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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 ちいさくてささやかな夢があった。
 それは、僕が大切に想う誰かが陽だまりにいて、その陽だまりに、彼は座っている。僕はその背にもたれかかる。大切なその人は、それに微笑む。時折、穏やかな会話を交わす。そういう、誰かが聞いたら鼻で笑われそうな夢があった。
 僕は、僕を好いてくれる誰かの存在を心から欲していた。
 恋に落ちることは、理屈を並べてどうこう言える話ではないらしい。そういう恋を、僕は知った。二十代の真ん中へんのころだ。心が惹かれるより先に身体が惹かれた感覚がした。言ってしまえば、欲望を感じた。その人は、僕と最も遠い人だった。高い上背、低い声、糸目であること、確かな骨肉。なによりも、自分自身に自信をみなぎらせていた。僕は自分の貧相な身体つきだとか、童顔であることや、ちいさい背などを気にしてばかりいたから、彼は僕にとって最高に魅力的に映った。ちょっと乱暴な表現で申し訳ないけれど、出会ったその日に、彼の素肌を意識した。セックスをしてみたいと思った。その服を脱いだら、どんな身体で、どんな声で、呻くのだろう、と。
 ただ、彼は女性を好く人であることも、同時に知れた。「彼女欲しいな」とこぼしていたのを、たびたび耳にした。僕はそれを聞くたびに曖昧に笑った。ゲイであることは、そのころの僕にとってはさほどコンプレックスに感じないものだったが、彼の前だとどうしても罪悪に感じた。
 出会った直後に(僕が一方的に)恋に落ちて、三年経った。三年も付き合いがあると、彼はよく僕に打ち解け、馴染んだ。一緒に飲みに行ったし、旅行にも出かけた。彼のアパートに集って鍋だの、すき焼きだの、いわゆる宅飲みも楽しんだ。馴染んでしまったことで、僕は勘違いをした。いまなら打ち明けてもいいんじゃないかと。触れられるんじゃないかと。両想いではないことは承知で、でも、僕は彼にどうしたって触れてみたかった。
 僕の告白に、彼は硬直した。そのときその瞬間の、蔑んだ、憐みみたいな瞳が、僕の心臓を抉った。ただ、そんな目をされてもまだ、僕は期待した。僕は長きにわたる恋にいい加減に決着をつけたかったし、色物扱いでいいから、彼の身体が欲しかった。
 しばらくの沈黙に耐えかねたのは、僕の方だ。「××くん」と、ふるえて掠れた声が出た。彼は手で顔を覆い隠し、待って、とでも言うようにもう片方の手をひらひらと振った。近づくな、という意味でもあったかもしれない。
「――ずっと好きだったんだ」僕はそう、語りかけた。
「きみが僕をそういう目で見ていないことは分かっている。けど、……たった一度だけでいい、せめて、手を握らせてもらっちゃ、だめかな」
 彼は顔を隠したまま、静止していた。
「……××くん、」
「……近寄るな、」
 彼は言った。冷静さを欠いた、聞いたことのない声音だった。
「悪い、おまえは悪くないんだと思うけど、――おれには、気持ち悪い」
「……僕が?」
「おまえが」
「……触れることすら、だめかい?」
 彼は迷いなく、はっきりと分かる仕草で頷いた。
「気持ち悪い」
 二度も言われると、さすがに堪えた。「そか」と僕は頷き、伸ばしかけた手を引っ込めて、早々にその場を去った。
 秋の夜は足が速い。まだ夕方の六時台だというのに、陽はとっぷりと暮れていた。冷え込み始めた空気を吸い吐きする。少しだけ息が曇った。
「――気持ち悪いってさ」
 駅への道を急ぎながら、僕はそっと独り言をこぼす。
「そりゃ、そうか」
 男なのに男が好きで、男なのに男に触れたいと思っている。女だったらよかったのかな、と思った。触れることへの、ハードルがひとつ下がる気がした。男と女だったら、純正で当たり前だから。
 肌寒くなってきたからきっと、余計に人肌恋しいのだと思った。単純で、不純で、あさましい動機だ。歩きながら僕は、足元が崩れていく感覚を味わっていた。コンクリートの地面が融解して、闇へと真っ逆さまに落ちていくような。ただ僕は愛されてみたかった。たった少し、ほんの少し触れることすら許されないなんて、生きている価値がないように思える。
 しばらくは失恋の痛手で、なにをどうしても辛かった。それでも生命力は僕の精神を凌駕し、そのうち彼のことを思うこともなくなった。交流が途絶えたこともあるだろう。時間薬もよく、効いた。ただ、次の恋をする気持ちにはどうしてもなれなかった。

 *

 などと思っていたのに僕は単純で、再びころっと恋に落ちてしまった。またか、と僕は心の中で舌打ちしながらも、この恋を迎え入れた。あの散々だった失恋からもう何年も経ち、二十代はとうに終えた。そんなころに、相変わらず人を、男を好きになってしまったのだから、呆れる。
 男は、名を「深(ふかし)」と言った。職場で知り合った人だったから苗字で呼んでいたが、歳が同じだと知れてからは、敬語も外れ、お互い下の名で呼び合うようになった。「深くん」と呼んだら、「くん、いらない。恥ずかしいわ」と笑われた。その朗らかな笑顔が素敵だと思い、思ったらもう、恋は加速して止まらなくなっていた。
 一緒に飲みに行ったし、家にも遊びに行った。一度アパートに行ってしまったら、それがなんというのか、楽だったので、頻繁に出入りするようになった。深はおおらかな人で、その分雑だとも言えたが、ふたりの時間を気持ちよく過ごせた。前の恋では感じなかった、安らいだ心地。眠りに入る一歩手前みたいな、ぬるま湯の温度。
 もちろん、この恋にもきちんと欲望は存在した。触れてみたいと思っていて、でも恋の底辺にはいつかの「気持ち悪い」が存在していて、僕は手を伸ばせなかった。いま心地よい時間を過ごせているのだから、これ以上を望んではいけない、と。僕が「触れたい」と言うことで関係が変わるのなら、変化しない方がいい。そう思っていた。
 深は、雑な人であったが、けれど聡い人でもあった。そういう、触れたいけれど触れられない僕の気持ちが、後から聞いた話だったけれど、お見通しだったらしい。(「分かりやすかった」とも言われたが。)ある日彼のアパートで飲み明かしやって来た朝に、深は唐突に、「陽(よう)はおれが好きだろ」と言った。朝から昼へと移ろうという時間の室内、大きく据え付けられた窓ガラスから光が入り、夏よりはずいぶんとおとなしくなった陽光ではあったけれど、彼をまばゆく照射するには充分な光だった。
 僕はうろたえた。深もまた女性を愛せる人であったので、僕の恋は叶わないものであり、一生口にするものか、ぐらい思っていた。それなのに、彼は壊そうとしている。慌てふためく僕を、深は明るく笑った。
 僕は観念して、「ごめん」と言った。
「なんで謝るのさ」
「……気持ち悪いだろうと、思ったから」
「陽のことが気持ち悪いって、おれ、言ったか?」
「……聞いたこと、ない」
「だろ?」
 自信満々の笑みを見せる。僕は無性に泣きたくなっていた。
「……いつから気付いてた?」
「うーん、結構前から、かな。なんで言わないのかなって、思ってた」
「言わないよ、そりゃ。……だってきみは、女の人が好きなわけだし、」
「まあね」
「関係が、……壊れるのは嫌だと思ったし、」
「あのさ、」
 陽だまりの中で、深はこちらを向いた。黒い髪が白く光って見えた。
「恋愛に両想いなんてないんだよ。両方同じ想いの質量でいなきゃ付きあっちゃいけないとか、誰が言ったの、それ」
 その台詞に、僕は思わず目を瞬かせた。
「いいじゃん、片想いでも。おまえはおれが好きなんだろ。おれはおまえのことを、おまえと全く同じ気持ちじゃないかもしれないけど、快く思っている。それで、良くないか? 誰になに吹き込まれたか知らんけど、岩みたいな意志で恋愛しなくたって、いいんだよ」
 深のその台詞は、僕にとって絶望と希望を一度に与えた。同じ気持ちでいられないことの悲しさ。それでも良いと言ってくれている嬉しさ。いろんな感情がまぜこぜになって、僕は笑っていいのか、泣いていいのか、分からない。
 ただ、光の中でそんなことを言ってのける深のことが、とても、とてもいとおしいと思う。
「――夢があって、」
 僕は目を細めて、深に語りかける。
「好きな人の背にもたれかかって、――触れて、なんでもいい、ちいさなことをぽつぽつと喋ったりして、」
「なんだ、じゃあもう叶うな」
「そんな幸福は……僕には一生やってこないと思ってた」
「ばっかだな」
 深はひどく安らいだ顔で、そう言った。
「そんな、触れることさえ許されないなんて、あるかよ。おれもおまえもいきものなんだから、触れたいのは、当然だろ」
 その言葉で、僕は安堵し、決意した。この人を好いてよかったと思った。そっと体重を移動させて、深の広い背中に額をつける。
 そのまま頬ずりでもするように、顔を深の背に押し付ける。
「気持ちいいだろ」
 深はそう言った。
「気持ち、いい。嬉しい」
「よかった。おまえが嬉しいとな、おれも嬉しいんだよ」
 と言うなり深は突然笑い出した。とても大きな声で、腹から響く声が僕の頬にも伝わる。その振動に任せて僕は目を閉じる。僕も自然に、笑っていた。


End.



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エフさま(拍手コメント)
読んでくださってありがとうございます。
秋が深まっていく様子が日に日に分かるようになりましたね。そういう、秋の気配がいいなと思ったので、こんなお話になりました。
同じ気持ちでいたい、というのはとりわけ恋愛において重要な感情なのかもしれませんが、そういうのは滅多にないような気もしています。ですが私はそれでもよいと思っています。両想いでも片想い、ということは一般によく耳にしますね。
ともあれ、自分を肯定してくれる人に巡りあえる、それは素晴らしいことなのだと感じた結果が今回のテーマでもありました。
次回の更新もお楽しみに。
拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/10/30(Sun)20:06:47 編集
はるこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
電車の中で大変な目に遭わせて申し訳ございません(笑) でもすみません、嬉しかったです。
恋愛、と一言で言ってもその感情は人それぞれで様々であると思っています。カップルの形態もそれぞれで様々ですね。深の言葉は酷であるかもしれませんが、同じ気持ちでないことがひどいことだとは、私はあまり思いません。陽にはぜひ前向きになってもらって、「もう一押し」頑張れと、私も言いたいですw
更新が思うように進んで行かずに申し訳ないと思いつつ、相変わらず亀更新であるかと思いますが、またお付き合いくださいませ。
次もお楽しみに。拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/11/01(Tue)08:19:45 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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