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『山岳用語でジャンダルムと言えば、ルート上の障害物の意味でしょうかね。このH連峰にあるジャンダルムは垂直の岩壁で、縦走ルートの難所です』
「ジューソー」
『山の尾根から尾根を渡り歩く登山です。尾根へ上がってしまえばてっぺんをずっと歩き続けますので、爽快感がたまらなく気持ちがいいですよ』
そう言われても樹生は山にそそられない。とことん興味がないのだ。
構わず早は続けた。
『岩壁ですから、当然普通に歩いては越えられません。越えるならば相応の装備が必要になりますし、体力ももちろん、テクニックや、運もいるかもしれません。残念ながらここで命を落とす登山者もいます。近年では、ここに山岳救助のヘリコプターがぶつかって死亡事故が起きたことでも話題になりました』
「……重いですね」
事故は嫌なものだと、つくづく思う。職業柄、安全にはとても気を遣うし、会社の方も口を酸っぱくして注意喚起する。しかしある特定の頻度で事故は起きるし、その度に事故事例を取り上げてミーティングも行う。面倒だし、気鬱になる時間だ。それを思い出した。
『それでも皆、あの門番に憧れるんです』と早は言った。
『ジャンダルムは、登山者側からすれば確かに障害物です。あの難所がなかったら、もっと多くの人が縦走登山の楽しさを気軽に楽しめることでしょう。ですが、あの黒々とした突端に惹かれるのも確かです。H岳の頂上に登って、その尾根沿いの先にあれが聳えているのを見て、なんて格好いいのだと感動する』
「その感動を新年の挨拶に込めた、と?」
『樹生さんに送った場合ですと、意味合いはまた少し違ってきます。ルート上の障害ですが、でも、門番ならば守っているんです』
「? なにを?」
『その先にあるものを、です。もしくは攻撃を留めている』
意味がよく分からない。
『内にあるものを外に出さないように押し戻したり、外のものから守ったりしています。障害物ですが、見方を変えれば、いかがでしょう?』
と言われても樹生にはさっぱりだった。想像を巡らす気もない。「難しいですよ、先生」と言うと、早は『そうですね』と答え、特に気にした風もなくあっさり話題を手放した。
『分からない話はやめましょう。今夜はどうして電話をくださったんですか?』
「淋しかったからです」
『暁登さんは?』
「実家に帰省しました」
『まあ』
ふふ、と早は電話の向こうでおっとりと笑った。その吐息を聞いて、樹生の中で一日の疲労がドッと膨れる。年末までは大量の信書を間違いのないようにひたすら区分していて、年始になった途端に一軒一軒それを配る。紙の束なので、集まれば当然重い。重いものをバイクに載せて家と家の間をはぎ合わせるように走る。疲れない訳がなかった。
早が『私も淋しいです』と言うので、余計に堪えた。
「先生、明日の予定は、」
『お昼頃、主人の古い友人がみえる予定です』
「じゃあ、朝飯食いに行っていいですか?」
『構いませんが、お仕事、朝早いのでは?』
「明日は仕事ですけど、配達自体は休みなんですよね。だからいつもより出勤時間が遅くて。昼からの出勤なんです」
『あら』
「朝が遅いのは久しぶりなんで寝てようかと思ったんですけど、たまには新年に帰省するのも」
『ええ、いいと思います。大歓迎ですよ』
早は嬉しそうにくすくす笑う。それが耳に心地よく、樹生は深く静かに息をついた。
「じゃあ、明日の朝」
『お待ちしています』
おやすみなさい、で電話を切る。湯船の外に長いこと腕を出していたので、そこだけひやりと冷たくなっていた。さぶりと音を立てて思い切り体を浴槽に沈める。熱い湯が浸みた。
→ 33
← 31
「ジューソー」
『山の尾根から尾根を渡り歩く登山です。尾根へ上がってしまえばてっぺんをずっと歩き続けますので、爽快感がたまらなく気持ちがいいですよ』
そう言われても樹生は山にそそられない。とことん興味がないのだ。
構わず早は続けた。
『岩壁ですから、当然普通に歩いては越えられません。越えるならば相応の装備が必要になりますし、体力ももちろん、テクニックや、運もいるかもしれません。残念ながらここで命を落とす登山者もいます。近年では、ここに山岳救助のヘリコプターがぶつかって死亡事故が起きたことでも話題になりました』
「……重いですね」
事故は嫌なものだと、つくづく思う。職業柄、安全にはとても気を遣うし、会社の方も口を酸っぱくして注意喚起する。しかしある特定の頻度で事故は起きるし、その度に事故事例を取り上げてミーティングも行う。面倒だし、気鬱になる時間だ。それを思い出した。
『それでも皆、あの門番に憧れるんです』と早は言った。
『ジャンダルムは、登山者側からすれば確かに障害物です。あの難所がなかったら、もっと多くの人が縦走登山の楽しさを気軽に楽しめることでしょう。ですが、あの黒々とした突端に惹かれるのも確かです。H岳の頂上に登って、その尾根沿いの先にあれが聳えているのを見て、なんて格好いいのだと感動する』
「その感動を新年の挨拶に込めた、と?」
『樹生さんに送った場合ですと、意味合いはまた少し違ってきます。ルート上の障害ですが、でも、門番ならば守っているんです』
「? なにを?」
『その先にあるものを、です。もしくは攻撃を留めている』
意味がよく分からない。
『内にあるものを外に出さないように押し戻したり、外のものから守ったりしています。障害物ですが、見方を変えれば、いかがでしょう?』
と言われても樹生にはさっぱりだった。想像を巡らす気もない。「難しいですよ、先生」と言うと、早は『そうですね』と答え、特に気にした風もなくあっさり話題を手放した。
『分からない話はやめましょう。今夜はどうして電話をくださったんですか?』
「淋しかったからです」
『暁登さんは?』
「実家に帰省しました」
『まあ』
ふふ、と早は電話の向こうでおっとりと笑った。その吐息を聞いて、樹生の中で一日の疲労がドッと膨れる。年末までは大量の信書を間違いのないようにひたすら区分していて、年始になった途端に一軒一軒それを配る。紙の束なので、集まれば当然重い。重いものをバイクに載せて家と家の間をはぎ合わせるように走る。疲れない訳がなかった。
早が『私も淋しいです』と言うので、余計に堪えた。
「先生、明日の予定は、」
『お昼頃、主人の古い友人がみえる予定です』
「じゃあ、朝飯食いに行っていいですか?」
『構いませんが、お仕事、朝早いのでは?』
「明日は仕事ですけど、配達自体は休みなんですよね。だからいつもより出勤時間が遅くて。昼からの出勤なんです」
『あら』
「朝が遅いのは久しぶりなんで寝てようかと思ったんですけど、たまには新年に帰省するのも」
『ええ、いいと思います。大歓迎ですよ』
早は嬉しそうにくすくす笑う。それが耳に心地よく、樹生は深く静かに息をついた。
「じゃあ、明日の朝」
『お待ちしています』
おやすみなさい、で電話を切る。湯船の外に長いこと腕を出していたので、そこだけひやりと冷たくなっていた。さぶりと音を立てて思い切り体を浴槽に沈める。熱い湯が浸みた。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
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