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二.慧と夜鷹(pure green and navy blue)



 はじめて前嶋夜鷹(まえじまよだか)を見たときの衝撃を、忘れられない。
 こんなに真っ黒な人がいるのか、と思った。肌は色白だったが、髪はまっすぐに黒く、黒縁の眼鏡をかけていて、なにより瞳の色が濃かった。日ごろ様々な虹彩の人間と接するが、夜鷹ほど暗い色の目をした人間は、見たことがなかった。
 きついまなざしは人を小馬鹿にするような生意気さも含んでいたが、単純にそれだけを感じ取るには、夜鷹はあまりにも暗すぎた。底の見えない湖のような目だな、と思った。いや、沼かもしれない。とてつもなく巨大で、恐ろしいなにかにこの人は飢えている、と直感した。
 それは淋しさで渇望だったのだな、といまになって思う。ずっと求めているものがあり、それに飢えていた。だがいまさら理解したところであの人のことを考えても仕方がない。夜鷹はきっともう戻らない。
 そんなやわな覚悟で行ってしまったわけではないことぐらい、分かる。


 週末になれば男たちは町へ下りる。普段は汗臭くやかましい宿舎が一気に静まり、やたらと風通しのよくなるこの休日を、本宮慧(もとみやけい)は心待ちにしていた。ある者は家族の元へ帰るし、またある者は恋人に会いに行く。その他は町でくだらないギャンブルに興じたり、水商売の女を抱く。休日なのだから、各々が好きに過ごせばいい。ただ宿舎が空になる、それが爽快でたまらなかった。
 あまりにも高地にある鉱脈の掘削現場だ。広大な土地で露天掘りを行っている。ここで掘られる鉱石の用途まで慧はよく分からない。けれど掘削がはじまる前段階の調査から、慧はこのチームに加わり、ここで働いている。
 はじめはどこかのラボからの依頼だった。高地ゆえに秘境とされ、滅多に人も訪れないこのような場所に鉱脈の可能性があるとの話で、どこか遠くの国から数名が派遣されて来た。まず地質調査を行うにあたり、この辺をよく知る案内人が欲しいとの内容だった。慧は山師である祖父についてこの辺りをとにかく歩き回っており、山のことを知っていた。若いし語学力も問題ないとのことで村の議員から指名された。議員はこの山奥すぎる秘境をとにかくひらけた土地にしたがっていた。慧の祖父はそれに反対する一派の相談役のような立ち位置にいたため、孫の慧を丸め込むことで彼らを抑え込みたい意図もあったのかもしれない。
 土地に惹かれた曽祖父の代でこの土地にやって来ていて、名前こそ日本名がついているが慧はほとんどこの村の人間との混血だった。英語、日本語、この土地の方言と、トリリンガルの慧は重宝されていた。土地に詳しく足も強い。他に誰が適任だろうかと議員は祖父を説き伏せ、慧は短いアルバイトのつもりでガイドの仕事を引き受けた。
 やって来た学者は三名、誰もが地質に詳しかったが所属は違うようだった。政府、大学、企業といたらしいのだが誰がどの所属かまでは把握しなかった。ただその中のひとりに夜鷹がいた。三人の中で一番若く、山を歩けるとは思えぬ線の細さと肌の白さ、対比するような髪と目の黒さがあった。
「Are you speak English?」
 金髪碧眼の大柄な学者にまずそう訊かれた。彼がこのチームのリーダーのようだった。英語が通じる旨を告げると彼らは安堵した。名乗り合い、握手を交わす。この辺りではまず見かけない白人に混ざった東洋人は、きつく尖った眼差しのまま慧に「Are you speak Japanese, too?」と訊いて来た。
「――あ、喋れます。読み書きは難しいけど」
 そう答えると、嫌味ったらしかった目つきが一転、お、と眉を上げた。
「日本名だけど顔立ちは完全にミックスだな。日系?」
「はい。ひいじいちゃんとひいばあちゃんが日本人です。ルーツはアワモリ」
「ばか、そりゃ南方の酒だ。アオモリだろ。本州最北端だな」
「ミスターマエジマは?」
「ヨダカでいい。おれは東京。行ったことあるか? 日本の首都だ」
「ない。ここから出たことがないから」
「ふん。まさかこんな秘境で日系に会うとは思わなかった」
『ヨダカ、なにを話してるんだ?』
 リーダーが英語で割り込んできた。夜鷹は瞬時に英語に切り替え、『同郷に会ったのさ』と答えた。
『なにもこんなところで会わなくてもね』
『トウキョウが恋しくなったか?』
『全く。帰りたいとも思わないね』
 そう言って夜鷹は他のふたりに断って先に簡易宿舎に入って行った。その日は翌日からのルートや装備の打ち合わせだったのだが、夜鷹は参加しない。だがそれは他のふたりにとっては暗黙の了解のようで、特に触れられることはなかった。
 翌日から本格的に鉱脈探しがはじまった。地形を珍しがる一行を不思議に思いながら、慧は自身の経験から安全に気を配りながら淡々と山を歩く。意外にも夜鷹はこういう山歩きには慣れているようで、へばったところを見せなかった。野営して、また歩く。歩きに歩いたところで地面に現れはじめた石を見て、学者たちは途端色めきだった。
 結果、そこに鉱脈があると証明された。本格的な掘削がはじめられることになり、慧の祖父らの反対を押し切って高地がひらかれ、たちまち重機が運び込まれた。多くの作業員が雇われ、場所が場所であったので彼らのために宿舎が据えられた。労働者が仕事を求めてやって来て、いままでの静けさをあっさりと崩し、大規模な露天掘りがはじまった。それは資源を掘り出すことで、すなわち金を産み出し、経済をまわすことだった。静かな秘境は秘境でなくなり、あっという間に元の風感を崩し、一大経済拠点と化した。
 慧は案内さえ終われば用済みだと思ったのだが、まだこの辺りには慣れないことも多いので留まって手助けして欲しい、とチームリーダーから申し入れがあった。慧が頷いたのは、このプロジェクトに夜鷹が地質学者として関わる点、それだけだった。あの暗く澄んだ目が気になって仕方がない。慧は掘削地域を広げるにあたっての偵察部隊のガイド要員として残り、仕事のない日は労働者に振る舞われる調理を手伝ったり、ゴミ出しをしたり、地元民との通訳を引き受けたりと、なんでも行った。




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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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