×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
慈朗がいつごろより理を想うようになったかは、知らない。理の方もいつから慈朗がかわいくなったのかは、分からない。
慈朗が「月が綺麗です」と空を指して言ったときは、驚いた。夏目漱石のそのエピソードを教えてくれたのは大学のころの先輩だった。と言っても五浪している理よりは年下だった。彼女は文学と美術を愛していて、こういう告白があるのよ、と言い、そのまま理に「付き合ってみない?」と持ち掛けた人だった。
女に興味はなかったが、慕う先輩ではあり、悪い気はしなかった。彼女とは彼女が卒業するまでの半年ほど、交際をした。抱くことは出来なかった。それでも胸にやわらかな疼痛は存在して、それは一時、赤城を忘れるほどの温かい感情だった。慈朗に月云々と言われたときはそれを思い出した。赤城のことで心中が暗く重たくなるなら、慈朗からの感情は淡い光のようだった。救済に似ていた。
学校を卒業してS美へと進学した慈朗とは、連絡を取らなかった。理はたまに慈朗を思い出したが、向こうは新しい環境で理のことなど忘れているかもしれない。それならそれでよかった。理はひとりでいることを望んだ。赤城に対する気持ちのように、凝り固まって真っ黒になるのだけはごめんだった。
それでも時折、慈朗からもたらされた温みが恋しくなるときがあった。衝動で電話したい夜が何度かあり、こらえるときは、必死だった。慈朗が高校を卒業して二年目、八月、慈朗の誕生日。相当迷って慈朗にメッセージを送った。ちょうど夏風邪を引いていて、心が淋しかったのかもしれない。誕生日おめでとう、学校はどうだ? と送ったが、返信はいつまでたってもなかった。落胆と同時に安心する。理のことなどどうでもよくなったのなら、それはそれで楽だと思った。ひとりは孤独だが、ひとりは気楽だ。
それが十一月、冷たい風が吹きはじめたころに唐突に街で慈朗に出くわした。日曜日、USBメモリが欲しくて街中の電器屋に買い物に出かけたときだった。慈朗はケーキ屋の窓に張り付いて熱心に中を窺っていた。理に気付いてこちらを向いた慈朗は、雑誌から抜け出たかと思うぐらいに見目良く、人の目を惹く。長い手足にロング丈の上着が似合っていて、高校時代の制服姿しか知らなかった理にとって、衝撃そのものだった。
「先生」と慈朗は言葉を発した。
「ちょうどよかった。これから先生のところ行こうと思ってたんです。――先生、なんのケーキが好きですか?」
「おまえ、なんでこんなところにいる?」
「先生のところに行くからに決まってる。……選んでください、ケーキ」
やたらとケーキを勧めてくる。理はあまり甘いものを好まなかったが、熱心な要求に負けていちばん売れ行きのよさそうだったショートケーキを選んだ。慈朗は満足そうに微笑み、ショートケーキをふたつ買った。手土産のつもりだろうと思っていたが、慈朗は「誕生日ですから」と答えた。
「誕生日? あ、……おれか、」
「まさか忘れてました?」
「もうこの歳になるとどうでもよくなるよ」
「先生、いくつになったんですか」
「三十四、……確か、」
「ふふ、」
家に行きたい、と慈朗が言うので、根負けして車に乗せた。
もうだいぶ秋も深い時期だ。家ではちいさな電気ストーブをつけた。慈朗が理の家に来るのは二度目だった。「変わってないですね」と家の内観を評価する。
台所のテーブルに向かい合わせで着いて、目の前に現れた青年の姿を見ながら考えた。上着を脱いではっきりしたが、慈朗は痩せたようだった。だから余計に細長く見えるのかもしれない。男子として平均的な身体つきだと思っていたが、垢ぬけた格好もあって、理にとって魅力的だった。
「元気にしてたか」と訊ねる。
「……まあ、」
「前にメッセージを送ったときに返事がなかったから、充実してるんだろうな、と思っていた。大学、楽しいか?」
「……」
慈朗の返答はぎこちなく、あまりいい感触ではなかった。ひょっとして今日ここへ来たのは、ご丁寧に交際お断りの話をするためか、と思った。そうならそれで黙ったままフェードアウトしてけばいいのに、とまで考えていると、慈朗はふ、と息をついた。
やけに冷たい呼吸だなと、届きもしないのに温度を感じた。
「大学、楽しいんだと思ってました」と慈朗は喋る。
「いや、講義は楽しいですよ。でも課題が多くて、こなすだけでおれは精一杯で。なのにみんな元気なんで不思議です。青沼とか、講義受けて課題こなして自主制作もしてバイト行ったり、友達やゼミの人とかと飲みに行ったり、赤城先生のこと探しまわったり、なんか、……エネルギーがすごくて」
「ああ」自分も学生のころを思い出せばそうだった。
「おれはなんか、その、……そういうのに、全然ついていけなくて。なんでだろう? って考えれば考えるほど泥沼にはまり込んじゃうみたいな、……寮は個室ですけど、でもなんかいつも誰かが寮内のどこかで騒いでるからあんまりひとりの時間もなくて、やることはいっぱいあるし、……そしたら食べる気がしなくなったり、眠れなくなったり、急にしんどくなったりして、……先生がせっかくメッセージくれたのに、おれ、ちゃんと成人したのに、あのときはいっぱいいっぱいで」
喋るほどに慈朗の頭が下がっていく。
「あのときってか、いまもですけど、……なんか、痩せちゃって、ますます体力落ちてしんどくなって、――だからおれ、親とか教授とかと話しあって、後期から学校休学して、いま実家に戻ってるんです」
←(2)
→(4)
PR
この記事にコメントする
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
フリーエリア
最新コメント
[03/18 粟津原栗子]
[03/16 粟津原栗子]
[01/27 粟津原栗子]
[01/01 粟津原栗子]
[09/15 粟津原栗子]
フリーエリア
ブログ内検索