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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 鉛筆や木炭が紙の上を滑る。そういう、乾いてかすれた音しか聞こえない。周囲はものすごい熱気に包まれている。盛夏のさなかだというのに冷房を端から切ってあるのは、フロアの中央にポーズを取った裸婦がいるからだった。ヌードモデルを中心にして、イーゼルが乱立している。ちょっとした森みたいになっている。
 裸婦を前にみな、自分の腕前を信じて夢中でデッサンをしている。千砂(ちずな)もそのひとりで、しかし彼はいま背中に猛烈な痒みを感じていた。夏はこれだから嫌だ。千砂の肌は夏にとことん弱く、汗や紫外線や衣類の繊維といった刺激ですぐに発疹を起こし、それは痒みをもたらす。
 肌の上を汗が滑り落ちる感覚に思わず身震いした。白いシャツの下で、千砂の肌は熱く湿り気を帯びて、発汗している。下着の中など蒸れてぐちゃぐちゃで、気持ちが悪かった。早く家に帰ってシャワーを浴びたい。クーラーをガンガンに効かせた部屋でビールの一杯でも仰いで、なにも考えずに大の字で眠ってしまいたい。
「手が止まりましたね。少し見ましょうか」
 と、講師に声をかけられ、千砂の意識が場に戻る。老齢の柔和な面差しの講師に促され、千砂は一礼してから自分のポジションを講師に譲った。
 いまは夏期講習会の真っ最中だ。講習内容は、裸婦デッサン。千砂が幼少から住むこの街の、市立美術館とそれを母体として動く美術会が主催して毎年行われている。七日間のみだが参加者は多く、抽選となる年もある。若い者は高校生からいて、千砂自身も高校生のころから参加している。
「ここ、骨盤があるのが感じられないように思うんです」
 と、立ちポーズの裸婦と、千砂がワトソン紙に引っ張った線を見比べて、講師が指摘する。
「若干ですが、寸胴に見えます。もう少しメリハリがついた方が裸婦らしいと思います。腰の線はもっと内側に入るでしょう。それから下半身へ、尻の辺りは膨らんで、大腿へ。骨に脂肪と筋肉がついて皮膚で包んでいることを、意識して」
「はい」
「あとは大方いいとは思います。そこだけ直したら、――水彩道具を持っているようですが、これから着彩しますか?」
「そうです。形だけ取れたら」
「ではもう着彩してください。着彩しながらでも直せるかたちだと思います。色を入れるとき、背景も描きこんでください。雰囲気で結構です。あなたはこれだけ描きこめる人ですから、デッサンを完成させるというよりは、絵として画面を完成させることに意識を置きましょう」
「背景、」
 裸婦を挟んで向かい側にも、千砂と同じくイーゼルを立ててデッサンを行っている人物が複数いる。あえてそちらに目をやらないようにしていて、講師から指摘されたので千砂はぎくりとした。
「裸婦だけでは、絵が浮きます。いつまでも画学生のような絵を描いていればいいというわけではありませんよ。もうそろそろ一段階上へ進みましょう」
 この講師は千砂が高校生のころから変わらずで、もう何年も千砂の絵を見てくれている。痛いところを突かれて、千砂は思わず目を閉じる。同時に裸婦がセットしたアラームが鳴り、今日の講習の終了を告げた。
「じゃあ、明日は着彩から始めてください。腰の辺りの形を直しながら」
「はい。ありがとうございました」
 講師が去る。皆がイーゼルを片付け始める。その流れに逆らって、千砂と対岸でデッサンをしていた男が、千砂の方向へずんずんと歩みを進めて来た。細い涼やかな目、際にほくろが浮く。端正に顔立ち整った良い男だ。もっとも、千砂自身はそのことをあまり評価していない。
「――先輩」
 と男が言った。千砂はこの講習会に今年ばかりは参加しなければよかったと後悔している。
「彩(さい)、」
「この後なにか予定はありますか? どこかでめしでも、行きませんか」
「おまえ、そんなのんきにしている暇があるのか? 明日も学校だろ」
「いまは夏休みですから」
 彩はふっと目を細めた。
「片付け終わったら、美術館の門で待っていてください。逃げないでくださいよ」
「は、」
 彩は言うだけ言うと、自分のイーゼルの元へ小走りに去って行った。去り際、彩はぽん、と千砂の背、というよりも腰の付近を軽く叩いた。汗の流れている肌の、発疹がさらに腫れた気がした。熱を持っている。熱くてたまらない。
 高校生だったころから、十年の先は経った。それでも未だに彩の言葉、行動には心を動かされる。脅かされる、という表現の方が正しいだろうか。心の安寧が、彩の行動で踏み荒らされる。心が波立ち、ささくれ立つ。彩だけがもたらす突風、嵐だ。
 それを自分は望んでいるのか、拒みたいのか、よく分からないでいる。こんな歳にもなって、未だに。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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