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 夜鷹と屋上で天体観測をする。いつも通りの土曜日だったがその日は宿舎にわりと人が多く残っていたので変に触れ合うことだけは避けた。それに夜鷹と慧だけではなく、研究者のうちのひとりも混ざっていた。夜鷹は心底面白くない顔をしていたが、プロジェクトのチームリーダーを務める彼は夜鷹にとってはそうそう邪険にできる相手ではないようで、『こんな面白いことをしているならもっと早くおれを呼んでくれよ』との快活な笑みに文句はつけなかった。
『あんたは星にゃ興味ないと思ってたんでね』
『大アリだよ。火星がなぜ赤いか、その理由は地質だろう? わくわくするよ』
『その望遠鏡の倍率で火星も見えるのか?』
『時期によっては見られる。まあ今夜は月の観測でオーケーだ。いやあ、こうして宇宙に想いを馳せると、行ってみたい星ばかりだよね』
『宇宙飛行士になって惑星探査に乗り出した方がいいんじゃねえの、それ』
 夜鷹は文句を言い、やる気なさげに水筒からお茶を注いで飲んだ。観測のセッティングまで任せるつもりらしい。『ずいぶんと旧式だな』とリーダーは望遠鏡をいじりつつ、見たい星に合わせていく。
『なんだこりゃ、ヨダカが書いたのか』
 望遠鏡に触れていたリーダーが笑った。『ケイも見てごらんよ』と言われて指さされた先を見る。筒の部分に落書きがされていた。いままで気づかなかった落書きだった。星のマークがいくつか雑に並び、そこに『吾田青』と書かれている。慧は日本語の読み書きはあまり得意でないので、それが漢字だと分かっても、読めなかった。
『そうだな、おれが落書きした』と夜鷹は答える。
『自分の名前でも書いたのか?』
『いや。これの本来の持ち主の名前だ。念願叶ってようやく望遠鏡を買えて、あんまりにも嬉しそうだったからな。丁寧にそいつの名前を書いてやったんだ』
『それいたずらって言わないか?』
『ちゃんとあいつの星座だって書いてやったさ。乙女座』
『ああ、これ乙女座か。言われてみれば確かに乙女座だな』
 ふたりの会話を背に、慧は望遠鏡の落書きを見つめる。どうしても漢字が読めない。けれど三つあるうちのふたつはさほど難しくない漢字だったような気もしている。
『これがカンジか。ヨダカもサインはたまにカンジで書くよな。これはなんて読むんだ?』
『アガタセイ』
 夜鷹の低い声を聞いた途端、身体がこわばった。夜鷹は知ってか知らずか、いつものすました表情で『三文字目がファーストネームで、本来は色名だ。Blue』と答えた。
『英語の順番に言い換えるならセイ・アガタだな』
『青なんて素敵な名前じゃないか。日本人なら目が青いわけじゃないよな?』
『蒙古斑でもついてたんじゃねえの』
 やがて学者ふたりは望遠鏡をセットして、観測をはじめた。慧はなんとなく考え事に浸ってしまう。アガタセイという、乙女座の、おそらくは男のこと。ぐるぐると思考が廻る。慧と間違えて呼んだのは、「セイ」だった?
 微かな物音を聞いて、ふと顔を上げた。学者たちは気づかない。音の方向へと顔を向けると、屋上から出ていく人影を見た。ここの立ち入り自体は自由だから気にならなかったが、その後ろ姿が先日、祖父の元へ集まって実家から出て行った中にいた連中のひとりであるような気がして不思議に思う。彼はここの労働者ではなかったはずだ。
 思い過ごしかもしれない。だが関係者以外の立ち入りもさほど難しくはない。幼なじみの言葉が蘇った。〈肚決めて行動しろよ〉。
 郷愁がないと言えば嘘になる。変わっていく山を見るのはやはり辛かったし、もうあの山々を歩けないと分かったときは惜しくも思った。それでもどこかでストレンジャーな自分が「変わっていくのは仕方がないんじゃない?」と囁く。暮らしはどんどん良くなっているし、変わらないものを求める方に無理があるとも感じている。ならば自分は革新派か?
 もし、彼らが衝突するようなことが起こったとき、自分はどうするのかなと、漠然と考えた。名案は思い浮かばず、自分自身もどっちつかずだ。
 
 掘削現場をもっと拡大したいという意向は村の意向であり、会社の意向でもあった。潤沢な資源があるのだから掘り出して経済を回したい。職を求めてやって来る労働者も増え、鉱山はますます栄えていく。一方で不穏な動きを感じるのも確かだった。これ以上の環境破壊を望まないというよりは、現況を壊されることを望まないグループが存在し、彼らは諦めることなく抗った。そのリーダー格が慕うのが慧の祖父であったことは、だが慧にはどうしようもない。
 拡大に向けての地質調査に、慧はガイドとして同行した。一週間ほどかけて夜鷹たち研究者や技術者たちとフィールドで行動する。おおまかな調査と下見を終えて下山し、夜鷹らと別れて家に戻る。その道中、舗装されていない小径に差し掛かったところで数人の男に囲まれた。帽子を目深にかぶったり、襟立てに顔を埋めたりとあまり顔を明らかにしなかったが、祖父を慕うグループだとすぐに分かった。
 若者が多かった。剣呑な雰囲気に慧はわずかに腰を低く構える。
 サングラスをかけたひとりに、〈いきなり悪いが訊きたいことがある〉と言われた。
〈なに?〉
〈露天掘りの現場をもっと広げるというのは本当か?〉
〈……まだ正式に決まった話じゃない、と思う。おれはただのガイドで通訳だから。内情まで知らないんだ〉
〈そうか〉
 慧は答えながらも男の数を確認する。慧の前にひとり、背後にふたり。体格から言っておそらく慧よりは劣る。荷物を捨てれば逃げ切れると思う。だが束になってかかってこられれば分からない。なにか得物も持っているだろうし。
〈広げる話があるのは本当なんだな。隣村も巻き込むのか?〉
〈知らない〉
〈どこまで案内した? 村境にはもちろん行ったんだろう? 一行には隣村の誰がいた?〉
〈……そういう話はさ、おれじゃなくて村議の家に直接行って聞いて来なよ。おれはただ雇われているだけだから。誰が誰なのか、覚えてないよ〉
〈なら、ケイ。頼みがある〉
〈頼み?〉
 サングラスの男は地面に小袋を投げた。金属の擦れた音で、中身が知れた。
〈前報酬でやる。ケイはとてもいい立場にいる。誰がどういう行動をして、どういう発言をしているかを探って情報をこちらに流してほしい。それだけでいい。おまえの立場ならたやすいだろう〉
〈……あんたらがどういうグループかも分からないのに?〉
〈察しはつくよな。おれたちはこれ以上の掘削に反対なんだ。山が裸にされていくのを見ていられない。鉱山に頼らないと生活できないなんて馬鹿げている。厳しいけど、元の静かな山村暮らしに戻りたいんだ。ケイはレンじいの孫だ。おれたちの気持ちが分かるだろう?〉
〈それこそ村議に正しい形で訴えるべきなんじゃないかな。反対です、って〉
〈言ったさ、もう何度も、ずっと。でも耳を貸さない。もうな、実力行使しかないんだよ〉
 言われて慧はますます腰を低くし、地面をいつでも蹴り出せるような体勢を取る。けれど男は〈警戒するな、ケイを傷つけるつもりはない〉といった。
〈おれたちの側についてさえくれれば〉
〈……おれはどっちにもつかない。金は受け取れない〉
〈レンじいの孫なのに?〉
〈村の人間の生活も、鉱山労働者の生活も、どっちも見てるから。どっちにもつけない〉
〈そうか。……残念だな〉
 男は屈んで小袋を拾った。この辺で鉱山労働でもしない限り、得られる金銭などたかが知れている。皆で出し合った貧しい金の集まりか、もしくはどこかにルートを持つか。
〈今日はこれで下がろう。だが連絡をくれればおれたちはいつでもおまえを歓迎する〉
〈だから、つかないんだ、おれは。どちらにも〉
〈そういう甘いことを言って、実際にもう実害があったとしたら、おまえはどうするんだろうね。特におまえは、あの日本人に執心しているから〉
 その台詞には背筋がヒヤリとした。男たちは気味悪く笑って〈じゃあな〉と去っていく。
 その場に残った慧の、足元からなにか暗い影が這い上って来るような気がした。実際にもう実害があったとしたら? 実害ってなんだ。なにをした? 誰に? 夜鷹に?
 慧たち研究者や技術者の連中は一週間ここを離れていたという事実に気づき、ハッとした。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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