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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 彩は高校の後輩で、二学年うしろにいた。千砂が所属していた美術部に彩が入部してきたとき、千砂は「生意気だな」と思ったことをよく覚えている。一年生のくせに千砂よりも身長が高かったせいかもしれない。それでいて逞しいわけではなく、華奢に部類出来る身体つきをしていた。制服のワイシャツが痩せた体躯によく似合っていた。入学して初年度という学年は誰も初々しいものだと思っていたが、彩は程よくこなれて、自分のスタイルを確立していたように思う。
 性格は、非常にマイペース。自分以外の他人に興味がなく、人からの評価も気にしない。そういうところにも、苛々した。千砂は人の目を気にしてばかりいたからだ。
 千砂のどこが彼のお気に召したのか、彩は千砂に懐いた。
 先輩、先輩とよく慕ってくれた。千砂が目指していたM美大へおれも行きたい、と言うようになった。千砂の家はあまり裕福ではなかったので、国公立であろうと美大進学は難しそうだったのに、彩は「才能も実力のある人が大学という研究機関で学べないのはおかしい」と異を唱え続けてくれた。千砂の絵を褒め、「おれもこんな絵が描けるようになりたいです」と感動してくれた。
 千砂にとって高校三年生という年は、怒涛だった。受験生という大事な時期に、父母が離婚したことがまず大きかった。千砂は進路希望先を変更せざるを得ず、美大から美術系の教育学部に志願を変えた。どうせ美大に行ってもまともな就職先は望めない。美術の教員にでもなれれば公務員で一生食べるに困らないだろうと踏んだ。絵ばかり描いて来た高校生活で、センター試験対策はろくにしてこなかったため、教師との相談の結果、実技重視の国立大学を選んだ。しかし急な志願変更では間に合わず、推薦入試を受験するも、失敗する。受験はストレスでしかなく、楽しかったはずの実技の練習時間が、苦痛になった。第二志望、第三志望と続けて受験したが、どれもだめだった。進学先が決まらなくても、高校は時期が来れば卒業してしまう。最後の抵抗とばかりに三学期の期末になって欠席を続けたが、いままで人の目を気にして素行が良かったために、大した足掻きにもならなかった。
 経済的に困窮していたために、浪人、という道すらも選べなかった。食べていくために働かざるを得ず、しばらくは千砂の母方の叔父で農業を営んでいる家に世話になることになった。比較的大きな農家で、桃やプラム、りんごなど果樹を育てており、またそれらを加工してジャムやジュースも作っていた。
 ことが決まると、急に引っ越しになった。県外へは出ないが、ここよりもっと田舎の町へ行く。引っ越しの手伝いにと、春休みをつかって彩は千砂の家へ来た。「人手はないよりあるに越したことないでしょう」と言い、千砂の部屋の衣類や雑貨などを手際よくまとめてゆく。
「慣れているんだな」と言うと、彩は「おれの家は転勤族ですから」と答えた。
「高校にあがる前までは父の転勤について行きましたけど、大学受験もあることだし、と言って高校からは祖父母の家にいます。そうやって生活が落ち着くまでは、あっちこっちしてました」
 衣類を畳み、段ボールへ詰めて、封をしてマジックで「冬服」と書きこむ。そして「これはどうしますか」と、千砂が大事にしている画材の類を指して言った。
「持って行きますよね、当然」
「……おれひとりで叔父さんの家に一部屋もらえるわけじゃないんだ。農繁期のお手伝いさんと相部屋だって。イーゼルとかカルトンとかキャンバスとかな、そんなでかくて邪魔なもの持って行けないよ」
「絵を描くのを、やめる、ということですか?」
「いまは、という意味だ。やめねえよ。やめられるもんか。でも、……そんな状況にいま、おれがいない」
 しばらく部屋を沈黙が支配した。そして彩は、「じゃあこれ、おれが預かっておきます」と言った。
「おれ、カルトンは持っているけどイーゼルまでは持ってないんです。家での練習用に、借りていていいですよね」
「おまえな」
「先輩、おれはM美大を受けるつもりでいます」
 彩はそう言い放った。力強い瞳が千砂を捉えにかかる。そのまなざしから千砂は逃れるように、目線を日に焼けささくれた畳の目に落とした。真正面から彩に立ち向かえない。立ち向かうだけの力が、そのときの千砂にはなかった。
「だから先輩もM美大を受験してください」
「受からねえよ、どうせ。受かっても金がねえ」
「じゃあ、死に物狂いで働いて金貯めて、めっちゃめちゃ実技も練習して、誰よりも上手くなって大学に来てください。待っていますから」
「なんだよ、おまえはもう受かったような口をきくんだな。デッサンでハーフトーンも作れないくせに」
「十代の伸びしろを馬鹿にしたらいけないと、これは祖父がよく言います。夢は叶うものだし憧れには手が届くときが来る、と。それをおれも信じています。おれだって死に物狂いで勉強して、実技も練習します。だから先輩、」
「……」
「一緒に行きましょう」
 彩の目は野望に燃えて光っていた。千砂は深く大きくため息をつく。後輩にこんなことを言われたら、自分には無理だと諦めてしまうことの方が難しいような気がした。とっくに消えたかと思っていた炎が、息を吹きかけられて再び燃え始める。やはり、なんとしてでも、なにがなんでも、自分の力で美大へ進学したいと思った。
 彩が「夏期講習会」と思いついたように呟いた。
「あ?」
「夏場、市立美術館で一週間だけ開催される講習会です。去年、先輩が参加した、」
「ああ、美術館の講座室つかって裸婦デッサンやるやつ? あれが、なに」
「学生から一般まで、安い講習料で参加できますよね。去年はおれ行けなかったけど、今年は参加するつもりです。そこでまた会いましょう」
「……分かった」
 その答えを聞いて安堵したのか、彩は微笑んでみせた。「また会えますよね、絶対」
「高校卒業して引っ越しするって言ったって、死ぬわけじゃねえんだから」
「うん、そう、良かった。おれ、先輩が好きだから、もう会えないのは嫌なんです」
 彩は満足そうに息を吐いたので、その「好き」がどういう意味で発せられたものなのか、千砂はつい聞き損ねた。同性の先輩と後輩で、仲が良ければ、「好き」という感情はごく当たり前に持つものなのだろう、という風にも捉えた。
「じゃあ、元気で」
「また夏休みに」
 ほこほことぬるい春の夕暮れの中を、彩は軽い足取りで自身の家へと帰宅して行った。それが最後に見た彩の後ろ姿だった。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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