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 その秋、夕は彼女に「うちにご飯食べに来なさいよ」と誘われて、終業後に彼女の家を訪ねた。はじめて行くアパートだったから土地勘がない、と言ったら、息子を駅まで迎えによこす、との返事で、夕はその日いちにち上の空だった。あの写真の主に会える、と思ったら緊張して吐き気がこみ上げた。いつもこうなのだ。ひどい人見知りで、それは警戒心の表れではなく、他人によく思われたい裏返しの姿だった。耳鳴りがひどい、けれど一目会いたい。期待と不安とで、電車の中で倒れそうだった。
 息子は、名を秋空(あきたか)と言った。今日はよく晴れて空が遠かったから、たとえばこんな日に生まれたのかな、と夕は暮れゆく空を眺め、思う。しばらく駅前で待っていると、携帯電話が鳴った。知らない番号からで、しかし誰なのかすぐに分かった。出ると、電話の主は「こんばんは、宮間詩子(みやまうたこ)の息子です」と名乗った。
「――あ、秋空、さん」
『さん、いらないよ。ええと、いま駅に着いたところ。ロータリーに車停めているから、来てくれるかな?』
 と、車種とカラーを告げられたが、目の悪い夕にこの時間帯はつらく、しかも車に乗らないので車にてんで詳しくないのだ。どもりながらそう告げると、秋空はさも思いつかなかったという風に「そうか」と言った。そして「じゃあ音鳴らしたらわかるか」と言い、次の瞬間背後からパン、と鋭く短いクラクションが聞こえた。
『分かった?』
「うん、後ろだった。……もう一回鳴らしてくれる?」
 また、パン、と音が鳴る。今度ははっきりと車を認識できた。おずおずと近づくと、気づいた秋空がドアをわざわざ開けてくれた。「こんばんは」
「はじめまして」
「こんばんは……」
「悪いね、おふくろが巻き込んで。月に一度は必ず一緒に食事を、ってうるさいんだけど、今夜はゲストがいるって言われておれも驚いた」
「いえ、僕は別にその、……いやでは、ないので」
「よかった」
 秋空は、ふっと笑った。短い髪がよく似合っている、と思った。夕はますます緊張してしまった。写真を見てはいたけれど、実物はどうしたって、魅力的だった。
 詩子の部屋につくと、出汁のよい香りが漂ってきた。「今夜は鍋よ、鍋!」と詩子は腕まくりをし、張り切って調理スペースに立っていた。秋空は知った部屋をひょいっと渡ると、冷蔵庫に向かいながら「なに飲むー?」と尋ねた。
「お酒弱いんだって? まあ今夜はおれ飲まないし、送ってけるから、好きなの飲んでよ。なんでも揃ってるから」
 と秋空は冷蔵庫を指した。覗き込むとビールからハイボールからチューハイからウーロン茶まで確かに揃っていた。秋空はノンアルコールビールを取り出し、プルタブを引き上げる。せっかくなので夕は度数の弱いチューハイを出してみる。いかにも甘く、女子が好みそうだった。
 詩子が用意したのはもつ鍋だった。ぴりっとした辛みがアルコールの摂取を進めた。テレビのくだらないバラエティ番組をBGMに流しながら、場は和やかに過ぎた。もとより話好きな詩子に、秋空が辛辣な突っ込みを入れ、詩子が拗ねるか反論し、それを夕が笑う、という図式で、とても心地よく過ごせた。
 次第に瞼の下がってきた夕を、秋空が家まで送ってくれた。酔っぱらっていてもどこかで覚醒していたのは、秋空と離れがたかったからだ。車の中で、夕は一生懸命に喋った。今日はとても楽しかったこと、日ごろから詩子にはとても世話になっていること、秋空のことは散々聞かされていたこと。秋空は「おれも聞かされてた」と酔いがさめるようなことを言った。
「み、宮間さんから?」
「そう、職場にどんくさい子がいてかわいい、って」
「……」
「女の子に生まれてたら天然とか鈍ちんとか言われながらもそこがいいとか言ってかわいがってもらえたんだろうけど、男だから、風当たりがきつくて辛そうだ、って言ってた。すぐ『僕なんか』っていうのが痛々しい、って」
 そんなことを詩子は思って接していたのか、と、思わず秋空の横顔を見る。秋空も一瞬だけ目線を投げよこした。その瞳には哀れみや、侮蔑、諦め、そういうものは含まれなかった。夕を肯定する瞳だった。
「……実際会ってみて、おふくろの言ってることが分かった。ひとより少しだけ欠けが大きくて、そう、なんていうかな、あらゆる能力の値が平均に達せなくて、カバーできる特技や長所も表面上にはなくて、そういうことを気にしてもがいている、……そんな感じ」
 秋空はできるだけ夕を傷つけないよう、丁寧に慎重に言葉を選んで喋ってくれているのが、よくわかった。一語一語がとても沁みるのは、秋空が夕を対等に扱ってくれているからだ。夕をばかにする人が多い中で、この親子だけはどうやら、自分を気に入ってくれているらしかった。それが不思議だ。どうして、と思っていると、秋空は「ちょっと長くなりそうだから」とコース変更して、実家より少し先にある飛行場のパーキングに車を停めた。
 脇の自動販売機で温かいお茶を買ってきてくれた。自分の手には缶コーヒーが握られている。
「おれね、軽い味覚障害なんだわ」
 唐突に秋空は切り出した。
「味覚障害には、理由があるんだ。夜、眠れないわけさ。どういうわけだか知らないけど、たぶん生まれつきの体質で、入眠に苦労してる。そういうとき、薬に助けを借りる。その薬がすごく苦いんだ。胆汁の分泌を促すとかで、薬自体が苦いんじゃなくて、薬を飲んだ後で口の中に苦味がこみ上げてくる。朝起きると口の中がっちゃがちゃだったりしてな。それで、水や果物とか、冷たいものが苦い。熱すぎるものも苦く感じるかな。本来の味がよくわからない」
 それは、いかに自分のコンプレックスに苦しんでいるとはいえども、夕にはない経験だった。秋空はさして気にしている風でもなく、「だからさ」と続けた。
「あなたは、とりあえず今日の鍋美味しく食べただろう?」
「うん、美味しかった」
と言った後で秋空にとってはそうではなかったのかもしれないと思い、「ごめん」を付け加える。秋空は「違うちがう」と朗らかに笑ってみせた。
「ちょっと味が変に感じるだけで、おれも腹いっぱい食った。いやまあ、だからさ、ごはんが美味しく食べられるっていうのも、特技や才能や長所に入れてもいいのかもしんないよ、ってこと」
「……」
「おふくろがさ、あなたを引き合いに出しちゃあよく言うわけ。秋空、あんたはまあ早食いで表情も乏しいからごはん食べさす喜びが見いだせないけど、夕くんは違うのよ、ゆっくりゆっくり、かみしめて食べているのがわかるのよ! って」
 秋空は言いながらおかしかったのか、苦笑した。
「あんなおふくろだけど、あなたのことすごく気に入っているから、しばらくかわいがられてやってよ。次回の日取り、もう決まってるんだ。来週の今日だって」
「……いいのかな、」
「いい、いい。次はおれも飲みたいな」
 暗い車内で話しているのが、表情はあまりわからずとも、距離の近さにほっとした。夕はうれしかった。泣きたいぐらいだった。こんなにも肯定されて、好きにならないほうが無理な気がした。
「秋空くんは、穏やかなんだね」
 そういうと、秋空は不思議そうに首を傾げた。
「僕は、早口で喋られたり、大声で話されたりするのは苦手だから、……ちょうどいい、」
「よかった」
「……」
「また来週、迎えに行くよ」
「……じゃあ僕は、手土産をなにか持っていく。なにがいいかな」
「駅ビルの地下で売ってる焼き栗、あれが美味いの知ってる?」
「し、知らない」
「じゃあそれを」
 秋空は車を発進させた。今夜は淋しくない、と夕は思う。すごく楽しかったし、美味しかったし、秋空とはまた来週も会えるのだ。眠りづらいという秋空には申し訳ない気もするが、アルコールも入っている。すっと深く、心地よく眠れるだろう。


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