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◇
帰宅は夜十時を過ぎた。学校図書館で借りものをして、そのまま施錠まで請け負ったらつい時間を忘れてしまった。明日卒業する生徒の、入学したときの集合写真を見ていた。どいつもこいつも初々しい顔をしていた。当然、西川もいた。
この時彼はまだマッシュヘアーではなかった。中学時代は野球部で、坊主頭そのままの入学だった。おでこ出すなんてあり得ない、と西川は言っていたが、写真を見る限りでは気になることはなにもなかった。大人しく切ってくればいいのに。一体いつから、西川はマッシュヘアーに目覚めただろう。
携帯電話が着信を告げる。誰だこんな時間に、と思って取れば、西川だった。
『先生、こんばんは』
「どうした?」
『いまから会えませんか? 田之上先生のアパートの前にある自販機のところにいます』
「なにかあったか?」
『――別に、』
と、珍しく口ごもる。田之上はいったん通話を終え、部屋を出て階下に降りた。ぼうっと明るい自販機の前に確かに人影があり、田之上に気付くと手を挙げた。
「先生、その格好ださすぎない?」と西川は言った。田之上は亡くなった祖母が残してくれた中綿の半纏を羽織っていた。
「いいんだよ、あったかいんだから。――おまえは完璧だな」
西川は自身満面の笑みを見せる。私服姿の西川は、どこかのファッション雑誌のストリートスナップそのままのいでたちで、制服姿以上に隙がなかった。
「で、なに?」
「明日までに髪切って来なかったら、僕、どうなりますか?」
「謹慎処分だよ。卒業式の出席が出来ないわけ」
「みんなが卒業式に出てるあいだ?」
「そう。俺の監督の元、生徒指導室で反省文書かされる」
「先生は卒業式に出ないってこと?」
「毎年、風紀委員会の顧問はそういう役目なんだ」
西川はそっとうつむいた。吐きだされる息は白く、寒く、田之上は、早くこいつを帰さなきゃな、と思った。
「――考えたんですけど」と前を向き直して西川は言った。
「先生が切ってくれるなら、いまの髪型やめてもいいです」
「……こだわりのキノコカットを?」
「マッシュヘアーだってば。……眉毛の上に髪があれば、いいんでしょう?」
「そうだけど、俺、人の髪なんか切ったことない」
「いいですから、先生なら」
「どうして」
「どうしてだっていい。先生が切らないなら、僕は明日このまま学校へ行きます」
なんでそんな極端な二択しかないんだ、と思った。しかし西川の目は思いつめたようにまっすぐで、田之上は怖気る。さあ、とでも言いたげに、西川はその目を閉じた。しんと冷たい空気に耐えかねて、田之上はそっと手を伸ばす。
西川の前髪にはじめて触れた。針よりも細く、芯から美しい髪だ。きっと田之上の何倍も時間をかけて手を入れ、整えている。西川の自慢の髪。西川自身の表現。
西川という少年の主義、主張。象徴のヘアスタイル。ああ、と田之上は声には出さずに息を吐いた。腕を押し込み、前髪をかき上げる。白い額が露わになる。にきびのひとつもない、綺麗な肌だった。これもまめに手を入れているのだろうか。
「――ふ」とつい笑ってしまった。西川は目をあける。
「いや、俺は切らねえよ、西川」頭をぽんぽんと二度はたき、手を離した。
「規則上と立場上で言うけど、俺はおまえみたいな気骨のやつ、好きだからさ。切らない。っつか、切れねえ。卒業式に出たいなら、自分でなんとかしな」
「別に卒業式に出たいわけじゃ、」
「そう? じゃあどっちだっていいわ、俺も。ただ、俺はおまえの髪を切れない。明日俺と一緒に反省文書いて過ごすか、卒業式に出るかは、おまえ次第」
ポケットを探り、小銭を取り出した。運よく五百円玉が入っていて、ラッキー、と思う。それで温かい缶コーヒーを二本買った。一本を西川の頬に押し当てると、西川は眩しそうに顔を歪めながら、受け取った。
「間違っても風邪ひいて来れません、ってことだけはないように。じゃあな、おやすみ。また明日」
アパートの方へ戻る。後ろから「意気地なし!」と言われたが、ひらひらと手を振って、振り返りはしなかった。
◇
卒業式当日に馬鹿をやって来る生徒というのは、毎年必ず存在する。なんのために前日に風紀検査を行うのか、理解していないらしい。一晩で見事なブリーチを決めてきたり、スカートの裾を短くしたり。今年はつわもの揃いで、とりわけバリカンで刈り上げ頭に卑猥な単語を入れてきた阿呆がすごかった。その場で直せる生徒には注意をして出来る限りで式に出席させるが、直しようのないやつは、生徒指導室へ引っ張り謹慎処分とする。その中に西川もいた。彼の髪は前日と変わらず、見事なマッシュヘアーだった。
一応、「いまこの場で髪を切るか?」と訊いてみたが、彼は首を横に振った。そしてまっすぐな瞳で、「昨日も言ったように先生が切ってくれないんなら僕はこのままです」と言った。だから生徒指導室へ連行した。
西川は大人しいものだった。窓際の席に座り、黙々と机に向かっていた。田之上はその姿を暇に任せて眺める。寒いさむいとはいえども春の日差しで、眩い光が西川の黒髪を照らす。透けて、少しだけ茶色く見えた。肌の色が白いから、西川自身が発光しているようにも見えた。
卒業式後の最後のホームルームには出席させるので、卒業式終了時刻に合わせて、彼らを解放した。反省文を寄越すとき、西川はしばらく田之上の顔をじっと見た。それから頭を下げて、「三年間お世話になりました」と言って、部屋を出て行った。
提出された反省文を、その場で読んだ。癖はあるが読みやすい字で、たった一行だけ書いてあった。
『先生のことがずっと好きでした。』
ふーっと長い息を吐く。それから田之上は窓の外を見て、もう一度文面を見て、「ばあか」と呟く。「反省文じゃねえだろ、これ」
西川の自信満面な笑みが思い浮かぶようだった。そうやって貫いて生きていってほしい。彼がいちばん自分を魅せられると思う髪型と、スタイルとで。迷い、あるいは流されるままの人間が多い中で、西川の姿勢は実に潔く、真っ直ぐで、正しい。
西川が自分を好いてくれていたことは、ずっと前から知っていたように思った。そう、楽しい三年間だったな。卒業おめでとう。
End.
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