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背を向け、志津馬(しずま)はシャツを着る。傷がかくされていくのが、スローモーション再生のように満(みつる)の目には映った。擦り傷、噛み痕、鬱血痕。叩いたから痣にもなった。引っかいたり叩いたりだなんて、まるで絵画技法のようだと思う。さながら志津馬の背中はキャンバスか。美しい、なめらかな、満だけが描いていいキャンバス。そういう自己陶酔のかたまりみたいな思考が浮かんで、満はすぐにいやになった。結局、暴力そのもののセックスしか施せない。分かっている、分かっていて、でも志津馬には、優しくできない。
少しぐらい痛い方が志津馬は感じる、と分かってから、ひどくなった。手足を縛ったり、口がきけぬよう塞いだり、そのまま放置したりと、最近ではそれらが当たり前になった。志津馬がそれでも、ひどいことをすればするほど、満に「嫌いにならないで」と懇願じみたことを言うとき、言われたときの満のすさまじい優越感ときたら、なかった。ああ、なんという。あれほど羨む才能を持つ人が、自分に夢中になっていること。
そうやって自分に夢中になって、志津馬は絵を描けなくなればいい、と思う。
シャツを着た志津馬は、だるそうにベッドに横たわった。乱れたシーツの合間に沈む恋人の元へ寄り、満は一言「つらいか」と言って、その頬にそっと手を当てた。我ながら反吐が出る動作だと思う。それでも罪悪感みたいなものから、そうせずにはいられない。
志津馬は健気に笑ってみせた。
「大丈夫、おれ、タフだから。……気持ちよかった」
そんなわけがあるか、と思う。目を剥いて、悲鳴をあげて、泡を吹いて、失神するほどだったというのに。そんなわけがあってたまるだろうか。なぜ自分はこんなふうにしか愛せないのだろう。満は気分がわるくなる。
「最後、きらきらしてて、金色だった」
「……そうか」
「……眠い。寝ようよ、満」
「……」
「寝ようよ……」
志津馬の瞳がとろりと融ける。目蓋が下がり、そのあどけない表情を見て、満はやるせなくなった。今日の行為を「また」猛烈に反省する。あんなひどいことをした。手で打ち、引っかいて、雑に転がし、犯す。もっとちゃんと愛してあげたいという気持ちがあるのに。肌を密にキスしてあげられたらと思うのに、なぜいつも、どうして。
こわごわ、満は志津馬を抱きあげる。ソファベッドへ身体を移し、シーツを取り替えた。志津馬をベッドに戻したとき、傷に触れてしまったのか、志津馬は軽く声をあげたが、起きなかった。可哀想だと思う。愛らしくて、いとおしい。それでも才能の枯渇を願わずにはいられない。
背後から抱きしめて、満も目を閉じた。深く眠れるはずはなく、つめたい泥のなかをもったりと進む夢を見た。
満と志津馬は、大学の同期生だった。国内最高峰の研究が出来る美術大学に、満は四浪して、志津馬は一浪して入学した。何浪してでも挑戦したいという人間が多い大学で、満からすれば志津馬は「たった一浪」で入学した、はじめから憎らしい才能の持ち主だった。
ふたりとも同じく油彩科だったが、授業についてゆけないと感じた満は途中でデザイン科に転科した。その際、満は自分の才能にあきらめをつけた。つまり、画家として自分は大成することなく、凡人の域で終わるのだろう、と。夢だけでは食べてゆけない。それよりは確実に生きる道を。
卒業したとき、志津馬はアルバイトをしながら画家として生きてゆくことを決意した。就職活動は行わなかったわけだ。一方で満はデザイナーとしてちいさなデザイン事務所に就職した。ふたりが暮らしはじめたのはそのころだ。志津馬には金がなかった。ふたりで暮らすことはなによりもメリットが大きく、学生のころから仲の良かったふたりの、必然だったかもしれない。ただそのときはまだ、恋人同士ではなかった。
仲が良かったとは言っても、それは志津馬や周囲による一方的な見方でしかなかったと満は思う。学生時代は、満の後を志津馬がくっついていたので、仲間から「仲がいいな」とからかわれていた。移動教室は必ず一緒で、転科してからも、生協でふたり昼食を取った。志津馬は満のことを「大人の男の代表」と評しては、「クール、格好いい」と褒めちぎった。彼がなにやら自分に憧れているのだというのは、よく分かった。満はそんな志津馬をうざったく思いながらも、まんざらではなかったから、好きにさせていた。満自身は実のところ、志津馬の絵を見て、なぜこんな絵が描けるのか(おれには到底描けない)という、憧れ、妬み、諦め、複雑な思いをあれもこれも抱えていた。
志津馬は幼い言動が多く、とても二十歳を超えた男には思えないところがあり、しかしその幼いからこその純粋さが、彼の才能のいちばんの特徴だった。子どもが好みそうな濃いパステルカラーに、大胆なタッチ。草木や動植物といった身近なモチーフが多く、大学時代からすでに確立された世界観があった。教授にあれこれ指導を受けてはそのたびに惑い、タッチを変えていた満は、志津馬の才能が眩しかった。絵の前に立つと、羨ましくてくらくらした。
ピュアな作風は、性格がそのまま出ていた。道端に落ちるガラス片を拾っては水で洗い、陽に透かし、透明さに目を輝かせる志津馬。一度、海に遊びに行ったときのはしゃぎようったらなかった。海には海水浴に来たはずで、でも志津馬は絵を描いた。何枚も、描かずにはいられないとばかりに。呼吸するように描いた。
志津馬にとって画家以外の道はないようだった。それ自体がもう、妬ましいことだった。同居は我慢と嫉妬の連続で、それでもいざ本人を前にすると、ほだされる。苛立ちは、志津馬が呼ぶ「満」ですうっと凪いだ。慣れない仕事でくたびれている身には優しく、頭を撫でると、ほっとした。さらさらと細い黒髪は手に心地よく、志津馬も志津馬で甘く蕩けた顔をするから、余計に気分が良かった。自分には自分の道があり、志津馬には志津馬の道がある。そう何度も自分に言い聞かせた。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
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2021*08*16-08*19
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