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 猛毒はしかし、薄めれば薬になるのだ。先日亡くなった祖母は、よくそう言っていた。少量なら薬、多量なら致死。みいんなそういうもんだわね、というのが、彼女の口癖だった。
 しんらがはっきりとよく覚えているのは、しんらが中学生のころ、母と、祖母と、三人でした会話だ。祖母は縁側で採ってきた山菜の下処理をしており、しんらは庭で飼っていた鶏に餌を撒いていた。母は台所から日本酒(料理酒だった)を持ち出し、縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせながら飲んでいた。なにがきっかけだったか定かではないが、山で気をつけるべき毒草の話になり、そこで祖母が件の「少量なら薬、多量なら致死」を持ちだした、と記憶している。それを聞いた母は、「あはは」と祖母を笑った。
「それって恋愛のことみたいよねぇ。ちょっとだけならいいけどぉ、食べすぎると死んじゃう、みたいなぁ」
 しんらは、母のこの甘ったるい喋り方が心底好きではなかった。派手で、男好きで、ばかで、田舎の山奥にある実家を嫌い、十六歳で家を飛び出した母。街で夜の仕事をしていたが、しんらを妊娠し、男には逃げられ、実家に逃げ帰ってきた。実質、しんらを育てたのは祖母だった。しんらがある程度大きくなると母はまた街へ飛び出し、たまにふらりと帰って来ては祖母やしんらの財布から小遣いを抜き取り、また街へ戻ってゆく、そういうしょうもない母親だった。
 母の恋愛云々の台詞を、しんらは背中で聞いていた。顔も見たくないほど嫌っている女の声だ。祖母も無言でいたが、しばらくして静かに「そうさね」とだけ答えた。
「あたしはもうとっくに猛毒まわってるから、じきに死ぬかも。男に刺されてさぁ。あたしらしいでしょ?」
「あけみ、もう酒はやめときなさい」
 祖母は立ちあがり、母から酒を取りあげる。しんらはもうこれ以上この女といたくない、と思い、自室に引きあげるべく庭に備え付けの水道で手を洗う。
「しんらぁ」
 と母が呼んだ。しんらは振り向かない。
「あたしのことばかな女って思ってるだろうけどぉ、あんたもそのうち分かるから。恋愛は毒よぅ。あんたはうまくやんなさいねぇ」
 これが母との最後の会話だった。翌日彼女はいつものように出てゆき、もう戻らなかった。ひょっとすると本当に男にでも刺されたかは分からない。しんらはずっと祖母と暮らしたが、彼女も亡くなって、ひとりになった。ひとりで田舎の山奥に暮らしている。


 ◇


 祖母の喪があけると夏の盛りだった。すぐ裏手が山になるしんらの家は、油断していると緑にすぐさま飲まれるので、ゆっくり祖母を悼んでいる間もなかった。草刈り、生垣の剪定、野菜の収穫と出荷の準備、農具の手入れ。
 村役場の観光課から電話が鳴ったのは、ちょうど盆に入る直前だった。「新盆で忙しいころかもしんねぇけどなあ、しんちゃんよ、ちょっと引き受けてくれねえか」と、観光課に勤めるしんらの幼馴染が言った。
「なに? ガイド?」しんらは農業の傍ら、ネイチャーガイドの資格を持って活動していた。
『そうそう、ガイド。K沢周辺を案内してほしい。ほら、滝があるだろ。あれを見たいんだと』
「夏場だからな、水量は期待しない方がいい」
『東京から来る、ナントカ大学のえらーいセンセイなんだ。講演会のついでに足伸ばして森林観察がしたいんだと。謝礼はセンセイから直接出る。ふんだくっていいぞ』
 乱暴な物言いに、しんらは笑った。祖母が死んで、ただでさえ寡黙な性分に拍車がかかっていた。久々に自分が腹から出す声を聴いた、と思った。
『悪いな。でも、頼むよ』
 日時と待ちあわせ場所を確認して、電話は切れた。
 ちょうど盆の真ん中に東京から大学教授はやって来た。「講演会をする前に、地元の山を見ておきたい」というのが彼の希望で、だからしんらが駅まで迎えに行ってやった。どんな爺さんが来るかと思っていれば「センセイ」はずいぶんと若かった。まだ四十歳に届いていないと思う。
「やあ、若い人だ」
 それがセンセイの第一声だった。そっちこそ、としんらは心の中で返す。少し猫背気味で、小柄。黒縁の眼鏡をかけていた。穏やかな物言い、半袖シャツから伸びる白い腕に、腕時計は手巻き式だった。いかにも勉強だけして生きてきました、という風体。正反対だ、としんらは自分を思う。
 名乗りあって、車に乗り込む。「センセイ」は正確には准教授で、名を「通志(みちし)」と言った。苗字か名前か判別しかねたが、訊かなかった。しんらのフルネームのことは、「素敵ですね」と言った。
「森羅万象の、しんら、ですね。あなたとこの土地にふさわしい気がする」
「やはり東京と違いますか、ここは」
「ずいぶんと。山が近いし、空がちゃんと遠い。空気も乾いている。標高、どのくらいあると言いましたっけ?」
「ここはおそらく五百メートルぐらいですね。僕の家へ行くと、もう少しあがります。八百五十から九百メートルぐらい」
「それは涼しそうですね」
「朝晩の気温が下がる程度です。日中の最高気温は東京とあまり変わりありませんよ」
 蝉の声が鳴り響く中を、びゅんびゅんと軽ワゴンを飛ばして街から里へ移動する。しんらの住まいは、集落のいちばん奥だ。そこに荷物をいったん置いて、通志を森へ連れ出す手筈にしてある。
 最寄駅から自宅までは車で四十分ほどかかる。バスは一日三便。車がないとどこにも行けない。そんな田舎に用があるだろうか、と思ってしまう。もう少し標高の高い高原なら別荘が建ち並ぶので、この時期は避暑で訪れる人間が多いことも分かるが、しんらの暮らす土地はなにごとにも中途半端だった。
「――水の音が聞こえる」と通志は言った。
「川沿いに家や道路が並びます。山と山のあいまの、谷になっているんですよ。この村は広いですが、この地区のことは『谷』と呼ばれますね」
「へえ、興味深いな」
「先生はなんの先生なんですか?」
「大それたもんじゃないんです。一応大学では、民俗学を。特に地域の民話や方言を収集しては分類しています。――そういえばしんらさんは、あまり訛りがないですね」
「そうかもしれません。祖母相手だと出ていました」
「いました、」
「亡くなったので。元から祖母とふたり暮らしでした。いまはひとりなので、方言を気にする相手すらいません」
「……すみません、その、僕は、」
「いえ、平気です。お気になさらず」
 沈黙が出来た。ガイド、という一応の客商売であるため、しんらは話題を変えた。「滝が見たいというのは、伝承が残っているからですか?」
「――そうそう。そうなんです」通志はほっとした表情で話題に応じた。
「巨石を組み上げて崖場をつくり、水を流した巨人の話ですよね」
「そう、それです。デエラボッチ、ダイダラボウ、日本各地で様々な呼び方があるようですが、この辺りではなんと?」
「デェラボッチャ、ですかね」
「へえ、音が下がるんですね。面白い」
 道は、次第に谷の一本道になって来ていた。両側に山が迫る中を、まだ進む。どのくらいしんらの家が山奥かと言えば、しんらの家までで電線が止まっているところで分かる。ここから先は森へ続く道なのだ。家の庭に車を停め、ひとまず荷物を下ろす。
「弁当、どうしてますか?」と訊くと、通志はビニール袋を示して「車内で買った駅弁が」と照れ臭そうに笑った。ペットボトルのお茶もあるというから、水分は大丈夫だろう。ナップサックにそれらを背負わせて、あとは虫よけをたっぷりと撒き、「じゃあ、行きましょう」と再び車に乗り込んだ。


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Lさま(拍手コメント)
連投でコメントありがとうございます。
いよいよリクエストの森です。参考にしたのは各地あちこち散策した森や山の様子まぜこぜです。全3回ですが、楽しんでいただけるといいな、と思います。
ちなみに「しんら」という名前は、森羅万象の森羅なんですけども、「蟲師」という漫画の一遍からも拝借しました。これも森、山が深い話です。もしご興味があれば、ご参考に。
本日も17時更新です。よろしくお願いいたします。
粟津原栗子 2015/06/20(Sat)08:16:50 編集
プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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