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思ったよりも電車は空いていたわ。どうやら人混みがだめな漠さんを気遣って、深山くんが遠回りでも空いていそうな路線を選んでくれたみたい。ゲージに入った私もいるしね。深山くんは都会になれない漠さんの保護者役だった。しきりに漠さんを気遣っていたわ。私のこともちょっとくらい気にしてほしいものだわ。
三十分ぐらい電車に揺られて、降りて、深山くんの暮らす街まで来た。坂の多い街で、高いところからの景色は私たちの故郷の方がずっと良かったけど、谷間になる眺めはなんだかぞくっとしたわ。ビルとビルの合間にずしんと沈められたみたい。空へとにょきにょきのぼる高い建物の群れを下から見上げる。私が見るはじめての景色だった。
慣れないエレベーターでぐーんって上昇して、たどり着いた部屋はさっきの都子さんのおうちよりずっと広かった。広くて、ものが中途半端になくて、がらんとしていた。私は目をぱちくり。玄関の扉をしっかり閉めてからゲージから放されたけど、家具も、雑貨も、家電も、なんだか必要最低限しか揃っていない、恋人同士が暮らしているだなんて思えないぐらいとっても淋しい部屋だったわ。
私は後ろから漠さんに抱きあげられて、ヒトの高さで部屋を見渡す。漠さんはそのまま窓際に寄って、ベランダの向こうの景色を私に見せてくれた。
「倒れたんだよ、おれ」と漠さんが呟いた。「レセプションパーティーの直前に、画廊の事務所で吐いた。そのまま動けなくなっちゃってね。どうやら、緊張から来るストレスだったみたいで」
やっぱり! どうかしちゃったんじゃないかと思ってたわ。漠さんは話を続ける。
「次の日帰る予定だったのにさ、起き上がるのもやっとで。見かねた深山くんが『無理に帰るのやめて、もう少し良くなるまで東京にとどまりませんか』って言ってくれたから、ホテルから移って、数日前からこの部屋にお世話になったんだ。もう胃も痛まない。身体に力が入る。大丈夫だよ」
〈よかったわ〉
「びっくりしたよね、この部屋」
漠さんは振り返った。私も視線を窓の外から部屋の内側に向ける。物がすかすかのキッチンで深山くんが、お湯を沸かしていた。私たちの視線に気づくと困ったように笑って、頭を掻いた。
「恋人、出てったんだって」
漠さんのその言葉は、私じゃなくて深山くんに向けられていた。事実を確認しなおすように、ゆっくり一音一音、発声していく。
「おれとの浮気がばれた、って」
「浮気、じゃないとおれは思ってるけどね。ばれたよ、ばれました。おれは漠さんとのあの夜があってからずっと上の空だったし、隠そうともしなかった。色々追及されて、白状しました。おれの心がもうとっくに離れていることも全部、話した」
ピィーッと高く笛が鳴って、薬缶にお湯が沸いた。コンロの火を深山くんは消す。ティーバッグをスタンバイさせたカップにとぽとぽとお湯を注ぐと、ふたり分のカップを持ってローテーブルまで持ってきた。
「月さんは、牛乳飲む?」
深山くんが私たちを見て訊いた。私が鳴くのと、漠さんが「ください」って言うのと同時だったわ。冷蔵庫からパックの牛乳を深山くんは取り出した。私は漠さんの腕からトッと降りると、傍へ寄ったわ。深山くんの足にすりすり擦りついて、牛乳をおねだり。
深山くん、小さな器に牛乳を注いでくれた。私が牛乳に夢中になっているあいだに、深山くんと漠さんは向かい合わせで座る。お茶を飲みながら、お互いを見つめあっていた。
「ごめんね、おれは一度この恋を諦めた」と深山くんは言った。
「恋人と別れることになっても、恋人がこの家から引っ越しても、漠さんには知らせなかった。これから漠さんとどうこうなろうっていう気持ちより、しばらくひとりで考えたいっていう気持ちの方が強かった。済んだことを蒸し返してどうしろって言うんだと思った。だから知らなかった、全く考えなかった……こんなに痩せて、」
深山くんの指が漠さんの方へそっと伸びた。漠さんの、痩せて尖った顎を取る。漠さんは「みっともないだろ」と苦笑した。
「上京した漠さん見て、驚いた。痩せてしまったことも衝撃だったけど、自分の中に、こんなにあなたをいとおしいと思う気持ちが起こっているということ」
「忘れないでいてくれた?」
「正直、忘れたいと思う夜が何度もあった。でも、……無理だった。ずっと心臓痛かったんだ」
深山くんはテーブルの向かい側からすっぽりと漠さんの両頬を手で覆った。ごちん、と額と額をくっつける。
ふたりは目と目を見合わせて、とても幸福そうに笑ったわ。
「――明日、月ちゃんと帰るよ、おれ」と漠さんが言う。
「今夜も泊めてくれる?」
「勿論」
「明日見送ってくれる?」
「勿論」
「そっか。じゃあ、淋しくない」
「おれは、淋しいな……」
深山くんが漠さんの頬にキスをした。
「淋しがるくせにひとりでいたがる。熱しやすく冷めやすい。少し、きみのこと分かって来たよ」漠さんは目を閉じてキスを受けながら言う。
「分かったら、嫌いになる?」
「それは、違う話だな」
ふたりの声がだんだん囁き声に近くなる。私は牛乳を舐め終わって、眠たくなってきた。
ふたりを置いて部屋を出歩いてみると、隣に寝室を発見した。広いベッドが置いてある。丸くなった毛布のくぼみが魅力的で、私はそこへぴょいっと上がる。
大あくび、それから目を閉じる。うとうとしていると、でも扉が大きく開いた。深山くんが漠さんをすっかり抱えあげて、部屋をせわしく進む。私のことなんにも気にせずに漠さんをベッドに落とすのよ。私はつぶされるかと思って、さっと逃げた。
私のことなんか男ふたりはちっとも気にせず、この世の終わりみたいに熱い抱擁を交わしている。もう、勝手にして頂戴、よ。
三十分ぐらい電車に揺られて、降りて、深山くんの暮らす街まで来た。坂の多い街で、高いところからの景色は私たちの故郷の方がずっと良かったけど、谷間になる眺めはなんだかぞくっとしたわ。ビルとビルの合間にずしんと沈められたみたい。空へとにょきにょきのぼる高い建物の群れを下から見上げる。私が見るはじめての景色だった。
慣れないエレベーターでぐーんって上昇して、たどり着いた部屋はさっきの都子さんのおうちよりずっと広かった。広くて、ものが中途半端になくて、がらんとしていた。私は目をぱちくり。玄関の扉をしっかり閉めてからゲージから放されたけど、家具も、雑貨も、家電も、なんだか必要最低限しか揃っていない、恋人同士が暮らしているだなんて思えないぐらいとっても淋しい部屋だったわ。
私は後ろから漠さんに抱きあげられて、ヒトの高さで部屋を見渡す。漠さんはそのまま窓際に寄って、ベランダの向こうの景色を私に見せてくれた。
「倒れたんだよ、おれ」と漠さんが呟いた。「レセプションパーティーの直前に、画廊の事務所で吐いた。そのまま動けなくなっちゃってね。どうやら、緊張から来るストレスだったみたいで」
やっぱり! どうかしちゃったんじゃないかと思ってたわ。漠さんは話を続ける。
「次の日帰る予定だったのにさ、起き上がるのもやっとで。見かねた深山くんが『無理に帰るのやめて、もう少し良くなるまで東京にとどまりませんか』って言ってくれたから、ホテルから移って、数日前からこの部屋にお世話になったんだ。もう胃も痛まない。身体に力が入る。大丈夫だよ」
〈よかったわ〉
「びっくりしたよね、この部屋」
漠さんは振り返った。私も視線を窓の外から部屋の内側に向ける。物がすかすかのキッチンで深山くんが、お湯を沸かしていた。私たちの視線に気づくと困ったように笑って、頭を掻いた。
「恋人、出てったんだって」
漠さんのその言葉は、私じゃなくて深山くんに向けられていた。事実を確認しなおすように、ゆっくり一音一音、発声していく。
「おれとの浮気がばれた、って」
「浮気、じゃないとおれは思ってるけどね。ばれたよ、ばれました。おれは漠さんとのあの夜があってからずっと上の空だったし、隠そうともしなかった。色々追及されて、白状しました。おれの心がもうとっくに離れていることも全部、話した」
ピィーッと高く笛が鳴って、薬缶にお湯が沸いた。コンロの火を深山くんは消す。ティーバッグをスタンバイさせたカップにとぽとぽとお湯を注ぐと、ふたり分のカップを持ってローテーブルまで持ってきた。
「月さんは、牛乳飲む?」
深山くんが私たちを見て訊いた。私が鳴くのと、漠さんが「ください」って言うのと同時だったわ。冷蔵庫からパックの牛乳を深山くんは取り出した。私は漠さんの腕からトッと降りると、傍へ寄ったわ。深山くんの足にすりすり擦りついて、牛乳をおねだり。
深山くん、小さな器に牛乳を注いでくれた。私が牛乳に夢中になっているあいだに、深山くんと漠さんは向かい合わせで座る。お茶を飲みながら、お互いを見つめあっていた。
「ごめんね、おれは一度この恋を諦めた」と深山くんは言った。
「恋人と別れることになっても、恋人がこの家から引っ越しても、漠さんには知らせなかった。これから漠さんとどうこうなろうっていう気持ちより、しばらくひとりで考えたいっていう気持ちの方が強かった。済んだことを蒸し返してどうしろって言うんだと思った。だから知らなかった、全く考えなかった……こんなに痩せて、」
深山くんの指が漠さんの方へそっと伸びた。漠さんの、痩せて尖った顎を取る。漠さんは「みっともないだろ」と苦笑した。
「上京した漠さん見て、驚いた。痩せてしまったことも衝撃だったけど、自分の中に、こんなにあなたをいとおしいと思う気持ちが起こっているということ」
「忘れないでいてくれた?」
「正直、忘れたいと思う夜が何度もあった。でも、……無理だった。ずっと心臓痛かったんだ」
深山くんはテーブルの向かい側からすっぽりと漠さんの両頬を手で覆った。ごちん、と額と額をくっつける。
ふたりは目と目を見合わせて、とても幸福そうに笑ったわ。
「――明日、月ちゃんと帰るよ、おれ」と漠さんが言う。
「今夜も泊めてくれる?」
「勿論」
「明日見送ってくれる?」
「勿論」
「そっか。じゃあ、淋しくない」
「おれは、淋しいな……」
深山くんが漠さんの頬にキスをした。
「淋しがるくせにひとりでいたがる。熱しやすく冷めやすい。少し、きみのこと分かって来たよ」漠さんは目を閉じてキスを受けながら言う。
「分かったら、嫌いになる?」
「それは、違う話だな」
ふたりの声がだんだん囁き声に近くなる。私は牛乳を舐め終わって、眠たくなってきた。
ふたりを置いて部屋を出歩いてみると、隣に寝室を発見した。広いベッドが置いてある。丸くなった毛布のくぼみが魅力的で、私はそこへぴょいっと上がる。
大あくび、それから目を閉じる。うとうとしていると、でも扉が大きく開いた。深山くんが漠さんをすっかり抱えあげて、部屋をせわしく進む。私のことなんにも気にせずに漠さんをベッドに落とすのよ。私はつぶされるかと思って、さっと逃げた。
私のことなんか男ふたりはちっとも気にせず、この世の終わりみたいに熱い抱擁を交わしている。もう、勝手にして頂戴、よ。
冬のあいだに、深山くんは引っ越しをしたみたい。都内って言っていたけれど、職場に近いことよりも、この田舎への交通の利便性を重視した引っ越しだったらしいわ。漠さんと深山くんはお互い離れて暮らすことを選択したけれど、そこに悲壮感は漂っていなかったから安心よ。深山くんはいまの仕事が楽しいんだって。漠さんもこの田舎暮らしを気に入っている。一日の報告は電話でし合う。そして深山くんは仕事がお休みの日に、遊びにやって来る。
二月に漠さんは誕生日を迎えた。深山くんの誕生日プレゼントは、なんと猫だった。私と違って明るいオレンジの毛並みをしたその猫は「金星(きんぼし)」と大層な名前をもらっていたわ。通称「キンちゃん」。まだ子猫、やんちゃで怖いもの知らずだから、私に本気でじゃれついてくるのを、私は適当にあしらってやるの。そして物事を色々と教えてやっている真っ最中よ。爪とぎの適切な場所とか、人の言葉の訳し方、とかね。
ねえねえおねえちゃん、ってキンが私に訊く。私はなあに? って答えてあげる。キンは深山くんのところから来たくせに、漠さんにすっかりなついてしまったおかげで、時折やって来る深山くんと漠さんの関係性がよくわからないみたい。
〈どうして深山くんが来ると、漠さんとふたりで部屋に閉じこもっちゃうの?〉
あの、漠さんの仕事場の話ね。さあね、なにをしているんだか、そんなの訊くのは野暮よって、私は教えてあげるの。
End.
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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