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コウノ
三鷹が白いカッターシャツに黒のタイをかける。普段は作業着ばかりを着ている職業だから、タイのかけ方が分からず苦労している。いくらでも苦労して葬儀に遅れればいいと思った。行かなきゃいい、陰鬱な行事など。
そういう訳にもゆかないとは百も承知だ。別に三鷹が行かなくて済んだところで、今日コウノがここを出てゆく行事を一件済ませてくるのは変わらない。タイの絡まる三鷹の白い指を見てから、自分の左手を見下ろす。今はなにもない、でも直にここに銀の指輪が嵌る。
三鷹の祖父が亡くなったのが三日前、火葬場の都合で葬儀が今日になったのは偶然だ。今日、コウノは結婚式を挙げる。中学の頃からずっと付き合っていた幼馴染と、それが当然であるかのように淡々とスケジュールをこなす。
コウノと三鷹はルームメイトだ。バイト先が同じで仲良くなりルームシェアを始めて以降、社会人になっても続いているパターンだ。それも今日のイベントでほどなく終了する。コウノが結婚相手と借りた新しい部屋に引っ越すからだ。
どうして結婚したら結婚した相手と一緒に暮らさなきゃならないんだろうな、とコウノは思っている。コウノは三鷹と暮らしていたかった。もうずっと長いこと、三鷹のことが好きだ。そして確かめたことはないが、三鷹も同じくコウノのことが。
なんで結婚なんかしなきゃいけなかったかな、と当日になってまだ思っている。
「――だめだ」しばらくタイと格闘していた三鷹がついに降参の意味で息を吐いた。「締め方忘れた。なあ、コウノ。見てないで頼むよ」
「せっかく三鷹が悪戦苦闘してるところ楽しんでたのに」
「意地悪い趣味だな。頼む、遅れる」
「遅れて困るか?」
「まずいだろ、さすがに」
根が曲がっているというか、意地が悪く口も悪いのが本質のコウノに、三鷹は真面目に答える。それでいつもばかばかしくなって、コウノの方が折れる。いっそムキになって煽られてくれればいいのに、三鷹は冷静だ。それが好ましい。好きで、悲しい。
三鷹の正面に立ち、三鷹の襟もとに手を伸ばした。タイを巻きつけているせいで立っている襟が、三鷹の顎のラインを隠していて妙にそそる。
「新婚ってこんな感じ?」軽口を叩いてみる。
「新婚だろ、おまえ」
「そういうことじゃなくて」
だめだ。三鷹相手には冗談も通じない。
職業柄、三鷹と同じぐらいにタイの使用頻度が低いが、ファッションでつける機会があるので三鷹よりはきっと詳しい。そういえばコウノの恋人は、これを上手にやってくれたことがある。共通の知人の結婚披露宴に揃って出席した時だ。あいつ、ネクタイなんか締めないのになと考えていると、三鷹も同じ想像をしたのか「彼女にやってもらったことある?」と訊いた。
三鷹の太い眉と、力強いまなざしがコウノを貫く。三鷹のパーツの中で一番好きな部位だ。コウノは「まあね」と答えて背後にまわった。
姿見の前で三鷹に覆いかぶさる格好になる。「こっちじゃなきゃ分からん」
「女ってのはなんで自分じゃ締めないのに締め方を知ってるもんかね」
「おまえみたいな恋人に仕込まれてんだよ」
「は」
あほらしくて笑ってやった。三鷹のうなじが近い。短い髪、襟足が綺麗なのは昨日コウノが散髪してやったからだ。コウノの職業は美容師だ。人の頭ばかり触っている職業。
無防備な三鷹のまるい後頭部を見て、その下に続く伸びやかな首筋を想像し、このまま首を締めてやったらどうなんのかな、と思った。
「どうやったらこんなに絡まるってんだ。器用なやつ」
「うるさいな」
「ある意味貴重。――こうだ、こう」
結局絞め殺さずに綺麗にタイを巻いてやる。それから前へまわる。「それでノットを上げる」
再び目が合う。三鷹の思いつめた眼差しや引き結ばれたくちびるが、コウノを誘い惑わす。
眠っている三鷹にキスをしようとしたことがある。未遂で終わった。どうしても衝動をこらえきれずに三鷹の部屋に侵入し、ベッドで寝息を立てている三鷹の身体を跨いだ。覆いかぶさり、顔を覗き込む。すうすうと規則正しい呼吸を、乱してみたかった。
寸前まで顔を近付けて、不意にぱちりと三鷹が目を開けた。呼吸がそこで止まったのだから「乱してみたい」の欲求は叶ったわけだ。あの時も同じまっすぐな目で、「コウノ」と呼んだ。たまらなくなって「冗談だよ」と言って逃げた夜。
「――もしおれがおまえを式に呼んでたら、今日はどっち優先した?」
至近距離で三鷹に尋ねると、三鷹は困ったように目を伏せて「どっちも譲れないから、どっちもかな」と答えた。
「冠婚葬祭、いっぺんにやって来るなんて偶然はないだろうな。タイだけ替えてどっちにも出た」
「自分じゃ締められないくせにな」
「言うな」
「良かったな、式に呼ばれなくて」
「でも、行く準備は出来ていたんだよ、コウノ」
また顔をあげて、三鷹がこちらを射抜いた。
「出来てたんだ」
そんなことは分かっていた、三鷹のことだから。
好き同士でひとつ屋根の下に暮らせていた幸福も、それを押し隠して暮らす絶望も、叶わない恋のせつなさも、たったひとつの恋で全部コウノは知ってしまった。
好きだ、と言えばきっと三鷹もそう返した。身も心もおれにくれよと迫ってみれば二人の恋はすぐに成就したんだろう。でもそれをしないで暮らし続けた五年半。それはコウノに恋人がいたからだし、男同士だったからだし、或いは二人の恋が「そういうもの」だったからだし、いまとなってはもうどうにもできないし確かめようもない。
「どうしておれがおまえを式に呼ばなかったか知ってるか?」コウノは三鷹に訊いた。
「親類縁者だけで挙げるお式だからだろ?」
やっぱり真面目に答える。そんなわけがあるか、ばか。
親類縁者だけの式だったとしても、三鷹のことは呼べたのだ。ルームメイトだった、世話になったからと言えば皆歓迎しただろうに。
「おれの晴れ舞台なんか、おまえに見せたくなかったんだよ、阿呆」
「おれは見たかったよ」
「見たい、って言うなら尚更だ。おれがこれからどんな人生を歩むのか、結婚式なら想像つくだろ。つまんねえって思うに決まってる」
「そんなこと思わない。おまえと、彼女とがたくさんの人に祝福されているのを見て、その祝福におれも混ざりたかった」
「……ろくでもねえ馬鹿だな」
三鷹に祝福されるのは辛かった。三鷹のことだから、熱心に真面目に、真剣にコウノの人生の幸福を願って花びらでも投げてくれるんだろう。その行為がどれほど潔く深く、三鷹の心もコウノの心も傷をつけるか。ナイフでひらかれるなんてやわなもんじゃない。握りつぶされ叩き潰され、それでもまだなお生きている、一生まるい石を投げつけられる打撲の苦しみだと想像する。
それに三鷹が来れば、昔流行った映画のように、コウノの名を呼んで連れ去ってほしくなる。きっと一度目を見合えば――三鷹はなにもかもを投げ捨てて、コウノを選んでくれる。
「コウノ」想像の中で名を呼ばれることを期待していたので、現実で呼ばれてその重さに身体がびくついた。続いて三鷹の手が頬に伸びる。両の掌ですっかり頬を包み込み、額と額を合わせる。
「……なんのまねだよ」
「こうすると気持ちがいいだろ」
三鷹の言葉に、心臓がじくんと鳴った。確かに気持ちがいい、三鷹の手が熱くて。
だがこれは一生手に入らないと分かるから、いまある気持ちはすべて無駄な感情だ。絶望的なむなしさを容赦なく知らしめる、残酷な体温。力加減、吐息の触れ方。
「おれの気持ち、いつから知ってた?」
「さあ、いつからだろう」
「おまえの気持ちに気付いたのは、ここに来て二年目ぐらいだった」
「そりゃずいぶんと鈍いことで」
「……はじめから好きだった?」
「ああ」
「でも終わるな」
「ああ」
コウノがこの部屋から引っ越すのは、次の週末だ。離れてしまえばいよいよ、連絡すら取らなくなる気がする。友情ではなく、シェアメイトでもなく、恋だったから。
コウノもまた三鷹の手に手を重ね、目を閉じる。喉の奥がつきんと痛む。
額と額までを触れ合わせる。これがコウノと三鷹の、最大に近付ける距離だった。ゆっくりと三鷹は手を下ろす。
そしてタイのノットに触れてきちんと身支度を整え、コウノに向き合った。
「本日は誠におめでとうございます」
「は。……そちらはご愁傷様でした」
本心で言ったのに皮肉みたいな口調になった。三鷹は「うん」と頷き、今度はコウノに触れも振り返りもせず、荷物を抱えて出かけて行った。
もうコウノも支度をして会場へ向かわねばならない。時計を見る。待ち合わせまであと四十分弱。
だがコウノは、部屋に立ち尽くしたまま動けないでいる。
三鷹と暮らした部屋から。
End.
→ 三鷹
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