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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 その夜僕らは早々に同じ布団に潜って、泥のように眠った。降り続ける雨が僕らの睡眠をより深く長く持続させた。朝になってアラームが鳴り、ぼんやりと覚醒したが、ふと隣を見て一人の寝顔を見て、あどけない寝顔は昔と変わらずで、でもどこかやつれているように見えて、なんだかまた泣けてしまった。十年経った。もう二度と会えないんじゃないかと途方に暮れた十年前を振り返って、あのときの僕に「また会えるよ」と言えるのだと思ったら、涙が出て止まらなかった。再会の喜びというよりは、時が過ぎたことへの哀愁みたいなもの。つまり、ノスタルジア。
 目を閉じて泣く僕の頬に、一人の手が伸びた。一人を起こさないようにと思っていたのに、涙の気配で、彼は起きたらしい。「朝っぱらから、泣くな」と起き抜けの低い声で、一人は言った。頬に伸びた手が頭を包み混んで引き寄せられたので、僕は遠慮なく、一人の胸にすがった。
 一人の胸はしっかりと張っていて、心音が聞こえた。静かに、確かに動いている。僕はその音に聞き入った。聞き入りながら、一人の身体を意識した。着ているシャツ(僕が貸した)からたちのぼる一人のにおいだとか、呼吸をするたびに上下する胸板だとか、頭を抱え込んでいる長い腕と大きな手のひらだとか。
「どうして泣くんだ」と一人は訊いた。
「――いろんなことだ、と思う」
「言ってみろ、ひとつひとつ」
「……きみの体温は高いな、とか」
「おまえも温かいよ」
「十年経って会えると思わなかった、とか」
「おれも、思わなかった。一生借金返済で終わると思ってたから」
「一人が疲れているときにおれを頼ってくれて嬉しい、とか」
「それしか思いつかなかったんだ。すんなり会えるとも思ってなかったけど」
「夏の一人ははじめて見たから、驚いたり……」
「おれも、驚いたよ」
 そこで一人は起きあがった。必然、僕も身体を起こす。
「ひょろっこい都会人だと思っていたのに、いつの間にかスーツが似合うようになっていた。肌が白いのは知っていたけど、腕や足を見て、こんなに白いのか、って驚いた。――驚いて、おれは、……触りたいと思った」
「――」
「いや、ずっと思ってたんだ、それこそ出会ったころから、触ってみたいって。――気持ち悪く、ないか」
 僕は首を横に振った。
「触っていいか?」
 訊かれて、僕は両の手のひらを一人に差し出した。一人はその手を、握った。さっきまで泣いていた僕は、手のひらにまで汗をかいていて、それを知られるのが恥ずかしかったが、一人に触れられる喜びの方が勝っていた。
「キスを、しても?」
 了承の代わりに、僕は手のひらに力を込めた。一人の顔が近付き、僕らは手を握りあったまま、キスをする。唇と唇を合わせるだけの、挨拶みたいな、もしくはとても幼いキスだ。でもそれが、いまの僕らにはちょうど良いのだ、と感じた。
 スヌーズ機能にしておいたアラームが再び鳴って、僕らは唇を離した。
「会社、行かなきゃ」
「……おまえには手持ちのカードが多そうだな」
「……きみは昨夜、なんにもないって言ったけど、そのカードにおれも加えてもらえるなら、一枚残っている……と、うぬぼれてもいい?」
「……そうだな、いちばん手放したくなくて、最後まで取っておいたカードだ」
「そっか」
「うん」
「嬉しいよ」
「……」
「おれはずっと、一人の『唯一の人』になりたかったし、一人のことがおれにとっての『唯一の人』になればいいなと、思っていたんだ」
 そう言うと、一人はたまらない、とばかりに僕を強く抱きしめた。ああまた離れがたくなってしまうなと思いながらも、抱擁をやめる気にはなれなかった。ひとりでは感じられない他人の体温が、力加減が、香る体臭が、走る脈動が、僕には喜びだった。一人もおそらくそう感じてくれていたんだと思う。
 離れたくなかった。けれど、僕には僕の日常があって、そこから外れるわけにはいかなかった。だから僕は惜しみながら、一人の胸を押して距離を取った。
「遅刻する……行かなきゃ」
「分かってる。一晩、ありがとうな」
「きみは、このあと……」
 言葉が紡げない。本当はここにいろよと言いたかった。フリーなら、なんにもないなら、一人をくれよ、と。だが僕は臆病だ。言葉ひとつに、ためらいがある。
 一人は固い表情で、「おれは根っからの田舎者だからさ」と答えた。
「おまえの家にいながら、でも、故郷が恋しい。本音は、帰りたい。おそろしく雪が降って、ソリでもスキーでもスノボでも、し放題のちいさな町にさ」
「そう……」
「帰るよ。……と言ってももう家はないし、仕事も見つけられるかどうか分からないけど、」
「……」
「駅まで、一緒に行く」
 一人は、時間があるから鈍行でゆっくり帰る、と言った。大した食事もとらず(そもそも食材を買っていないので、作りようがなかった)、身支度だけして、僕らは揃って部屋を出た。昨夜からの雨は止んでいたが、空を覆う雲は厚い、曇天。途中のコンビニエンスストアで飲み物だけ買い足して、特に会話もなく、駅までの道を行く。
 駅はとても混雑していた。ちょうど通勤・通学ラッシュの時間帯だった。僕はいつも少し早めの比較的空いた電車に乗っていたので、この人の多さには、うんざりした。一人からは「すげえな」という感想が漏れ出た。「うん、すごいんだ」と僕は頷く。
 一人の乗るべき電車は、僕が乗るべき電車とちょうど逆方向にあった。「じゃあ、元気で」と一人は言い、僕らは改札口のすぐ傍で握手を交わし、それぞれのホームへと向かった。階段を降りる前に後ろを振り返ったが、一人の姿は人混みに紛れて、もう分からなくなってしまっていた。
 とても、とてつもなく気分が悪かった。心臓がずきずきと痛み、なにも食べていないくせに吐き気がこみ上げた。それは全部この天候のせいにしたくて、出来なかった。一人とまた離れるせいだと分かり切っていたからだ。昨夜の、一人のおかげで温かった布団や、夏服で座り込んでいた一人や、握った手のひら、――そういうものが、次々と心に浮かんでは、僕を責める。どうして一人を行かせるのか、と。
 せめて次の約束をしたい、と思った。なんでもいい、また会いたい、の一言でいい。いや、またなんていつかの言葉じゃなくて、もう、いま、いますぐ会いたくなっている。顔が見たい声が聞きたい身体に触れたい、話をしたい。
 だから僕は走った。まだ間に合いますようにと願いながら、一人が向かったはずのホームへと向かう。階段を駆けのぼり、来た道を逆走する。何度も人とぶつかりそうになっては、謝りもせずに、ただ走る。
 ほぼ真正面から来た人に、僕は気づかなかった。まともに身体と身体がぶつかりあって、僕は後方へ一・二歩ステップを踏んで、転んだ。ちょうど改札の付近だった。痛い、と思いながらも僕は顔をあげる。相手の顔を見て僕は息をのんだ。一人が立っていたからだ。
「大丈夫?」
 一人も、この偶然は予期していなかったはずだ。そういう顔で、僕に手を差し出した。立ちあがりながら、僕は「なぜ?」と訊いていた。
「――やっぱり帰れない、と思ったから」
「……」
「もうちょっと一緒にいたいと思ったから、引き返した。――おまえもそう思ったからここまで引き返してきた。……合ってる?」
 僕は頷く。一人はほっとしたみたいで、息をついた。それから尋ねる。「今日、どうする」
「会社、休む」
 僕は即答した。
「少し、歩こうか。この街を案内するよ。昔ながらのいい喫茶店がわりと多い街なんだ。そこでモーニングを食べよう。ほかにもこの街には、大きな公園がある。池もあって、ボートが漕げるよ」
「ああ、いいな」
「歩きながら、話そう。いままでのこと、これからのこと。どうでもいいことも、たくさん。きみのことならなんでも聞きたい」
「おれも聞きたいよ、おまえのことならなんでも」
「うん」
 とんでもなく嬉しかった。それこそ、また泣いてしまいそうなぐらい。僕と一人は改札を出て、外へ出た。先ほどよりも辺りは明るくなっていた。
「あ、一人」
 僕は空を見あげた。重たい雲と雲の隙間から日差しが出て、それはとても強い光線で、僕らは思わず目を細める。
「日差しが出て来た。――今日は暑くなりそうだ」
「そういえば、夏至が近いな」
「え?」
「夏が来るってこと」
 そうか、と僕は頷く。夏の一人を、僕は知らない。だから今年の夏はどんなに暑くても、きっと嬉しかったり、楽しかったり、新鮮だったり、そういう新しい感情が待ち受けているんだろう。
 切れた雲の隙間から、青空が見えた。雨が洗ってくれたから、清々しい見事な青だった。
 そう、夏が来る。


End.



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Fさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
鬱陶しい梅雨ですね。ですが「幸せな気分」とありましたので、少しでも梅雨の煩わしさが払拭されたのかな、と思うと嬉しかったです。
また次回の更新をお楽しみに。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2016/06/26(Sun)07:49:51 編集
はるこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。そして、お誕生日おめでとうございますw
バースデープレゼントになったとのこと、嬉しく思います。良い誕生日を過ごされたのですね。いただいたコメントに、私まで心温まりました。
人と人との巡りあいというのを、私はとても不思議に思っています。会いたいと思うときには会えなかったり、ひょんなタイミングで出くわしたり、どこかですれ違っていたり、再会に何年もかかったり。
このふたりはきちんと会えました。そういう巡り合わせで幸福なふたりだったと思います。まもなく迫っている夏を楽しんでほしいです。
また次回もよろしくお願いいたします。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2016/06/29(Wed)17:11:25 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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