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 夏になって、夏期講習会に参加するも、彩は来なかった。彩と同学年の山本という後輩が講習会に参加していたので話を聞いてみたが、「彩くん、いま東京のはずですよ」という答えに、千砂は驚く。
「あっちの方が美術予備校っていっぱいあるじゃないですか。夏休みつかってそこ行ってくるって言ってました。東京には彩くんのお父さんもいるって話ですし、ほかの同年代の仲間と切磋琢磨で、ガンガン描いてるんじゃないですか? こんな、田舎のちいさい講習会よりも」
 彩の方から「夏休みに会おう」と言っておいて、これは裏切りじゃないかと、千砂は思った。思ったが、まだなんとかこらえた。山本の言う「田舎のちいさい講習会」はその通りで、高校二年生という彩の学年を考えれば、確かに美術予備校の夏期講習会に参加する方が受験のプロによる的確な指導も受けられるし、全国から集まる同学年の仲間やライバルの存在は大きい。実りがあるだろう。
 翌年も千砂は市立美術館での夏期講習会に参加した。これにも、彩は来なかった。やがて風の便りで彩はM美大ではなく、H大学教育学部に合格したと聞いた。千砂が最悪のコンディションで足掻きながら受験して、受からなかった国立大学だ。そこの美術教育コースに進んだという。
 何年経っても彩は現れなかった。風というのは便りばかりはしっかりと運んで来て、彩が大学を無事に卒業し、教員採用試験にも合格して、美術科の教員になれたことも知った。
 千砂が目指したのは、画家だ。だからM美大へ進みたかった。しかし神様はそれを許してくれなかったから、せめて美術の傍にいたくて、千砂は教員という道を目指したのだ。それも自身の実力不足で阻まれ、高卒で農家の手伝いに明け暮れている自分がいる。そういう、現実と憧れた未来とのギャップ。自信の喪失。
 彩は、まず環境に恵まれていたと千砂は思う。美術予備校に通うだけの金が用意されていたのだ。絵は、修練して見方や描き方を覚えればちゃんと上達する。それぐらいの才能や技術力は彩にはあったはずだ。だからせめて、M美大へ進学してほしかった。自分が妥協して受験してもなお受からなかった教員の道など、彩には進んでほしくなかった。
 彩を信じているのか信じたいのか、夏場の七日間の夏期講習会だけを、千砂はばかみたいに受け続けている。千砂はもう何年も「絵」を描いていない。彩が知ったら幻滅するだろうか。高校生のころみたいに、ただ夢を追いかけ無我夢中になり、キャンバスに向かうことを、いまはしなくなった。
 もっとも、約束破りは自分も同罪である。千砂は、あんなに強く志願しておいて、M美大を一度も受験しなかったのだから。
 彩がもっと早くにこの講習会に現れていてくれたら――千砂は「諦め」という感情を知らずにいられたのに、といま、思う。
 自分の負の感情に、向き合わざるを得ない。だから彩には会いたくなかった。

 ◇

 本当に逃げてやろうかと思った。けれど、千砂は彩を待った。どうしてあんなやつの言うことなんか聞いているんだろうな、と千砂はぼんやりと考える。田舎町であれど、夏は夏だ。風が凪いでいるおかげでとても蒸し暑い夜だった。
 カルトンを持つ右腕がだるい。この大きな画板は重たく、おまけに汗で湿ってきて、肘の内側が不快だった。背中に背負ったリュックサックと背中の隙間が蒸れている。肌の発疹が悪化しそうだと思った。
 千砂よりも早く美術館の講座室を出たと思っていたが、彩の出現は千砂よりも十分ほど遅れた。彩は手ぶらだった。「先に駐車場の車に荷物を積んでいたので」と言う。
「先輩、車じゃないんですね。ここまでどうやって通ってます?」
「幼馴染が嫁さんもらって、この近くのマンションに住んでるんだよ。車動かすのがあほくさくなるぐらいの距離だ。講習会中は、そこに世話になってる」
「なるほど。じゃあ、そのカルトンはおれが持ちます」
 と、千砂のカルトンを彩は引き取り、脇に抱える。長く細い腕は学生時代と変わらない。「なに食べたいですか?」と彩は訊ねてきたが、千砂は到底食事などできそうになかった。彩の出現で、吐きそうになるぐらい緊張していた。
「おれはめしはいらねえ。飲み物だけありゃいいからさ、おまえの好きな店に行きな」
「食べないんですか? なにか食べて来てた?」
「いいや、別に特に腹が減ってるわけじゃないから」
「おれも同じです。腹が減っているわけじゃないです。ただ、先輩と話がしたいと思ったから、適当な言い訳作りました。こじつけです」
「じゃあその辺の自販機かコンビニで飲み物でも買って、夜の公園のベンチ、でもいいわけだな」
 その方が気兼ねなく話が出来そうだった。美術館の裏手にはわりと大きな公園があるのだ。彩が「そうですね」と同意したので、コンビニまで歩いてめいめいの飲食を買い、また歩いて公園にやって来た。
「夜の公園って好きですか、先輩は」
「変なやつが多そうだからあまり近づかない、かな。おまえは?」
「最近、夜走ることを習慣にしているので、設備の立派な、外灯で明るいような公園ならよく利用します。ほら、空港周辺のスポーツ公園とか」
「ふうん。じゃあまあ、明るいところに座っとくか」
 すぐ脇に外灯のあるベンチを選び、並んで座った。外灯には夜虫が群れていたが、そんなに気になるほどの大きさや数でもなかった。
 講習中はビールが飲みたいと思ったが、コンビニで千砂が購入したのはペットボトルの冷茶だった。それと口しのぎ程度のチョコレート菓子。彩も炭酸飲料のほかにパンを買っていた。それらをがさがさと音を立てながら、まずは口にした。


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粟津原栗子
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