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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 海には、行かなかった。周辺の宿がいっぱいで取れなかったという。レンタカーで行くのだから車中泊でも良かったが、志津馬が「素泊まりでも、宿の方がいい」と言った。おそらくは満を気遣ってのことだった。満はあまり睡眠が深くない。眠るなら少しでも良い環境で、と志津馬は考えるらしかった。
 高原へ行くことになった。湖の傍の、コテージへ一泊。この旅行のために満はサングラスを購入したが、梅雨が明けず空は始終薄曇りで、さほど必要とは思えなかった。面白がった志津馬が、「似合う?」と言ってサングラスをかけた。満に合わせて買ったサングラスは童顔の志津馬にはちっとも似合わず、サイズも大きい。満はわざと大きな声で笑った。
 高原周辺には飲食店がないので、クーラーボックスに必要な食材を詰め込んで、コテージで自炊した。志津馬は当然ながら調理が手伝えなかったので(もっともそれはいつものことで、志津馬は料理が壊滅的に下手だ)、満の手元をじっと見ているだけだった。じっと、目を凝らして、じっと。そうしてしみじみと、「みっちゃんは格好いいねえ」と漏らすのだった。
 夜、同じ部屋で眠るのはどうかと思ったから、別の部屋にした。二段ベッドがある方の部屋に志津馬が、ダブルベッドが備え付けてある方の部屋に満が収まった。居間でぐずぐずと満の傍にいたがった志津馬だったが、触れれば殺す、この脅しが効いていて、触れはしなかった。夜が深くなる。長時間の運転で疲れていたから、部屋に引きあげれば、満はあっという間に眠りに落ちた。
 夢で見たのは、背を丸め怯えながらも必死で絵を描く志津馬だった。
 いつだって天真爛漫に描いていたわけではないのだ。満に暴力で追い詰められながら、彼は自分の聖域をなんとかして守っていた。よくあんな無邪気なままで、絵を描いていられたと思う。精神的な崩壊を見せなかった。強い人間なのだ。満よりずっと強く、逞しく、自分に正直に生きている。そのなんと、眩しいこと。
 比べてはいけないのだ、と満には分かっていた。自分が志津馬と同列に並ぼうなんて、無理がある。それでも志津馬と比べっこして、優位に立ちたかった。志津馬よりすぐれていると、どこかで誰かに認めてほしかった。感性で凌げないなら、パワーで上回ること。それが志津馬への暴力で、優越感で、自尊心だった。
 ああ、そんなのはおかしい、と歯を食いしばる。絶望しながらもなんとか踏みとどまり、谷底へ落ちないように必死で力を入れる。ぎり、という音が内側から響いて、同時に「みっちゃん、みっちゃん」と肩を叩かれ、満は一気に覚醒した。ばたばたと雨音が鳴っている。傍に志津馬がいて、満を覗き込んでいた。
「――触ったな、いま」そう言うと、志津馬は素直に頷き、「ゆるして」と言った。
「みっちゃん、なんか苦しそうに呻くし、そのうち歯ぁ食いしばるし、……なんか見てられなくって」
「……なんでこの部屋にいる、志津馬」
「……ちょっと、ちょっとだけだよ。寝顔、見に来た」
 部屋は暗い。目が慣れても、輪郭線ぐらいしか見えない。外は雨が降っているし、その上に遮光カーテンを閉めているから、なんの明かりも届かなかった。闇中にいると、光が恋しくなるのはどうしてだろう。
「――この雨終わったら、梅雨が明けるかな」
 しとしと降る雨を、志津馬は語った。
「長かったね、今年の梅雨は」
「ああ」
「去年なんかろくに降らなくて、すぐ梅雨明けしちゃったよな。猛暑で、暑くて」
「そういえば去年だったな、志津馬が熱中症でひっくり返ったの」
 制作の最中は扇風機だけで過ごしている、志津馬。家の中で熱中症に陥り、あの時も心臓を冷やした。
「そうそう。みっちゃんには迷惑かけてばっかりで、おれ、」
 暗闇で、志津馬が動く気配があった。
「みっちゃんみたいにスマートになんでもこなせなくて、自己管理も甘くて、……本当、このざま、情けない」
 志津馬の髪が頬に当たった。これも「触る」と言うなら、志津馬は今夜すでに二度殺されている。――もう、そんな気も起きない。
 顔を傾けると、志津馬の唇と満の唇とが、簡単に重なった。ふ、と志津馬が吐息を漏らす。満は起きあがり、「おいで」と言った。志津馬が布団に潜りこんでくる。
 左肩が下になるように、背後から志津馬を抱きしめた。手は腰から志津馬の腕へ、ギプスの上に置く。
 志津馬は泣きだしていた。
「みっちゃんと離れたくない」と懇願するように言う。
「みっちゃん、好き。優しくて、あったかくて、格好いいのが憧れで、大好き。――離れたくない」
「でもおまえは、絵も好きなんだろう」
 訊ねると、志津馬は仕草だけで強く頷いた。
「みっちゃん苦しいの知ってて、みっちゃんが望むようなやつにはなれない。絵は、やめられないんだ。どっちも欲しい。どっちも離れたくない」
 それは、おやつにケーキとアイスクリーム両方欲しい、と駄々をこねる子どものような響きがあった。ばかだな、と思う。ばかだな、おれはそんな人間じゃない。そんな固執して、可哀想に。
 可哀想に、志津馬。
「――おれは、疲れた」
 本音がこぼれた。志津馬の肩がひく、とこわばる。
「ゆっくり眠りたい」
「おれがいなくなったら、眠れるようになる?」
「多分、きっと」
「そっか」
 雨が降っている。ずっと降っている。靄をかけ、湿気をまとわりつかせてばかりで、晴れ間を見たことがない。本当は志津馬とふたりで、虹が立つところへ出くわしてみたかった。
「今夜だけ、眠れないでいて。――ごめん、みっちゃん」
 返事の代わりに志津馬を強く抱きしめようと思ったが、やめた。下手に力を入れてしまったら、またそれが暴力になる。だから満はただ「もう、黙れ」とだけ言って、じっとしていた。


 帰宅してすぐ志津馬は荷物をまとめ、出国した。満も荷物をまとめ、ふたりで暮らした家から出た。もうしばらくはなにもする気になれないでいた。満は仕事も辞め、故郷へ帰った。
 
 五年ぐらいは、あっという間に過ぎてしまった。
 自分がいくつになったのかもおぼろげだ。場所を変えてしまえば、志津馬のことはすぐに忘れることが出来た。なんと言っても志津馬は、日本にいなかった。いないやつの情報まで拾えない。地元で、満はいま、天文学館の事務員として働いている。市と大学が共同で運営している天文学館で、大きな天体望遠鏡とプラネタリウムが自慢の施設だった。なんでもいいから、美術と離れた暮らしがしたかった。そのために簿記を教える職業訓練校に通い、得た職だった。
 インターネットはもちろん、メールも、新聞も、届く郵便さえも粗末に扱った。満が故郷へ戻ってすぐのころはしきりに「東京で飲み会を!」と誘ってくれていた同期も、次第になにも言わなくなった。地元の友人たちは当然ながら志津馬のことを知らない。付き合いが楽で良かった。
 再会は、唐突だった。市立美術館が二年に一度募集している若手を対象にしたコンペティションで、志津馬が最優秀賞を受賞した。協賛している地元の新聞社はそれを大きく取り上げ、一面記事で扱ったのだ。朝、年老いた父親が何気なくひらいていた新聞に、志津馬の絵と志津馬自身が載っていて、起き抜けだった満は一瞬、呼吸を忘れた。自分がどこにいるかも曖昧だった。母親が「どうしたの?」と声をかけてくれなければ、いつまでも突っ立っていた気がする。
 父親から新聞をひったくる。母は知った顔で、「あんたと同じ大学の出身ね」と志津馬を指した。
「知りあい?」
「……さあ」
 新聞には志津馬のインタビューが掲載されていた。授賞式は八月七日、市役所で。今日だ、と気付く。
 志津馬がこの街に来る。もう来ているかも分からなかった。満の故郷の話をしてあっただろうか。したかもしれない。やたらと星が綺麗な街の話だ。地形のおかげで空気が澄み、冴えるのだ。その話を満の傍らで、志津馬は嬉しそうに聞いたかもしれない。
 満のことが好きで好きでたまらない、という顔できっと頷いた。
 もう、それだけだった。ただその顔が見たかっただけだ。その顔は、満を肯定する顔だ。満足を与える顔。きれぎれに、満は思い出す。はじめ、いちばんはじめは、志津馬の絵を見て、ただただ絵の前に立ち尽くしてしまった。あのときの純粋な感動。
 それがいまは、心に広がっていく。この街の星空みたいな、すっきりと遠い、確かに輝く星々。何万年も前に放った光がいま瞬いている不思議を、いまなら志津馬はなんと答えるだろう。
 なかったことには出来ない。志津馬に暴力を施したのは変えられない事実だ。だが五年経った。自分は変わった。コインの裏表は、いつからか意識しなくなっていた。どちらも満だ。
 志津馬の絵が見たい。志津馬の顔が見たい。また「みっちゃん」と甘ったるく呼ばれたい。
 ずいぶんと虫のよい話に違いなかった。もし、また繰り返すのだとしたらどうする、と脳内で警鐘が鳴る。しかし満は、大丈夫だと思った。今日、満はこんなに清々しい。だって志津馬の受賞作が、「もう悲しいことはなにもないよ」というタイトルだからだ。
 満以外の誰にこのメッセージを向けられるだろう。
 確かに受け取ったことを伝えるために、爽やかに痛む胸をさすり、息を深く吐いて、満は着替え始めた。


End.



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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