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「だってこれ、日本の山なんだろ、」
「山用語って結構いろんな言語入ってるよ」
「そうなの?」
「そもそもが、えーと例えば『日本アルプス』って言うけど、『アルプス』自体は英語だし。これがドイツ語になれば『アルペン』」
「ふうん」日ごろ気にしないのでそれを言われてもどこにある何なのか思い浮かばない。
「カールとか、キレットとか。乗越(のっこし)……は、日本語か」
「わけわからん」
「あんたはそうだろうな」
と暁登は笑った。それから「よし」と言って立ち上がり上着を着始めたので、樹生は首を傾げる。「どこか行くの?」
「実家に顔出してくる」
「これから?」
「今朝方までは温泉旅行に出かけてたんだよ、実家一族みんなで。帰って来るならみんなが温泉から戻ってからにしなさい、って言われて」
「そうなんだ。暁登も行けばよかったのに」
「おれはいいよ。バイトもあったしな」
元旦にも新聞配達の仕事はあるが、元旦の新聞製作を休むため二日の配達は休みになる。「今夜は泊まって来るから」と言って暁登は原付のキーを手にする。
「送ってこうか?」と言ったが、いい、と断られてしまった。
「あんたは疲れてるんだから休んどけ」
「そんなに派手に疲れてるわけでもないけど」
「嘘つけ。昨夜も遅くて今朝も早かっただろ。寝ろ。寝ないと縮むぞ」
あっち行け、みたいな手の振り方をされた。樹生は頭をかりかりと掻く。
「風呂沸かしといたし、めしも鍋にあるから。じゃあ、行ってきます」
そう言って暁登は風のように行ってしまった。部屋の中が急に静かになる。暁登は決して賑やかな性格ではなかったが、それでもいればそれなりに音がしていたんだな、と思う。
鍋の中を覗くと、鍋焼うどんが煮えていた。樹生の帰宅に合わせて作ってくれていたようで、鍋からは湯気が上がる。ありがたくそれを食べ、風呂に浸かった。ひとり暮らしだったら、明かりのついた暖かな家に帰り、風呂が沸いていて、温かな食事もできている、なんてことはない。暁登と暮らしているからこそのささやかな贅沢が嬉しい。
ふと思いつき、樹生はいったん湯船から上がって脱衣所に置いたスマートフォンを取った。こういう時のために防水性のよい機種を使っている。再び湯船に戻り、浸かりながらコールする。もう休んでいる時間かもしれないと思ったが、電話は数回で繋がった。
『――はい、草刈です』
「あけましておめでとうございます、早先生」
『おめでとうございます、樹生さん』
ふふ、と電話の向こうから明るい微笑みが伝わってきた。
「なにか楽しいことしてましたか?」
『久しぶりにお酒をいただいています。なんだか楽しくなってしまって』
「おひとりで?」
『ええ、ひとりですよ。去年と同じお正月です』
届いた年賀状を眺めながらひとりで酒を飲んでいたという。
「早先生のところは年賀状の届け甲斐がありますよね」と、樹生は思い出しながら喋る。早の家から出す年賀状の枚数もすごいが、届く枚数もすごいのだ。
『そうかもしれません。たくさんの方から色んな図柄の年賀状を今年もいただけました』
そこでまた早は「ふふ」と笑いを漏らしたので、相当酔っぱらっているのではないかと樹生は危惧する。早も亡くなった夫も、滅多に酒をたしなむことのなかった家だった。
しかし樹生の心配とは裏腹に、早は「そんなに飲んではいませんよ」と答えた。
『ちょうど暁登さんからの年賀状を眺めていたところに樹生さんから電話があったので、なんだか楽しくなってしまったんです』
「暁登、年賀状なんか出したんですか?」
『ええ。葉書は普通の絵葉書で、切手も普通の切手ですが。あけましておめでとうございます、ってありますよ』
そんなマメなことをしている男だとは思いもしなかったので、これはとても意外だった。
樹生の驚きを早はさして気にせず、「暁登さんの字はいいですね」と言った。
「字?」
『ええ。鋭角でキリッとした字を書かれますね。勇ましいというか、芯の強さを感じます』
「そうですか」
『樹生さんの字もわたしは好きですよ。まんまるで、あなたの本質がよく出ていると思いながら見てました。樹生さんは、優しい人です』
と早ははっきり言った。樹生は曖昧に笑い、「早先生からの年賀状も届きました」と話題を少しずらす。
「山の絵、格好よかったです。けど、あれは暁登の方に出した方がよかったと思いますが」
樹生は山に興味を持ったことがないのだ。多趣味な暁登と違い、自分はつい暇を持て余してしまうつまらない人間だな、と思う。定年を迎えたらどう生きて良いのか迷うのではないかといまから危惧するくらいだ。
早は『そうでしょうか?』と言った。
『あの葉書の中心にある黒っぽい突き上がり』
「ああ、なんだっけ、暁登も言ってました。えーと、ジャングル、みたいな」
『ふふ、外れです』
「シャングリラ?」
『違います』
「シンデレラ」
『ロマンティックな回答ですが、それも外れです』
間違いを承知で適当なことを喋ると、なかなか楽しくて早も笑った。
『ジャンダルム』
「ジャンダルム」
『そう、ジャンダルム。フランス語で、門番という意味です』
「門番?」
『もしくは、武装警察官とも』
と言われてしまえば、厳めしい顔をした男の姿しか思い浮かばない。新年の挨拶状だというのにおめでたい気分にはならないな、と思った。
→ 32
← 30
「山用語って結構いろんな言語入ってるよ」
「そうなの?」
「そもそもが、えーと例えば『日本アルプス』って言うけど、『アルプス』自体は英語だし。これがドイツ語になれば『アルペン』」
「ふうん」日ごろ気にしないのでそれを言われてもどこにある何なのか思い浮かばない。
「カールとか、キレットとか。乗越(のっこし)……は、日本語か」
「わけわからん」
「あんたはそうだろうな」
と暁登は笑った。それから「よし」と言って立ち上がり上着を着始めたので、樹生は首を傾げる。「どこか行くの?」
「実家に顔出してくる」
「これから?」
「今朝方までは温泉旅行に出かけてたんだよ、実家一族みんなで。帰って来るならみんなが温泉から戻ってからにしなさい、って言われて」
「そうなんだ。暁登も行けばよかったのに」
「おれはいいよ。バイトもあったしな」
元旦にも新聞配達の仕事はあるが、元旦の新聞製作を休むため二日の配達は休みになる。「今夜は泊まって来るから」と言って暁登は原付のキーを手にする。
「送ってこうか?」と言ったが、いい、と断られてしまった。
「あんたは疲れてるんだから休んどけ」
「そんなに派手に疲れてるわけでもないけど」
「嘘つけ。昨夜も遅くて今朝も早かっただろ。寝ろ。寝ないと縮むぞ」
あっち行け、みたいな手の振り方をされた。樹生は頭をかりかりと掻く。
「風呂沸かしといたし、めしも鍋にあるから。じゃあ、行ってきます」
そう言って暁登は風のように行ってしまった。部屋の中が急に静かになる。暁登は決して賑やかな性格ではなかったが、それでもいればそれなりに音がしていたんだな、と思う。
鍋の中を覗くと、鍋焼うどんが煮えていた。樹生の帰宅に合わせて作ってくれていたようで、鍋からは湯気が上がる。ありがたくそれを食べ、風呂に浸かった。ひとり暮らしだったら、明かりのついた暖かな家に帰り、風呂が沸いていて、温かな食事もできている、なんてことはない。暁登と暮らしているからこそのささやかな贅沢が嬉しい。
ふと思いつき、樹生はいったん湯船から上がって脱衣所に置いたスマートフォンを取った。こういう時のために防水性のよい機種を使っている。再び湯船に戻り、浸かりながらコールする。もう休んでいる時間かもしれないと思ったが、電話は数回で繋がった。
『――はい、草刈です』
「あけましておめでとうございます、早先生」
『おめでとうございます、樹生さん』
ふふ、と電話の向こうから明るい微笑みが伝わってきた。
「なにか楽しいことしてましたか?」
『久しぶりにお酒をいただいています。なんだか楽しくなってしまって』
「おひとりで?」
『ええ、ひとりですよ。去年と同じお正月です』
届いた年賀状を眺めながらひとりで酒を飲んでいたという。
「早先生のところは年賀状の届け甲斐がありますよね」と、樹生は思い出しながら喋る。早の家から出す年賀状の枚数もすごいが、届く枚数もすごいのだ。
『そうかもしれません。たくさんの方から色んな図柄の年賀状を今年もいただけました』
そこでまた早は「ふふ」と笑いを漏らしたので、相当酔っぱらっているのではないかと樹生は危惧する。早も亡くなった夫も、滅多に酒をたしなむことのなかった家だった。
しかし樹生の心配とは裏腹に、早は「そんなに飲んではいませんよ」と答えた。
『ちょうど暁登さんからの年賀状を眺めていたところに樹生さんから電話があったので、なんだか楽しくなってしまったんです』
「暁登、年賀状なんか出したんですか?」
『ええ。葉書は普通の絵葉書で、切手も普通の切手ですが。あけましておめでとうございます、ってありますよ』
そんなマメなことをしている男だとは思いもしなかったので、これはとても意外だった。
樹生の驚きを早はさして気にせず、「暁登さんの字はいいですね」と言った。
「字?」
『ええ。鋭角でキリッとした字を書かれますね。勇ましいというか、芯の強さを感じます』
「そうですか」
『樹生さんの字もわたしは好きですよ。まんまるで、あなたの本質がよく出ていると思いながら見てました。樹生さんは、優しい人です』
と早ははっきり言った。樹生は曖昧に笑い、「早先生からの年賀状も届きました」と話題を少しずらす。
「山の絵、格好よかったです。けど、あれは暁登の方に出した方がよかったと思いますが」
樹生は山に興味を持ったことがないのだ。多趣味な暁登と違い、自分はつい暇を持て余してしまうつまらない人間だな、と思う。定年を迎えたらどう生きて良いのか迷うのではないかといまから危惧するくらいだ。
早は『そうでしょうか?』と言った。
『あの葉書の中心にある黒っぽい突き上がり』
「ああ、なんだっけ、暁登も言ってました。えーと、ジャングル、みたいな」
『ふふ、外れです』
「シャングリラ?」
『違います』
「シンデレラ」
『ロマンティックな回答ですが、それも外れです』
間違いを承知で適当なことを喋ると、なかなか楽しくて早も笑った。
『ジャンダルム』
「ジャンダルム」
『そう、ジャンダルム。フランス語で、門番という意味です』
「門番?」
『もしくは、武装警察官とも』
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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