」食べて、よく寝て、遊んだ。そうして「立派」に成長した。なにも間違ってはいない。
あの老人の言った通りだ。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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お久しぶりです。短編長編更新。
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