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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 海保のことを、心から愛している。愛せないのは、海保の才能だ。
「或る家族のかたち、或いはつながり」と題したシリーズの絵画制作を、海保は行っている。それはひとつの家族に密着した、映像で言えばドキュメンタリーみたいなもので、海保自身が接した家族を、海保がいいと思った格好でモデルになってもらい、ひとりずつ描いてゆくものだ。綿密にデッサンを繰り返し、制作に気の遠くなるような時間をかける。
 海保はずっと、人間に興味を持っていた。大学に入学する前から海保の観察対象は人で、誰でも、何人でも描いた。蓮司自身もモデルになってやったことがある。目元に花を乗せたその絵は、品評会で、最高賞を取った。いまはコレクターの元にあるはずだ。あの絵でずいぶんな大金と名声と縁を、海保は得た。
 何年も留年していて一向に卒業しないが、それほど海保にとって美術大学は居心地のよい場所であるようだった。そして学部生のうちから方々にファンがつき、注目もされ、コレクターまでつく、妬ましいほどの才能を持つのが海保だ。一方で蓮司は、大学を卒業し、画家と名乗ってはいるものの、そんな運も才もまるでなかった。三十歳を過ぎて、画塾をひらく仲間のお情けで講師の職を得ているが、もういい加減に、画家であることを諦めるべきだった。海保に比べれば、蓮司の才能など、「ある」うちにも入らないのだろう。神から愛された才能のある男と、「夢」にしがみつきながら一向に芽も出ず、生活のための金稼ぎに身を投じた男。そんなふたりがどういう訳で恋人同士などやっているのか、蓮司は分からなくなる。これは幸運なんかじゃなくて、災いだとすら思う。
「或る家族のかたち、或いはつながり」シリーズの、現在のモデルは、蓮司の家族だった。蓮司と、蓮司の父と、母。老いはじめた両親をモデルに絵を描く、と決めた時の海保には、激しく抵抗した。父などと会うな、母などを描くな。俺をもう、描くな。そう言ったのに、「大事な人たちだからきちんと描きたい」と言って、海保は意思を曲げなかった。
 手始めが、蓮司の母・彩也子だったのだ。それを蓮司は完成間近で汚した。どういう意味で行ったか、分かっただろう。それでも「描く」と言い切る海保は、蓮司の存在そのものを否定していることに、なぜか気付かない。
 蓮司の制作対象も、人だ。とりわけ家族だった。母のことは何度も描こうと試みて、そのたびに筆を折りキャンバスを裂く、という行為を繰り返している。蓮司は絵が好きだ。好きだからこそ、見る目が出来ている。その確かな「目」で自分の絵を見れば、拙すぎて、耐えられなかった。蓮司の思い描く絵を、蓮司は自らの力量不足のおかげで、描くことが出来ない。描きたいものがはっきりと見えているからこそのジレンマを、海保は悠々と乗り越えてゆく。海保の描き出す人間の迫力は、蓮司の目指すもの、そのものだった。
 海保のことは、愛している。海保に触れられると、自分というかたちが溶けて、あたらしいかたちへと組成されそうだ、と嬉しくなる。たとえば自分は、どろどろの粘状になって、海保だけがつかう絵の具になりたい、と思う。そうやって海保がキャンバスに自分を描いてくれれば、永久に海保のものとして閉じ込められる。そんな夢想にふけってしまうぐらい、海保を愛している。
 だから蓮司は、首を横に振った。そして海保の目を見て、「愛しているよ」と答えた。
 風が吹き始めた。明らかに荒れ模様の激しい風に、髪が巻きあげられる。シャツ越しにつめたい風が突き通り、蓮司は思わず、うすい身体をふるわせた。海保はそれを見て、「中、入ろう」と部屋へと蓮司を引っ張る。
 部屋の中へ入ると、海保に、背後から強く抱きしめられた。海保の容赦ない力加減に、蓮司はうなだれた。うなだれた途端に視界が涙で滲んだ。
 急激に、今回の行為を、後悔した。それから、自分が情けなくなった。海保に愛されるのは、これだからいやだ。海保は蓮司自身を鏡に写し取るかのように存在する。海保の瞳に蓮司が写されて、その醜さに、蓮司はみぶるいする。
 身体から力が抜け、蓮司は、その場に崩れかかる。海保の腕がそれをしっかりと支えている。蓮司の軽い体を持ちあげ、寝室へと運ばれる。
 ごめん、と弱々しい声で誰へも向かっていない謝罪を口にすると、海保は息を吐いた。
「俺は、描くからね」
 それはどこまでも潔く清い意思表明で、蓮司の心をすっと突き刺すナイフだった。どうして一緒にいるんだろうな、と蓮司は思う。傍にいれば、傷つけあってばかりいる。お互いがお互いにとってマイナスにしかならないのに、離れる決意が出来ない。
 声もあげず、静かに嗚咽する蓮司をベッドに横たえ、海保は服を脱ぐ。海保の体には、蓮司と付きあいはじめたこの数年でついた傷が、残されている。古いものは、首筋の噛み痕から、引っかき傷、打撲傷、それらは全部、蓮司がつけた。本当は首でもへし折ったら気が済むのだろうか。考えたが怖くて出来ず、中途半端に傷は増えた。
 対照に、蓮司の体は綺麗だ。海保は蓮司の体になにも残さない。
 薄着になった海保が、蓮司の隣へ滑り込んでくる。涙の止まらない蓮司を、抱きしめる。まさぐる手は、決して性的なニュアンスを持たなかった。ただただ、蓮司を癒すためだけに動く。それが悲しかった。
 海保の体温がじわじわと蓮司に伝わる。その熱さが、取り巻く情熱が、蓮司は怖い。
 筆を持つことさえ諦めれば、この恋は幸福に成就する。分かっていて蓮司はきっと、明日もまた、苦しみながら、塾の生徒に、デッサンを指導するのだろう。
 報われないと知っていて、絵も、海保も、諦めたくないのだ。自分の強欲には、ほとほと嫌気が差す。絶望の淵で、蓮司は泣いた。自分の卑怯さに、才能のなさに、海保の幸福に、海保への嫉妬に、頭痛を感じながら泣いた。
 海保の左手が、蓮司の右手に絡んだ。黒く汚れた指先を、海保は撫でる。
 眠って起きたら、あかるいといいと思った。冷たかった体が温まり始め、意識が混濁し始める。もし世界があかるければ、芸術の神様を嫌いにならずに済む。
 海保のことも、なにもかもを愛しきれる。自分もきっと好きになる。なんだって出来る、そういう穏やかな海を、夢見ている。夢だけは見る。
 やがて雨音がし始める。海保も蓮司も、目を閉じつづけた。眠れなくても、長い夜の先にある、あかるい光を待つ。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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