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 ひどい嵐だったのに、迎えに来てくれた。どこの家から借りて来たのか、白い軽トラックが乱暴に駅前のロータリーへすべりこみ、鶯(おう)の傍へ荒っぽく停車した。車のタイヤがすべってたてたひどい音に耳をくらくらさせていると、それを超える音量で「鶯! このばっかやろう!!」と怒鳴られた。ああ先生だ、と思うとその怒声もひどく安心で、その場に崩れたいぐらいだった。
 早く乗れ、とやっぱり怒鳴られ、感動で痺れうまく動かせない足をもたつかせながらも車に乗り込む。ごうごうと吹きこむ雨風のせいで鶯はずぶ濡れだった。びったりと濡れて貼り付いた衣類が厄介で窮屈――濡れた前髪を分け、隣で苛つきながらもハンドルを握る森尾(もりお)を向く。
 ずっと焦がれていた横顔は、確かに歳を重ねた。鶯だってその分年齢を重ねているのだから当たり前か。先生、先生、と一心にこころの内で呼びかけていた。その視線をうざったいと思ったのか振り払うように左手をひらひらと振った森尾は、しかしそのまま、鶯の頭に手を伸ばした。
「こんな日に帰国して迎えに来いだなんて、ココがいかれてんじゃねえのか?」
「一日も早く先生にお会いしたかったんです」
「まる十年便りも寄越さないでよく言う」
「この雨と風じゃ、花が散ってしまいますね」
「そんな花鳥風月を惜しむアタマか、これ」
 鶯の髪をくちゃくちゃとかきまわして、左手は戻る。この雨風で全部流されてしまえばいいなと鶯は思っていた。なんだっけ、あれだあれ。舟に生命を一対ずつ乗せて地上に嵐をもたらし、大掃除をしてみせた神様の話。あんな風にして先生と二人だけ乗せてもらった舟で流れ、目を覚ましたら洗った朝が待っている、なんてことがあればいいのに。
 森尾が暮らすちいさくて狭い借家に着くと、森尾は「酒」と言って居間へ行ってしまった。この家の勝手は知っている。洗面所へ向かうと衣類用のかごに雑にタオルが突っ込まれており、拝借して森尾の元へ戻った。本人に会えたのだから、一分一秒でも長く森尾の傍にいたかった。三十センチの距離だって許せない。
 居間で、酒はすでに封が開いていた。鶯がこの家に到着してからのたった数分間のうちにあいた量だとは思えなかったから、おそらくは鶯が電話をかけるまでひとりで飲酒をしていたのだろう。飲酒運転をしていたことになるが、そんなことはどうでも良かった。酒を楽しみとする森尾が、鶯からの一報でそれを放棄してまで迎えに来てくれたことが、鶯には重要だった。
 もうこの人の傍を離れてはいけない。そう強く思ったから、コップの酒を煽っている森尾の背中に、ぴたりと貼り付いた。
「――つめてえ」と森尾は言った。
「早く着替えろ、馬鹿が」
「その着替えですが、先生が僕の荷物を軽トラックの荷台に載せるものだから、中まで濡れてしまい、ありません」
「なら裸でいろ」
「僕が裸でいるなら、先生も脱いでください」
「たわけ」
「はい。なんでもいいです」
 森尾の背に頬をくっつけて喋るのは、気持ちが良かった。森尾の着ているシャツ越しに、体温がじわじわと伝わってくる。黙った森尾に調子に乗って腕を胴に巻き付けると、森尾は身を捩って「この、馬鹿」と言った。人のことを馬鹿だのうましかだの阿呆だのと呼ぶ森尾の口の悪さを思い出して少し笑えた。懐かしさに胸が熱くなる。
「ニューヨークって言ったな」と森尾がこぼし、鶯は「そうです」と答えた。一昨日まで鶯がいた場所のことだ。
「なんで急に帰国だ。凱旋ってやつでもしたくなったか」
「ちがいます。先生の噂を耳にしました」
「俺がくたばってるかって?」
「…どうして先生ほどの才能のある人が画壇にのぼらないのか、不思議に思っていました。先生が画壇というものを嫌っていることは知っていたけど、それにしても評価が追いついていないと。…ずっと西道(さいどう)先生に妨害されていたんですね。どうして、言ってくれなかったんですか」
「言うほどのことじゃねえし、俺はあいつらが嫌いだからな」
「それにしたって…僕は西道先生の元にいたのに…――」
 腕に力を込めると、今度こそ森尾は大人しく従ってくれた。濡れている服が、自分と森尾の体温とで徐々にぬくまってゆく。
 日本画家である森尾の元へ弟子入りしたのは、鶯が十五の時だ。
 家が近所だったおかげで、偏屈で人嫌いの森尾のことは母親のネットワークを通じずとも耳にしていた。それでも森尾に惹かれた。一度、森尾が絵を描いているところをのぞき見したことがあった。夏で、縁側を開け放ち、作業場だからと畳を外した板間の上、まだ白い襖に筆を乗せていた。森尾の友人でありこの近辺の家々を檀家として持つ山上の住職からの頼みで描いていた襖絵で、線の細い太いも描き分ける絶妙なタッチは、少年ながらに心を奪われた。
 真剣な横顔に惹かれたのもまた事実だ。もしかしたら僕は同性愛者かもしれない、と思いはじめていた頃に唐突に降りかかった神様からの災いのようにも思えた。心臓が痛くて仕方がなかった。同じように絵を描きたいと思ったし、森尾に気付いてほしいとも思った。
 嫌がる母親を説得し、こういうわけで絵を教えてくれませんかと後日改めて頼んだ。森尾は平然と「帰れ」と言ってのけたが、鶯が折れないでいると、「めんどうくせえ」に変わった。はじめこそ「目ん玉飛び出る額の月謝を請求するからな」と言っていたが口だけで、実際は常識の範囲内だったし、たまに鶯の母親が寄越す手作りの惣菜を喜ぶ素直さもあった。人間にも惹かれてしまえば、森尾から離れる理由がなかった。森尾の指導で絵を描き、夢中で描き続ける日々を送り、学校側の推薦もあって都市部にある美術大学へ入学した。森尾の傍に留まっていたい気持ちもあったのだが、才能で森尾を凌いでやりたい気持ちもまた強かった。
 美大で鶯の指導に当たった教授を、西道と言う。西道は指導というよりも、美術界での世の渡り方を教えた。在学中に数々のコンクールを総なめにした鶯は、先進気鋭の現代画家として卒業後はニューヨークに渡った。これもすべて画壇で大きな力を持つ西道の指示によるものだった。
 成長した自分を森尾に認めてもらいたい気持ちが鶯をさらに大きくさせた。
 だから西道が森尾の才能を妬み、画家としての森尾を阻む存在であったことは、鶯を大きく失望させた。それを教えてくれたのは、西道と森尾をよく知る、やはり西道に才能を否定され気の毒な人生を送るしかなかった画家だった。森尾もそうなるんじゃないか、いや、いまがそうじゃないのか。いてもたってもいられずに、帰国した。すべてのことを放って。
 故郷までの長いながい飛行機の中、まどろみの中で一瞬、鶯は冷静になれた。
 四年学んだら森尾の傍に帰ってくるつもりでいた。それが少し、遅くなってしまっただけだ。これからは森尾の傍にいればいい。一瞬たりとも離れなければいい。
 ただそれだけのことだと。


→ 後編




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粟津原栗子
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