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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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蓮司


 海保が部屋に置いて行った音楽再生プレイヤーのイヤーフォンを耳に当てて、適当に曲を流していた。聞く音楽にこだわりのない男で、人が貸してくれるCDを片端からパソコンに突っ込んで、同期しては持ち出している。八十年代アイドルの歌謡曲から、クラシックの名盤まで。いま蓮司(れんじ)の耳に流れているのは、ヴィヴァルディの「四季」協奏曲第四番、アレグロ・ノン・モルト。厳しく凍える、冬の一曲だった。
 ベランダの窓を開け、煙草を吸いながらそれを聞いていた。これから天気が崩れるらしく、「激しい雨が予想されます」と気象予報士が昼の情報番組で喋っていた。警戒を促してもいた。ベランダに置かれた植木の数々を、仕舞い込まなければならないな、と思いながらも、身体は動かなかった。プレイヤーの音量は最大で、そのおかげで海保の帰宅に気付かず、両側からぷつっとイヤーフォンを引き抜かれて、ようやく我にかえった。
 振り返れば、恋人は難しい顔をして立っていた。
「――よぉ、おかえり」
 そう言って、煙草をふかし直す、その手首を取られ、煙草がベランダの床に落ちた。すぐさま海保がそれを踏みつけ、火を消してしまう。まだ長かった。
「――もったいない」
「そっちこそ」
 と、海保の目線が蓮司の指先に注がれているのが分かった。蓮司の指先は、洗っても洗っても肌の溝へと浸み込んで落ちなかった絵具で黒く汚れている。
 朝早く大学へ忍び込んで制作室で蓮司がなにをしたのか、海保はすべて見通している。
「残った絵具は、来年の文化祭でつかうんだ」
「来年まで取っといたら乾いちまうだろうから、つかってやったのさ」
「文化祭だけじゃなく、学校行事は色々とあるんだ。それにつかった」
「じゃあ、小遣いやるから、買いなおして来な。アクリル絵具と、油絵具と、ペインティングオイルか。キャンバスも注文するか? あとは?」
「どうしてあんなことを?」
 この件に関して、蓮司のたわごとに付きあう気はないようだった。蓮司はポケットを探る。まだ煙草は残っていただろうか。指は空の箱をつまみあげる。苛つきながら、それを手のひらで潰す。
 制作室に侵入するのはたやすかった。美術大学のOBである蓮司は地理に詳しく、閉まった制作室の鍵の、ちょっとしたコツを必要とする開け方も熟知していた。まだ卒業制作提出期限に余裕のある時期だからか、徹夜で、あるいは朝早くから制作をするような学生もいなかった。勝手知ったる制作室の棚を漁って、イベントで使用するためのアクリル絵具の大きな缶を開けると、蓮司の指に、缶の内側にまとわりついた絵具が、べったりとついた。アクリル絵具特有のにおいが鼻に届く。数あるキャンバスの中から迷わずに海保の絵の前に向かい、それを思い切りぶちまけた。足りなかったので、また一缶、二缶と取り出して、缶ごと投げる。几帳面な海保らしく制作中も整然と陳列された道具の類を見て、それにも腹が立ったから、蹴散らして、絵具は足で踏みつけた。一応雑巾でスニーカーは拭ったが、おそらくまだ、絵の具がこびりついているだろう。それは靴箱に仕舞いもせず、玄関に脱ぎ捨てたままだ。
 犯人が分かっているからには、もっと早くこちらへ来ると思っていたのに、海保の登場は遅かった。海保の質問には答えずに、「あの絵、どうした?」と訊き返すと、海保はかたい表情のまま首をちいさく横に振った。
「彩也子(さやこ)さんが、銀河になった」
「あの上に描いたのか」
「お遊びみたいなものだけどね。あの黒を見て、思いついた。もっと素敵に出来る、って」
「そりゃ、なにより」
 ちり、と心臓の一部分が焦げついた気がした。迷ったのだ、絵具をぶちまけてやるか、キャンバスを裂いてやるか。でも、キャンバスを裂いたとして、海保はまたあたらしくキャンバスを張って、女を描きなおすだろう。蓮司が何度侵入して何度絵を壊そうが、海保は絵を描くだろう。だから今回は、「絵」を「汚す」手段を取った。あるいは、「芸術」を「汚す」手段だ。
 海保は大きく深く息をついて、「また描きなおす」ときっぱり言い放った。
「これから描きなおしたんじゃ、おまえの描き方じゃあ、期限に間にあわないだろう」
「いい。大事なシリーズだから、大事に描く。彩也子さんにはまたモデルを頼む。何度も頼む。絵を汚されても、何回されても、俺は諦めない」
 だったら「彩也子」を殺さないとな、と頭の片隅で思った。海保は、意思のある瞳を歪める。
「――あなたがしたことは、俺じゃなくて、芸術や、彩也子さんを、はずかしめる行為だ」
「その通り」
「そんなに憎むほど、彼女を愛してはいない? 芸術を嫌っている? それとも、」
 一度目を閉じ、息を深く吐き、吸う、その一連の動作がスローモーションのように見えた。
「俺を愛せない?」
 それはひどく悲しい顔だった。いい顔をする、と思う。これが見たくて、見たいはずではなかった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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