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恋人は遠い彼方に住んでいる。中学時代からの同級生で、付きあいはじめたのが二十歳になってから。大学を卒業し、就職し、おれたちは一生こうやって続くのかな、と思いはじめた矢先に恋人は突然「俺、ニュージーランドへ行くわ」と言ったのだ。二十八歳の時だった。ワーキングホリデーで一年間、という話が、いつの間にか向こうで就労してワークビザを取り、ずるずると住み続けてもう五年になった。日本にちょくちょく帰国はしたが、「帰る」という話にはならなかった。恋人にとってニュージーランドはとても居心地が良いようで、帰国するたびに向こうで出来た友達(多国籍にいろいろといる)の話を語ってくれた。
達流(たつる)は海外に興味を持ったことがない。恋人が異国へ行くからと言って、達流自身がどうする、ということは考えなかった。「案内するから一度は遊びに来いよ」と恋人から散々言われていて、行かなかった。休みが取れなかったし、英語にはとことん自信がないし、根が小心だ。恋人のように大胆にはなれなかった。
それがある日、ぽんと失業してしまった。いきなり時間が無制限に与えられ、達流は驚いたというよりも、なにをしていいのか分からずうろたえ、落ち込んだ。精神的に大きなダメージだった。こういうとき恋人がどうして傍にいないんだろう、と考え、なんであいつ海外なんか行っちゃったんだ、と恨めしい気持ちで、たまらなくなって電話した。料金が高いとか時差のおかげで向こうはいま真夜中だったとか、お構いなしだった。電話に出た恋人の迅(じん)は、半分寝惚けていたようだったが、達流の話を聞いていきなり笑い出した。「なあんだ、タツ、時間があるんじゃん。だったらこっちへ来いよ。いくらでも世話してやるから」
「え」
『旅行してもいいし、なんにもしないってのもいい。おおらかな国だよ。日本で就活なんかやめだ、やめ。しばらくこっちにいろよ。なんなら旅費も出すから』
「……旅費ぐらいあるよ、」
『海外はじめてだろ? 道中が心配なら、いったん成田まで俺が迎えに行ってもいい』
そこまで言われると、行こうか、という気になった。まずパスポートの取得からはじめるのだから笑ってしまう。航空券は、恋人が手配してくれた。はじめての身でも安心してゆける直行便だ。成田まで、という申し出はとりあえず辞退して、国際空港のあるオークランドまで迎えに来てもらう手筈になった。キャリーケースを買い、サングラスを買い、衣類を支度し、三月に日本を出国した。
入国日は、雨が風に煽られ舞っていた。発着ロビーで恋人と落ちあう。彼はサングラスを頭に乗っけていて、いつの間にか髭を生やしていた。いかにも現地に見あった日本人、といういでたちで、なんだか知らない人に出会ってしまったようで、少し怖気た。
「――痩せたな」
久しぶり、も、ようこそ、も言わずに恋人はそう言った。達流が面食らっているうちに両頬を両手で包み込まれる。指で顎のラインをなぞられて、ぞく、とした。
「あーあ、こんなに痩せちまって。かわいそうに」
「……迅、人がいる」
「構わないだろ。おまえにとっちゃここは異国で、だから誰も見てない」
額と額が当たった。頬に触れていた手は背中にまわり、恋人の強い抱擁で、久々に彼の体温を嗅いだ。
だから安心して、身を委ねる。
「ようこそ、ニュージーランドへ」
耳元で囁かれた。長旅で疲労している身に、安心する声音だ。「遠かった」と言うと、恋人は優しく背を叩いてくれた。
疲れ切っていたので、オークランド観光はまたにして、迅が暮らすTという小さな町に移動した。高速道路でもないのに車の制限速度が100㎞/hなのには驚いた。目の回る速さであっという間に迅が借りている部屋に着く。一戸建てのこじんまりとした平屋だ。窓から海が見えた。「おまえの部屋こっちな」と促されて進めば、ゲストルームにはベッドが一台、きちんと備え付けられていた。
「俺の部屋、あっち。バスルームはここ、リビングルーム、キッチン、ダイニング……」
「ちょっと待てよ、おまえひとり暮らしなんだろ?」
「そうだよ」
「シェアハウスしてる、とかじゃないんだよな。なんでこんなに部屋数あるんだ?」
「俺は広い方が気ままで好きなんだ。ここへ来てまで日本と同じ、ってのはと思って、ちょっといい部屋借りてんの」
迅の仕事は、日本人向けツアーガイドだ。ほか、農場で日雇いのバイトをしてみたり、友人が経営しているパブで接客を手伝ったりと、幅広く活動している。
「だからその部屋は本当におまえのもん。好きにつかいな」
そう言って迅は部屋から出てゆく。ベッドに転がると、日なたのにおいがした。身体はくたくたで脳が痺れている。目を閉じると、すぐに眠りに落ちた。
そうやって一週間ほどは寝通した。起きて、適当に冷蔵庫を漁り、食べ、またベッドに潜りこむ。せっかく会えた恋人の、迅の気配もおぼろげだった。よっぽど自分は疲労していたのだ、と自覚する。色んな事柄からフリーになれたいま、身体がなによりも欲しているのは休養だった。
静かだった。鳥のさえずりぐらいしか聞こえない。本当に人は住んでいるのだろうか? だが一応、町の住宅街なので人はいるのだ。聞こえてくる言語のほとんどが英語なので、脳が音声として感知しないのかもしれなかった。情報がなにも入らない。とても楽に感じた。
ある朝(といっても昼ごろ)、目を覚ましたら傍らに迅がいた。椅子をリビングから持ち出して、腰掛けて本を読んでいた。タイトルが英名で分からない。窓に背を向け、わずかにあけたカーテンの隙間から陽光が差す。光が迅の頬をかすめている。
「……今日、休みなの、」
そう訊くと、迅はぱっと顔をあげた。
「起きてたのか」
「起きたんだ。なんでここに?」
「せっかくおまえがこっちに来たのに、寝てばっかりでちっとも起きてこないからつまらなくて、寝込みでも襲ってやろうと思ったんだけど」
あんまりにもいい顔して寝てるから、ばかばかしくなってやめた、と迅は笑った。髭面の瞳が、きゅ、と細くなる。
「なにか食べるか」
迅は本を閉じ、立ちあがりかける。その腕をつかんだ。振り向く迅を、達流は誘った。
「襲わなくていいの、」
「襲っていいのか」
「いまさら、許可のいるような間柄じゃないだろ」
普段の達流ならこんなことはあまり言わない。日本じゃない場所で、浮かれている、もしくは熱に浮かされている、と思った。迅はにこりと微笑み、達流がかぶっている布団をはぐと、腕を背中と足の下に差し込んで、抱きあげてしまった。
「――えっ」
「俺の部屋のベッドの方が広い。暴れるなよ、落とす」
そう言われるとされるがままだった。廊下を進み、迅の寝室に入る。こちらは庭木で窓が塞がっていて、カーテンがあいていても薄暗かった。
香を焚いているようだった。部屋に入ると、ふわ、と上品で清らかな香りがした。
「香を焚く趣味なんかあったっけ」
「こっち来てからだよ。たまに、懐かしくなってさ、日本の寺院のにおいとか」
ベッドに下ろされる。確かに迅のベッドの方が広く、ふたりでも支障ないぐらいだった。迅は気持ちのよい脱ぎっぷりで、ためらいなく衣類を床に落としていく。太い二の腕や厚い胸板なんかがあらわになると、眠りの延長線上にいた達流も急激に昂ぶった。
「――この辺のやつらはスロー・セックスらしいな」
達流にのしかかりながら、迅が呟く。
「知らない。実践したの、迅」
「おまえがいないのに出来っこないだろ。セックスなんて、達流がいなきゃ出来ないんだから」
その台詞に、胸が熱くなる。
「……じゃあ、今日する。――いま、する」
「おまえ、……」
迅はしばらく無言で、達流の腹部や腰回りを衣類の上から撫でていたが、パジャマのウエストに手をかけると、下着と一緒に一息に脱がした。
「積極的なのも、いいな」
腰骨に唇を落とされた。髭が当たり、それで思い出した。まだこちらへ来てから、キスもしていない。
ねだると、迅は嬉しそうに身体を上にずらした。
迅が連れて行ってくれたから、色んな場所へ行った。主に北島内を、車移動で。オークランドのミュージアム、ハミルトンでチャイニーズ・ティーを、ロトルアのスパ、マウントマウンガヌイのビーチとアイスクリーム。季節は夏から秋へと移行してゆくころで、栗を拾いに山中の公園へ入ったりもした。のどかで、おおらかで、なんにも急かされない。食事は絶対に日本の方が美味しかったが、素材は良かった。
ビザは、なにも申請しなくても三か月間は不要だった。それを超えると移民局でビザの切り替えを行わなければならないので、ひとまず滞在を三か月間と決めていた。帰る日が徐々に近づいてくる。息苦しくなった。相変わらず英語はひとつも分からないのに、友達すらいないのに、迅がいなければ移動のひとつも出来ないのに、この国にいたいと思うのはどうしてだろう。ここで暮らしてゆく覚悟みたいなものはまだなにも出来ていなくて、でもいまはストレンジャーのままでいいから、帰りたくなかった。
日曜日、迅と近くの公園でひらかれるというマーケットを覗きに行った。ころは五月、朝晩は冷え込み、雨が多くなってきた。こちらで買ったオーバーサイズのジャケットを着て迅と歩いていると、教会の傍に停めた車から男性がふたり降りるところに出くわした。揃いのシルバーグレイのタキシードを着こみ、胸に花を飾っていた。
それを迅としばらく眺める。雰囲気から、ゲイカップルだということは分かった。「結婚式だ」と迅は呟いた。サングラスを頭の上にあげて、ふたりをまじまじと見つめる。
「――結婚式?」
「そう、多分な。ついこのあいだ、法案が通って、この国でも同性婚が認められるようになったんだ」
「知らなかった」
「出来るように、なったんだよ、達流」
迅はゆっくりと、噛みしめるように言う。そのまま目線を達流に移した。細められた目は、しかし、迷っている。あと二週間もすれば達流は帰国してしまう。
「俺はおまえと結婚したいと思っているよ」
「――」
「本当は日本なんかに帰したくないんだ」
達流、と迅が呼ぶ。風がざあっと吹いて、街路樹の枝から枯れ葉が離れ、舞った。迅と達流の足もとを、かさかさと踊ってゆく。巻いた風はそのまま迅を吹き上げ、短い毛先が躍る。
「俺も帰りたくない」と言うと、迅はほっとした表情で、一言「うん」とだけ言った。
「なにをすればいいかな、俺は。この国で迅と暮らして行くために、まず必要なこと」
きっとたくさんある。ビザのこと、言語のこと、仕事のこと。日本に残している家族のことや、友人たち。それを乗り越えてでも迅とこの国で暮らしてゆきたい、覚悟、意思。
「――家に帰って、ゆっくり話しあおう。コーヒーを淹れるよ」
「じゃあ、マーケットでビスケットでも買って行こうよ」
ゆっくりと公園の方へ歩き出す。手が触れあったので、怖じず照れずしっかりと、握りあった。
End.
「楽しかった」と仰っていただけて、嬉しかったです。ほっといたしました。
パリにしようかどうしようかは、悩みました(笑)でもちょうどNZで同性婚のニュースがあると聞いて、こちらにしました。少し時事ネタですw
迅と迅の家を気に入っていただけて、こちらも嬉しいです。迅の容姿については過去のBRUTUSを参考にしました。
今後、山あり谷ありのふたりかもしれませんが、遠い「異国」で幸せになってくれればなあ、と思います。
拍手・コメント、ありがとうございました!
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