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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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I wonder


 ひとり暮らしを決めたのは、職が変わるとか学校に通い出すとか、恋人が出来たとかましてや結婚するだとか、そういう理由ではなかった。職は変わらないしこれから新たに学ぼうなんて向上心もない。恋人と呼べる存在もいない。ただ、友人はいる。その友人らに、言ってみればいいように乗せられた、というのが一番正しいかもしれない。まだ実家にいるの? 正社員で収入も安定しているんだから家ぐらい出ればいいのに。親の干渉から外れるしさ。どうせなら駅に近いところにしようよ。すぐみんなで集まれるように。
 数えてみれば、大学を出て実家に戻って、八年。学生以来のひとり暮らしだった。それも、学生のころは学校が斡旋した安い下宿で暮らしていたから、まるきりひとりで全部決め切る生活は、初めてかもしれなかった。不動産会社の社員と内見をしてまわり、決断し、契約を交わし、ガス水道電気、諸々のライフラインを繋ぎ、家具や電化製品を揃える。引っ越しは近場であり単身であるからと業者には頼まず、仲間に協力を依頼した。学生のころと違って良いのは、収入がある分広くていい部屋に住めるところだった。職場が変わるわけではないので、実家からも程よい距離で、親の面倒にも手間をかけられる。友人らも方々にいて、引っ越したてのころはお祭り騒ぎみたいな日が続いた。
 引っ越して半年も経つと、いつの間にか同居人が出来ていた。
 父方のいとこで五歳年下の充(あたる)は、イラストレーションの専門学校を出たものの働く口がなくて、アルバイトで身を立てていた。「ゲージュツカってやつはさ、その将来性を信じてやるしかないんだよ」と父や叔母にうまくまるめ込まれ(つまり僕はとても単純な性格なんだろう。周囲に言われれば、すっかりその気になってしまう)、とても安い生活費でいとこを住まわせることになった。充は引っ越しの際に、寝袋と、少しの衣類と、机と椅子を持ち込んだ。机はばかでかかったが、画材の類はあまりなかった。例えばイーゼルとか、油絵具とか、もしくはモニターの大きなパソコンだとか、そういうものが持ち込まれることを想像していた僕は少しだけ拍子抜けした。充に聞けば「ま、そういう人もいるけど」との返事だ。「おれはアナログ派だけど、大きな絵は描かない。画材は紙とペンがあればそれでいい。目が悪いから、スタンドはいるんだけど」と彼は古い型の電気スタンドを指して言った。叔母のおさがりらしかった。
 ひと昔前の漫画家みたいだな、といとこのことを思った。デジタルのこの時代に充のやり方はやや古いようで、だから仕事がないんだろうな、と僕は勝手に考える。
 充は、よく陽に当てられたぬるい水みたいに、不快感なくするりと家に馴染んだ。ひとり暮らしも良かったが、充とのふたり暮らしも快適で、他人と空間を共有することを、僕はごく自然に受け入れていた。僕がひとりになりたいとき、彼は日課である絵を描くことをせずに早々に寝たし、逆に騒ぎたい夜は、酒をドンと用意しとことん付きあってくれた。部屋に好き勝手にやって来る友人らとも引っかかりなくなめらかに打ち解けた。彼らは充のことを「ちょっと変わってて面白いやつ」と認識したらしい。僕がいてもいなくても充がいれば充分、だなんて言い出すやつも現れたのには苦笑した。
 引っ越し先は全く知らない土地ではなかったからその苦労はあまりよく分からないのだが、引っ越しとはすなわち、縁遠くなったり逆に近付いたりするものらしい。なにがって、人との距離が。親類や友人など頼れる人がいれば土地に馴染むことも早いが、縁故が全くない状況では、一から関係を築き上げていかねばならない。その点きみはどうなのさ、と僕は充に訊いた。充の実家はここよりはるか遠くの田舎で、専門学校進学を機に家を出たが、そこもまた僕らの住む街とは異なる。この土地へやって来ることに抵抗はなかったのか、と、僕は訊ねた。
「ないね」と彼はあっさり言う。
「だっておまえがいたからさ。おじさんやおばさんも近いわけだし」
「でもそんなに密な交流があったわけじゃないんだぜ、僕ら」盆か正月、どちらかで会えればそれで良い方だった。
「おまえがいたらそれでいいと思った」
 妙な自信だな、と思った。いとこという間柄でも、僕らの親交はさほどではなかったのだ。逆のパターンを考えてみたが、僕は充をあてにするかどうか、微妙なラインだ。
 ただ、充のことが嫌いである訳ではない。何度も言うが、心地よいやつだと思う。
 ふあ、と充があくびをした。夜も深い時間に差し掛かっていた。
「寝よか」
「うん」
「充さあ、あの寝袋ひとつじゃ寒くないか? おまけにフローリングに直に寝ているだろ? せめてマットとか敷いてさ」僕は部屋の隅に雑にまとめられた充の寝袋を指す。
「別に。おれはどこでも寝られるのが特技なぐらいだ。気にすんな」
 充は寝袋をパンとはたくと、それを広げ、さっさと横になってしまった。

 真夜中、なにかの気配で僕は目が覚めた。
 目を開けたら、充が暗闇で僕を見下ろしていた。なに、と僕は充に訊ねる。掠れた声に即座の返答はなかったが、しばらくして、充はひとつ、深くため息をついた。
「やっぱり、寒い」
「ああ……毛布、やるよ」
「おまえの分がなくなるだろ」確かにこの部屋に余分な毛布はない。
「……寝袋持って来いよ。ベッド詰めるから、ここで一緒に寝よう」
 寝起きのまわらぬ頭で、僕はそう言った。充はしばらくそこに佇んでいたが、やがて部屋を出てゆき、またすぐに寝袋を引きずって戻ってきた。
 寝袋のファスナーを全開にすると、ひとつの掛布団のようになる。それを重ねて、狭いベッドで男ふたり、並んで眠る。充がベッドに潜り込んでくる際、充の体臭が僕の所へ届いた。届いて少し意識した。僕ではない体温が近いこと。
 充の身体は冷えていた。だがふたりなら、じきに温まるだろうとも思う。うとうととし出したところに、僕の頬に充の手が伸びた。なんだろう、と思うと、僕に覆いかぶさるようにして、充が僕の額と充の額とをくっつけた。
 そういう挨拶であるかのような、敵意のない親密な動作だった。充は目を閉じている。僕は目を開けている。状況がよく飲み込めなかった。これは一体なんだろう、と思った。
 充が目を開ける。暗がりでも瞳が分かる。真っ暗で、真っ黒で、すっと切れた、充の目。ぼんやりとそれを見ていた。綺麗なもんだな、と思った。
 充はぷいっとそっぽを向いて、改めて布団に潜りこんだ。「おやすみ」。それだけ言って、やがて静かに満ちた寝息が聞こえて来た。


→ 後編





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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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