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 日本におけるこの雨期のあいだの身体の不調はどうしようもないが、空模様を眺めるのはわりと好きでいたりする。雲はドラマチックに色を変え、かたちを変え、流れていく。あるいは重たく停滞する。不安定な大気は、僕の不調を大いに煽ってくれるものだと分かっていて、目が離せない。
 その日、僕は仕事だった。昼頃、父から電話が入った。ちょうどランチタイムだったので電話に出ることが出来た。父もそれを見計らってかけて来たのだろう。彼は挨拶もそこそこに、「覚えているか、一人くん」と用件を切り出した。
 忘れるはずもなかった。毎年冬になれば会いに行っていた、いまとなっては懐かしい僕の親友だ。未だ行方は知れない。
「一人が、どうしたの」僕は訊ねる。
『うちに来たんだ。おまえに会いに来たと言っていた。本当はおまえに直接連絡を取りたかったそうだけど、アドレスが変わっているらしくて、連絡が取れない、と言って。かろうじて覚えていたうちの電話番号を頼りに、うちへ来たんだ』
 僕の心臓が、いつか感じた痛みとまったく同じ衝撃で、痛んだ。「それで、どうしたの?」と僕は父を急かす。父は「おまえのいま住んでいるアパートの住所と、連絡先を教えた」と答えた。
『できればおまえに会いたい、と言っていてね。だから教えた。――懐かしかったし、驚いたよ。少年のころの面影は確かにあったけれど、もう全く、ひとりの成人した男性になっていた』
 近いうちに連絡があるかもしれない、と言って、僕は了承し、電話を切った。目の前に広げた弁当は、なんとなく食べる気がしなくなって、しまい込んだ。一人と連絡が取れなくなってから、十年経過している。僕は一人の姿を思いだすが、いちばんはじめのソリ滑りの記憶、あのとき冬服の一人の姿しか、どうしても出てこなかった。
 だから目の前に本物が現れたときには、記憶と現実とのギャップに、とてもうろたえた。
 一人は僕の暮らすアパートの前、扉に背を預けて、座り込んでいた。うなだれて目を閉じていたから、眠っていたのかもしれない。声をかけても返事がなかった。軽く肩に触れて揺さぶると、男は目を開けた。
 その顔は、父の言っていた通りだった。面影はあったが、もう少年ではない。ひとりの青年に変化していた。
 僕らは無言でお互いを見つめあった。先に声を発したのは、一人だった。「優人」と呼んだ、その声はかすかにふるえていたが、懐かしい音だった。
「――遅ぇよ、帰るのが」
「いやこれでも急いだんだ……いつからいたんだ?」
「夕方、こっちに着いた。それからアパート探して、……良かった、会えた。なんとかなるもんだな」
 一人は笑い、尻をはたきながら立ちあがった。その身長は、最後に会った高校二年生の冬よりも、まだ少し伸びた感じがした。少なくとも僕よりは断然大きくなっていた。初めて会った時は、同じくらいだった背が。
「ちょっと上がらせてくれないか?」
 僕は慌ててアパートの鍵を開けた。梅雨なので、部屋干しの洗濯物がやかましかったが、「外観の割にはいい部屋だな、広いし」と一人は評価してくれた。僕は湯を沸かしつつ、一人の姿をちらちらと追っていた。半袖のTシャツから伸びる腕、膝上丈のショートパンツから伸びる足、張った背中には肩甲骨がはっきりと知れて、締まった腰へと続く。そういうのは、冬服しか知らなかった僕には新鮮で、衝撃だった。こんな身体をしていたこと。
 思っていたよりもずっと、逞しい身体つきだと思った。確かな筋肉をまとっている。隠されていた肌があらわになって、夏服の一人は、どうしても僕には魅力的に映った。
「優人」と窓の外を見ていた一人が振り返る。
「いまなにやってるんだ?」
「……見ての通り、会社員だよ」
「そうだな。スキーウェアでもこもこしてた優人が、スーツ着てネクタイなんか締めてる、と思ってさ」
 そのまま無言で僕らはまたお互いを見つめる。電気ケトルが沸騰する音で、僕は我に返った。
「お茶、飲んで行けよ。熱いのしかなくて悪いけど」
「さんきゅ」
「悪いな、めしは出てこない。……梅雨時は色々と億劫で、食材を買っていないんだ」
「相変わらず梅雨には弱いんだな」
「そう、変わらないさ」
 それから黙ってふたりで茶を飲んだ。なにを話していいか、なにから話せばいいか、なにを訊いていいのか、僕はすっかり混乱に陥っていた。
 ただ目の前に一人がいること。逞しい身体があること。それに感動して、泣きそうになっていた。
「――いや、変わったよ」間をおいて、一人はそう言った。
「十年も経ったんだ。変わらない方がおかしいよな」
「うん。……この十年、どうしてた?」
「そうだな、大変だった。ペンションがつぶれて、借金だけ残って、支払いに必死になって、……本当は学校へ行きたかったんだけど、働いて。苦労のさなかにじいちゃんもばあちゃんも死んだ。楽させてやれなかったなあ。親父とふたりだけになって、がむしゃらに働いて、なんとか借金を返し終えて、……それでようやく、おまえに会おう、っていう気になった」
「そっか……いまは?」
「なにもしてない。さすがにこの十年はちょっと疲れたから、もろもろ清算して、フリー。手持ちのカードは、全部失くしたか、切って、放した」
「……」
「なあんにもないよ、おれ」
 一人は後ろに倒れて、ごろりと床に寝そべった。長い手足が投げ出される。
「なあんにも、ない」
 それは、とても淋しい響きだった。そして、疲れ切っているとも思った。ふと、僕は窓の外を見遣る。いつの間にか細かい雨が降っていた。道理で頭が鈍く重たいと感じたのだ。思考がクリアにならない。
 そのクリアにならない頭の中で、僕がかろうじて思ったのは、一人を休ませたいということだった。一人のことは、飛んで飛んでぼろぼろになるまで飛んだ、鳥のようだと思った。飛び続けて羽根も抜け落ちて、休める場所を探している。それが僕のところだと思ってくれていたら、僕は喜んで寝床を差し出したい。だから僕は、「休もう」と一人に言った。
「風呂、沸かすよ。めしは弁当か出前になっちゃうけど。それで、寝よう。今夜は早く休むんだ。おれも梅雨疲れしていて、あんまり万全じゃない。ふたりで、さっさと寝てしまおう。一人のペンションでよく一緒に寝たよな。あんな感じで」
「……」
 一人は投げ出していた手を目元に持ってきて、顔を覆い隠した。それで少しだけ泣いて、かすれた声で「会えてよかった」と言った。僕も少し、泣いた。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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