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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 その日、熊田穣太郎(くまだ じょうたろう)は久々に山を下りた。
 下りたと言っても、街まで出たわけではない。山のふもとのバスターミナルまでやって来ただけだ。穣太郎の勤め先は、標高三千メートル級の山の頂上付近に位置する山小屋だ。そこで穣太郎は登山客に毎日食事を提供している。いわば、シェフだ。メインメニューはカレーかポークステーキしかないが(ほかに出しようがない)、とにかく山小屋の厨房で汗水流して働いている。
 夏だ。ハイシーズンで、まさか休みが取れると思っていなかったのだが、「おまえまるっきり下におりてねえだろ」と山荘主に言われて、ぽん、と休みをもらえた。穣太郎は山を下りることに楽しみを感じたりはしていなかった。山が好きなのだ。三千メートルといえば、森林限界を超える。穣太郎より背の高い草木は存在しないのだ。コマクサやライチョウといった高山の動植物は穣太郎の心を癒す。夜は満天の星々。当然ながら外灯がないので、天の川など目を凝らさずともくっきりと見える。
 ある意味で、地球の突端で暮らしている。それが楽しくて仕方がないのだが、下りた。下りるなら下りるで、会う予定の人物がいた。その人物はバスターミナルまでやって来る。山のふもとの高原リゾートホテルのロビーで、会う約束をしていた。
 数週間前に、手紙をもらった。なにぶん標高が標高なので、郵便局員による配達は行われない。街に山荘の事務所があり、そこに届くものを、事務所の人間が運び上げるのだ。だから差し出された日付からかなり日が経っていたが、別に穣太郎は慌てたりはしなかった。ただ、渡したいものがあるから山を下りる時に連絡をくれ、という内容だった。
 
『約束の品が仕上がりました。
下山の際にはご連絡ください。直接お渡ししたいです。


090‐××××‐××××
燕琢己(つばくら たくみ)』


 まるっこい癖字を眺めながら、はてなにを約束したかな、と、どうしても思い出せない穣太郎だった。


 ◇


 下界は暑かった。下界、と言ってもここ・バスターミナル付近はまだ標高千五百メートルほどあるのだが、三千メートルが常の穣太郎からすれば、充分下界に入る。暑いあつい、と文句を言ったら、これでもとっても涼しいんだよ、街に比べればね、と寧(やすし)に言われた。
 この近辺に数あるリゾートホテルの中でも格段に値段が高い、高級リゾートホテルのティーラウンジで、燕琢己を待ちながら寧と話をしている。寧は穣太郎と同い年の三十八歳、当ホテルオーナーの息子で、普段はなにをやっているんだか、その身分を隠しつつ堂々と父親のホテルに入り浸っている。穣太郎の友人だ。
「暑いものは暑い」と言い張る穣太郎に、寧は「そんな格好じゃあ無理もないね」と言う。
「人に会うって言うなら、もう少し身なりを気にしなさいよ」
「髪は切ってもらったんだぞ」山小屋の仲間に、キッチンばさみでだ。当然ながら山頂に理容室はない。
「髭だよ、髭。日に焼けて、そんなに髭生やして、もう『熊田』という苗字そのままだね、穣太郎」
 と、寧は言う。料理人は清潔感が命、と考える職場もあるらしいが、穣太郎の場合そんなこと構っていられない極地に生息しているのだ。結果、穣太郎の顔にはもっさりと見事な髭が生えている。元が骨太で、筋肉のつきやすい、大柄な男だ。髭は穣太郎のトレードマークとも言えるほど、似合う。
「剃っちまったら燕がおれだって分かんねえだろう」
「その、ツバメくんはどういう人なんだい?」
「去年、夏場だけ、うちにバイトに来てた子だ」
「若いの?」
「分かんねえなァ。ほそっこい、骨と皮だけみたいな身体の子だった。こんな体格のやつがうちのバイトなんざ務まるかい、と思ったが、意外と体力あったみたいで、きっちり夏のハイシーズンをこなしてくれたよ」
「仲良かったんだ?」
「細い身体、っていうのがおれには恐怖でな。料理人にとっちゃあ、痩せっぽちってのは敵に近い。厨房にさらって、よくおやつを与えてたんだ」
「きみね、……いくら苗字が燕だからって、本当に鳥のヒナ拾ったわけじゃないんだから」
「まあ、おれにとっちゃあ似たような感じだったな」
 そこへラウンジの従業員がコーヒーを運んできた。ここに長年勤める、ティーラウンジではおそらく最年長に当たる本田(ほんだ)というウエイターだ。彼もまた痩せすぎなほど痩せていて、それを指して穣太郎は「そうそう、こんな身体してたよ」と寧に告げる。
「ああ、穣太郎の言うことは気にしないでね、静可(しずか)さん」と寧が本田をフォローしたが、彼は慣れたもので、にこりと微笑んだ。
「またおふたり揃って悪だくみですか?」
「人聞き悪いな。そんなんじゃないよ。――ねえ、今日のケーキはなに?」
「白桃のタルトでございます」
「じゃあそれを、僕と、穣太郎と、ふたつ。それから穣太郎のお相手が来たら、その人にも出して」
「かしこまりました」
 本田は静かにその場から下がった。本田だけにはどうも、寧の正体はばれているようだが、そんなことは穣太郎にとってどうでもよい。
「その、約束の品、ってのはなんだい?」本田の後ろ姿をしばらく追っていた寧だったが、改めて穣太郎を向いて、訊ねた。
「覚えてねえんだ」
「約束を忘れるなんてひどい男だ」
「なんか、山荘の女連中にはさ、やたらと受けている感じしたんだけど、……こう、銀色の長い爪楊枝みたいなものを持って」
「はあ?」
「糸つかって、ちまちまこまこま、やってんだよ。休憩のときにしょっちゅう。ああいうのなんていうんだ?」
「爪楊枝……」
 寧はうーんと唸る。爪楊枝、と言っていいのか分からない。先が鉤状に曲がっていて、それで糸をひっかけてはくるくる回して、やたらとひらひらしたものを制作していた。それが女性従業員には大いに評判良かったのだが、流行ったりはしなかった。
「レース編みではないでしょうか?」
 そう答えたのは、ケーキを運んでくれた本田だ。寧が「なんだろう?」と彼に訊いたのだ。
「レースって、あれかい。女の下着についてる……」
「私も詳しくはありませんが、私の母がやっていたのを、子どものころに見たことがあります。かぎ針編み、だったのでは」
「編み物?」訊いたのは寧だ。
「はい」
「へえ、編み物ねえ。棒を二本つかうんじゃなかったっけ?」
「そういう技法もあったかと思います」
 本田の言葉に、寧は頷く。穣太郎はふーんと思いながら聞いていた。
「男性で編み物とは、珍しいね」
「うん。――美味いな」
 と、白桃のタルトに手をつけて、穣太郎は答えた。女の趣味だとか男の趣味だとか、穣太郎にはあまり興味がなかった。ただ、約束の品、というものが思い出せない。どんな話をしただろう。
 約束の時間に、いいころだった。そろそろ話題の男が現れてもおかしくない。直接聞けばいい、と穣太郎は考える。


→ 1‐2



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拍手コメントでお名前のなかった方
「楽園」のご感想をありがとうございます。
はじめての電子書籍で、縦書きになるんだ、ということがものすごく嬉しかったです。その嬉しさを味わっていただけたようで、やっぱり嬉しいです。
図書館のシーンも、高坂の臆病も、日野の積極も、どれもあの当時だから書けたものかな、という気がしてならないです。いま書いたらまた変わるでしょうか。
末永く愛される作品であることを祈っております。

ツバメとクマですが、彼らはまた毛色が違う作品になります。お楽しみいただけているでしょうか?w
シリーズです。少し続きます。明日以降もまた、お付き合い頂けると嬉しく思います。

拍手・コメント、ありがとうございました!
粟津原栗子 2015/07/19(Sun)21:14:03 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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