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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 労働者たちは週末が来ると麓へ下りた。麓まで下りれば町が出来ており、市場があり、娯楽があるのだ。秘境が秘境でなくなり、経済活動拠点になって以降、麓の町はますます盛んに、猥雑に発展して行った。こうやって賑わいって出来ていくんだなと思いつつ、慧の興味はそこには注がれない。そしてそれは夜鷹も同じようで、宿舎に残る数名の中に彼は必ずいた。
 男たちが麓で遊興にふけるあいだ、夜鷹は宿舎にとどまった。宿舎にとどまる人間はたくさんはいない。大抵は宿舎の布団でごろ寝しているだけだったから、こうなるといないも同然である。労働者の宿舎と専門分野を担う学者連中の宿舎は隣接しているといえども異なっている。労働者は大部屋に雑魚寝だが学者の宿舎は個人の部屋が割り当てられているらしい。専門の道具や資料の揃ったミーティングルーム兼ラボもあると聞く。
 慧は家から通えたので、宿舎にとどまることはそうはなかった。けれど人がいないのが面白くて週末だけは宿舎をうろちょろしていた。今日も一週間の労働を終えて男たちがこぞって町へ下りていく。それに逆らって厨房からさらった食糧を手にあちこち歩いて屋上へ向かう。そこでチーズなりパンなりの夕食を食べる。露天掘りがはじまっても夜は相変わらず深く、星が濃い。上着の襟をかき寄せて食事を済ませ、ごろりと寝転がって夜空を眺める。風の強いこの地域はそれでも時折風のやむ夜があって、それは心地のよい時間だった。
 誰かがいる、と気づいたのは、うとうととしかけて寒さを感じたときだった。
 なにか歌をうたっている。鼻歌程度だが聞こえた。妙に癖のあるハスキーな鼻声で、しばらく聞いているうちにそれは日本語であると気づいた。ここで慧以外に日本語を操れる人間など限られている。確信を持って歌の方向へ向かうと、慧が寝転んでいたちょうど向かい側の送風機の裏に、天体望遠鏡を据えて星を覗き込んでいる夜鷹がいた。
 毛布にすっぽりと包まり、水筒とサンドイッチを用意して、鼻歌をうたいながら望遠鏡を覗き込んでいる。「ヨダカ」と声をかけると音は止んだ。背後に立つ慧を見て、「なんでおまえがこんなところにいんだよ」とまた人を小馬鹿にした目で見た。
「おまえのすみかはここじゃねえ」
「そういうヨダカこそ違うだろ。学者の宿舎は隣だろ? ここは労働者の宿舎だ」
「あっちの屋上は邪魔な木があって空がひらけない。こっちの方が覆い隠すものがなくてよく見えるんだ」
「星が?」
「この望遠鏡の倍率だと月だな。惑星も見えることには見えるが」
「ヨダカは地質の専門じゃないのか?」
「天文は趣味だ。邪魔すんじゃねえぞ」
 そう言いながらまた望遠鏡を覗き込む。端から見ていると鼻歌とは裏腹に不愉快な顔つきで、こういう夜鷹を見たことがなかったから新鮮に思った。付き合いだけならもう三年も経つというのに。
「星、好きなの?」と訊いた。「嫌いなら見ねえ」と返事があった。
「もっとも、詳しいわけじゃない。詳しいやつが傍にいたから星の見方を覚えた。それだけだ」
「でも望遠鏡まで持ってるぐらいだろ。それって高いんじゃないのか?」
「おれが買ったわけじゃねえから値段までは知らねえ。だがせっせと小遣い貯めて買ったのを、もう星は見ないからやると抜かしやがるから、もらってやっただけだ。本当は目の前で叩き壊してやればよかったと思ってるよ」
 あまりにも慧が質問攻めにするので、月を見るのを諦めて夜鷹は水筒から茶を注いで飲んだ。濃い紅茶の香ばしい香りが漂う。それを嗅いで無性に寒気を感じ、くしゃみをすると、夜鷹は笑った。嘲笑う、という表現が似合う笑い方だった。
「飲むか?」
「いや、……今夜は帰る」
「懸命だな」
「ケンメイ?」
「正しい判断だってことだよ」
 夜鷹はサンドイッチにも齧りつく。「週末はいつもいるの?」と訊いた。
「あ?」
「労働者のやつらはみんな町へ降りるよ。それで日曜日の夜まで帰ってこない」
「町におれにとって面白いもんがあるなら降りるけどな。生憎興味がない。それにここが空っぽになって、誰もいないところで星を見ているのは気持ちがいい。普段は飯ぐらいしか楽しみもなくて、娯楽に飢えて文句ばっかり言ってるやつらだからな。学者先生は実際に働かないからいいとか抜かしやがる。ばか言ってんじゃねえよ。そういうやつらが、町の女にうつつ抜かして金巻き上げられてると思うと、ここにいるだけでせいせいするね」
 つくづく口も性格も悪い男だな、と思った。でも慧にも分からない気持ちじゃない。夜鷹が言うほどにここの男たちを嫌っているわけではないが、雑用要員としてうろちょろしている慧をばかにする風はあって、なぜ町へ下りないのかとからかわれることもしばしばだ。その度に「さっさと筆下ろし済ませろよ」だの「学者先生と話が出来るからってお高く止まってんじゃねえよ」だの言われるのだ。
「おれも空っぽになる宿舎が好き」と言うと、夜鷹はサンドイッチを咀嚼して「ふん」とだけ答えた。
「おれも土曜日の夜は厨房漁って飯もらって来てここで食うんだ。来週から一緒でもいい?」
「うるせえやつが増えるだけだな」
「おれにも星教えてよ」
「詳しいわけじゃねえんだって。星座まで知らねえし」
 理由をつけて文句を言われたが、断られているわけではないと分かった。
「もっとあったかいもんでも持って来い」去り際、そう言われた。
「そのうち流星群が極大になる」
「じゃあ、寝袋持ってくる。あったかいお茶も」
「酒じゃねえあたりがおまえは健全だね」
「ケンゼン?」
「健康でくらくらするって意味さ」
 そう言われても意味はよく分からなかった。けれどその週から、土曜日の天体観測がはじまった。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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