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よく喋る同居人・漠(ばく)さんのおかげで、私までよく喋るようになってしまった。だって話しかけられたら、なにか答えてあげなきゃ、って思うじゃない。漠さんは普段は物静かで大人しいけど、私に対してはすごくおしゃべりになる。それも、から回った思考をしていることが多いから、やれやれ、って私が訂正してあげるのよ。これが不思議なことに、結構通じるの。
生まれた年は、もちろん漠さんの方がずっと上。早生まれでね、来年の二月で三十歳になるの。私と暮らし始めて五年だわ。
私、拾われたの。捨てられたから。十一月末のよく冷え込んだ夜、雑木林の脇にきょうだいたちと段ボール箱に入れられて、捨てられた。生まれたばかりで、まだ目もあいてなかったの。必死でお母さんを呼んだけどお母さんは来ない。きょうだいたちの身体はそのうちどんどんつめたくなっていった。すごく寒かった。そこに二晩いたの。五匹いたきょうだいは私を残してみんな死んだ。
漠さんの車が通りかかったのは偶然だった。漠さんは画家でありイラストレーターであり、とりわけ植物の細密画を描くことを生業としていた。漠さんはちょっとでも時間が出来るとすぐその辺の森や林に入って、スケッチなぞしながら、気に入った植物を収集する。それを持ち帰って色鮮やかな細密画を描くのだ。その朝も家から三十分の距離にある雑木林に向かって、散策を開始しようとした矢先に私たちの段ボールを見つけたのね。漠さんの指が私を探ったとき、私、みゃあああ、って声をあげた。漠さんはにっこりと微笑んで、「あったかいね」と言ったわ。
「どうやら生きてるのはお前さんだけみたいだね、運がいいやつだ。……こんな冷え込む時期に雑木林に捨てるなんて、」
漠さんは怒りをあらわにしたけれど、すぐに表情を戻して、車の中を漁り始めた。新品のタオルを積んであったらしく、それで私の体を包んで、シャツのボタンをみっつはずして、その温かいおなかに私を入れてくれた。それからきょうだいの段ボールも車に積み込む。漠さんのおなかの温かさにまどろみながら、私は漠さんの家までやって来た。
漠さんはひとり暮らしだった。高名な日本画家だったおじいさんが死んで、漠さんは辺鄙な土地にあるちいさな一軒家をもらえたの。おじいさんが夏場の別荘としてつかっていた家で、人とかかわりを好まない変わった孫にはこれがいいだろう、と生前から思っていたみたい。相続に困らぬように弁護士を立てて遺言を残してくれていた。いちばん近い街まで車で一時間半もかかるような土地にあったけれど、漠さんは喜んでこの家に来たそうよ。それが夏のことで、これからはじめての冬を迎える、っていうタイミングで私が来たわけ。
漠さんは懸命に私の世話をしてくれた。それから死んでしまったきょうだいたちを、庭の椿の木の下に埋めてくれた。いまでもそこには石が積んであるわ。私、たまにそこに行く。夏場はそこがいちばん涼しいの。
漠さんは私に名前を付けた。私、「月」っていうの。ちょうど胸元に三日月みたいな模様があるし、漠さんが言うには、「漠と月とで、『月の沙漠』だ」って。漠さんその歌をたまにお風呂で歌ってる。だから私その歌を覚えたわ。
普段は「つっちゃん」って呼ばれているから、自分の名前が「月」だってこと、あんまり意識したことないわ。でもたとえば秋の縁側で漠さんが「お月見」って言って慣れないお酒飲んでるときに、膝の上に行くと、漠さん「やあ、おれの膝にも月がのぼった」だなんて言って、私は自分の名前を思い出す。漠さんの、お酒に酔って真っ赤になった顔を私は見上げる。「つっちゃん、目がまんまるでお月さんみたい。綺麗だね」って、漠さんがあの歌をうたいだすの。
漠さんの仕事場だけは立ち入り禁止なの。私が入ると、毛が飛んで濡れた筆の穂先についたり、まだ乾いていない作品についたりするから、とか、作品の上で爪とぎするから、とか、絵筆をかじるから、とか、色々と理由があるわ。そりゃあちょっと好奇心旺盛なのは認めるわ。絵筆の、あのぼわっとした先っぽ見てるとむずむずするのよ。手でころころって転がしてみたらたまらなくなっちゃったの。ま、そんなわけで過去に一度か二度、激しくやらかして、私は漠さんの仕事場には入れなくなっちゃった。
漠さん、仕事中は無音で過ごしたいみたい。車の中じゃラジオ流してるけど、仕事のときはなんにもつけない。漠さんの仕事姿は見たことないわ。漠さんだって、私が野山を駆け回っているときの姿は知らないはずよ。
少し前から、悔しいことができた。スーツ姿の若い男が、漠さんの仕事場に出入りするようになったの。私のことは「だめ」っていうのに、その男ならいいのよ。私が猫だからだめで、男が人間だからいいのかしら。だとしたらなんだか不条理だわ。
スーツ男は、でも、サラリーマン、っていうわけでもないみたい。テレビでよく見かけるスーツ男たちよりも、ちょっとラフっていうか、軽めのスタイルで来るわ。私服に近い感じ。何者なのかしらね?
男が来るようになったのはちょうど一年ぐらい前から。二週間から一か月にいっぺんおきぐらいに来るの。その日も来て、男は「もうすぐですね、楽しみです」と言って、去っていったわ。男を玄関先で見送ったあと、私とうとうしびれを切らして聞いてみたのよ。あいつ誰なのよ、ふたりでなにしてるの、って。
びっくりしたことに漠さんそのまま玄関にうずくまるの。心配になって、頭を脛にこすりつけても漠さん動かないの。動かないっていうか、それで呻いたりなんかするのよ。
〈どうしたの? 具合が悪いの?〉
「あー、だめだ、もう、おれはだめだ」
そうしたら漠さん、苦しそうに目を閉じた。息をふーっと長く吐いて、ごろん、って玄関の廊下に体を投げ出したわ。私は漠さんの顔のところに行って、また聞いてみたの。なにがだめなの、って。
「つっちゃん」
〈なあに?〉
「深山くんのことどう思う?」
ミヤマくん、というのが誰のことなのか知らなかったけど、すぐにピンと来た。あのスーツ男ね。
「あの人ね、東京の画廊の人なんだよ。こんな辺鄙なところにわざわざ東京から、来てくれるんだよ」
〈どうして?〉
「今度、画集を出してもらえるんだ。美術書ばっかり扱うちいさな出版社からだよ。それに合わせて、その画廊で個展もひらく。彼はおれの担当で、作品の進行具合の確認とか、個展や画集の打ち合わせで、来るんだよ。……深山くんは、それだけなんだよな」
漠さんはつめたい廊下からようやく体を起こした。胡坐をかくと、私をわきの下から掴んで抱きあげた。
「あの人は、それだけ。ちょっと変なところに住んでるおれに興味はあるみたいだけど、それはおれの環境やおれの絵に対してで、おれ自身には興味なんかない」
〈そうなの? そう言われたの?〉
「おれ、……あの人が好きだ」
ぎゅうっと漠さんの腕に強く抱きしめられて、私は呻いた。漠さんの心臓の音がとことこ走っているのが聞こえて、それは心地よかったけど、力が強かったから、離して、と言ったの。手を突っ張らせていると、漠さんは私を放してくれたわ。「ちえ、つっちゃんもおれがいやか」と言う。だからそれ、言われたの? 私は言ってないわよ。
〈ねえ、美味しいものを食べたら元気が出るわよ〉
「はいはい、ごはんの催促だな」
〈私じゃなくて、漠さんのごはんよ。昨日、買い物に出て鶏肉を買ってきたでしょう? あれ美味しいから私、好きよ。鶏肉でごはん炊いたらいいわよ〉
「今夜は冷えるから、牛乳あっためてやるな」
〈私の話を聞いてってば!〉
「あーあ」
その夜、漠さんはごはんを食べる気がしない、と言って、私にごはんだけ用意すると、さっさと布団に潜っちゃった。なかなか寝付けなかったみたいだけどね。
恋の病ね。
→ 2
全6回です。お付き合いください。
生まれた年は、もちろん漠さんの方がずっと上。早生まれでね、来年の二月で三十歳になるの。私と暮らし始めて五年だわ。
私、拾われたの。捨てられたから。十一月末のよく冷え込んだ夜、雑木林の脇にきょうだいたちと段ボール箱に入れられて、捨てられた。生まれたばかりで、まだ目もあいてなかったの。必死でお母さんを呼んだけどお母さんは来ない。きょうだいたちの身体はそのうちどんどんつめたくなっていった。すごく寒かった。そこに二晩いたの。五匹いたきょうだいは私を残してみんな死んだ。
漠さんの車が通りかかったのは偶然だった。漠さんは画家でありイラストレーターであり、とりわけ植物の細密画を描くことを生業としていた。漠さんはちょっとでも時間が出来るとすぐその辺の森や林に入って、スケッチなぞしながら、気に入った植物を収集する。それを持ち帰って色鮮やかな細密画を描くのだ。その朝も家から三十分の距離にある雑木林に向かって、散策を開始しようとした矢先に私たちの段ボールを見つけたのね。漠さんの指が私を探ったとき、私、みゃあああ、って声をあげた。漠さんはにっこりと微笑んで、「あったかいね」と言ったわ。
「どうやら生きてるのはお前さんだけみたいだね、運がいいやつだ。……こんな冷え込む時期に雑木林に捨てるなんて、」
漠さんは怒りをあらわにしたけれど、すぐに表情を戻して、車の中を漁り始めた。新品のタオルを積んであったらしく、それで私の体を包んで、シャツのボタンをみっつはずして、その温かいおなかに私を入れてくれた。それからきょうだいの段ボールも車に積み込む。漠さんのおなかの温かさにまどろみながら、私は漠さんの家までやって来た。
漠さんはひとり暮らしだった。高名な日本画家だったおじいさんが死んで、漠さんは辺鄙な土地にあるちいさな一軒家をもらえたの。おじいさんが夏場の別荘としてつかっていた家で、人とかかわりを好まない変わった孫にはこれがいいだろう、と生前から思っていたみたい。相続に困らぬように弁護士を立てて遺言を残してくれていた。いちばん近い街まで車で一時間半もかかるような土地にあったけれど、漠さんは喜んでこの家に来たそうよ。それが夏のことで、これからはじめての冬を迎える、っていうタイミングで私が来たわけ。
漠さんは懸命に私の世話をしてくれた。それから死んでしまったきょうだいたちを、庭の椿の木の下に埋めてくれた。いまでもそこには石が積んであるわ。私、たまにそこに行く。夏場はそこがいちばん涼しいの。
漠さんは私に名前を付けた。私、「月」っていうの。ちょうど胸元に三日月みたいな模様があるし、漠さんが言うには、「漠と月とで、『月の沙漠』だ」って。漠さんその歌をたまにお風呂で歌ってる。だから私その歌を覚えたわ。
普段は「つっちゃん」って呼ばれているから、自分の名前が「月」だってこと、あんまり意識したことないわ。でもたとえば秋の縁側で漠さんが「お月見」って言って慣れないお酒飲んでるときに、膝の上に行くと、漠さん「やあ、おれの膝にも月がのぼった」だなんて言って、私は自分の名前を思い出す。漠さんの、お酒に酔って真っ赤になった顔を私は見上げる。「つっちゃん、目がまんまるでお月さんみたい。綺麗だね」って、漠さんがあの歌をうたいだすの。
漠さんの仕事場だけは立ち入り禁止なの。私が入ると、毛が飛んで濡れた筆の穂先についたり、まだ乾いていない作品についたりするから、とか、作品の上で爪とぎするから、とか、絵筆をかじるから、とか、色々と理由があるわ。そりゃあちょっと好奇心旺盛なのは認めるわ。絵筆の、あのぼわっとした先っぽ見てるとむずむずするのよ。手でころころって転がしてみたらたまらなくなっちゃったの。ま、そんなわけで過去に一度か二度、激しくやらかして、私は漠さんの仕事場には入れなくなっちゃった。
漠さん、仕事中は無音で過ごしたいみたい。車の中じゃラジオ流してるけど、仕事のときはなんにもつけない。漠さんの仕事姿は見たことないわ。漠さんだって、私が野山を駆け回っているときの姿は知らないはずよ。
少し前から、悔しいことができた。スーツ姿の若い男が、漠さんの仕事場に出入りするようになったの。私のことは「だめ」っていうのに、その男ならいいのよ。私が猫だからだめで、男が人間だからいいのかしら。だとしたらなんだか不条理だわ。
スーツ男は、でも、サラリーマン、っていうわけでもないみたい。テレビでよく見かけるスーツ男たちよりも、ちょっとラフっていうか、軽めのスタイルで来るわ。私服に近い感じ。何者なのかしらね?
男が来るようになったのはちょうど一年ぐらい前から。二週間から一か月にいっぺんおきぐらいに来るの。その日も来て、男は「もうすぐですね、楽しみです」と言って、去っていったわ。男を玄関先で見送ったあと、私とうとうしびれを切らして聞いてみたのよ。あいつ誰なのよ、ふたりでなにしてるの、って。
びっくりしたことに漠さんそのまま玄関にうずくまるの。心配になって、頭を脛にこすりつけても漠さん動かないの。動かないっていうか、それで呻いたりなんかするのよ。
〈どうしたの? 具合が悪いの?〉
「あー、だめだ、もう、おれはだめだ」
そうしたら漠さん、苦しそうに目を閉じた。息をふーっと長く吐いて、ごろん、って玄関の廊下に体を投げ出したわ。私は漠さんの顔のところに行って、また聞いてみたの。なにがだめなの、って。
「つっちゃん」
〈なあに?〉
「深山くんのことどう思う?」
ミヤマくん、というのが誰のことなのか知らなかったけど、すぐにピンと来た。あのスーツ男ね。
「あの人ね、東京の画廊の人なんだよ。こんな辺鄙なところにわざわざ東京から、来てくれるんだよ」
〈どうして?〉
「今度、画集を出してもらえるんだ。美術書ばっかり扱うちいさな出版社からだよ。それに合わせて、その画廊で個展もひらく。彼はおれの担当で、作品の進行具合の確認とか、個展や画集の打ち合わせで、来るんだよ。……深山くんは、それだけなんだよな」
漠さんはつめたい廊下からようやく体を起こした。胡坐をかくと、私をわきの下から掴んで抱きあげた。
「あの人は、それだけ。ちょっと変なところに住んでるおれに興味はあるみたいだけど、それはおれの環境やおれの絵に対してで、おれ自身には興味なんかない」
〈そうなの? そう言われたの?〉
「おれ、……あの人が好きだ」
ぎゅうっと漠さんの腕に強く抱きしめられて、私は呻いた。漠さんの心臓の音がとことこ走っているのが聞こえて、それは心地よかったけど、力が強かったから、離して、と言ったの。手を突っ張らせていると、漠さんは私を放してくれたわ。「ちえ、つっちゃんもおれがいやか」と言う。だからそれ、言われたの? 私は言ってないわよ。
〈ねえ、美味しいものを食べたら元気が出るわよ〉
「はいはい、ごはんの催促だな」
〈私じゃなくて、漠さんのごはんよ。昨日、買い物に出て鶏肉を買ってきたでしょう? あれ美味しいから私、好きよ。鶏肉でごはん炊いたらいいわよ〉
「今夜は冷えるから、牛乳あっためてやるな」
〈私の話を聞いてってば!〉
「あーあ」
その夜、漠さんはごはんを食べる気がしない、と言って、私にごはんだけ用意すると、さっさと布団に潜っちゃった。なかなか寝付けなかったみたいだけどね。
恋の病ね。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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