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 カウチンニットもしくはダウンジャケットに、帽子、手袋、マフラー。ウール素材の厚手の靴下、スノーブーツ。僕の知っている一人(かずと)は、そういうイメージだ。
 僕と一人の出会いは、僕らが中学一年生のころにさかのぼる。僕の父は雪国出身というだけあって、ウィンタースポーツに長けていたし、愛してもいた。それで僕が冬休みになるとよく実家へ長めに帰省して、スキー場やスケートリンクに連れて行ってくれた。氷上や雪上の父はいきいきとしていて、普段は母に小言ばかり言われてうんざりとした顔でいる父よりも断然に格好良くて、冬の父は好きだな、と思っていた。
 中学一年生の冬休みに父の実家へ帰省した際、彼は僕を連れてスキー場の傍にあるペンションにやって来た。「おれの幼馴染がこの冬にオープンさせたんだ」と言う。そこで出会ったのが、父の幼馴染の息子だという一人だった。同い年だから仲良くやりな、と言われ、再会に沸く父らを後目に、「とりあえず、ソリ滑りでもする?」と一人が言った。
 僕の感覚ではなんとなく、ソリとは幼い子どもがするもので、それよりもスキーやスノーボードの方が中学一年生の僕らにはふさわしい、と思っていた。僕が返事をしかねていると、一人は「すごいコースがあるんだ」と言って、自分はさっさとスキーウェアを着こみ始めた。「行かないならいいさ、おれひとりで行くから」と言う。僕は慌てて支度を始めた。「行く、行くよ」
「どこにあるの、その、すごいコース」
「すぐそこさ」
 と軽い口調で一人は言ったが、結構歩いたと思う。林道の上り坂だったから、余計にそう思ったのかもしれない。雪の上を、ざくざくと音を立てながら、プラスチック製のソリを引っ張って歩く。僕らは無言で、吐いた白い息が、粉雪混じりの北風に流れていく。
 一人の言った「すごいコース」とは、林道そのもののことだった。滅多に車が入らないのでソリ遊びにはうってつけなのだと言う。緩い坂道だったが、距離が長い。「林道からは外れるなよ、危ないから」と一人は言った。
 ソリはひとつしかなかった。僕が前に座り、一人が後ろにつく。「いいか?」と訊かれて、僕は頷いた。ボブスレーの要領で、一人はソリを押して走り出し、勢いがついたところで僕の後ろに飛び乗った。
 ソリは、ものすごいスピードが出た。
 雪道を走る車の速度とそう変わらないのではないか、と思えるほどだった。ソリに慣れない僕は必死で手綱を繰るのだが、背後から延びて来た一人の手が手綱を取って、進行方向を微妙に調節した。歩いた分だけソリは滑る。背後で一人が興奮して叫んだ。つられて僕も声を出す。
 ソリがようやく止まったのは、開けて平たんになった道だった。すごく楽しかった、と僕は立ち上がりながら一人を振り返る。一人はほっぺたを真っ赤にしていた。
「はは、おまえ鼻水出てるぞ」と一人が笑う。
「一人は頬が真っ赤だよ」
「おまえもな、優人(まさひと)」
 おかしくなって、ふたりで笑った。「もう一回やるか?」と一人が訊いて、僕は頷いた。今度の上り坂は、無言ではなかった。
 僕は僕の通っている、ここよりずっと都会にある学校の話をした。一人は一人が通っている、過疎化が進んで生徒数がとても少ない学校の話をした。僕らの暮らし方は全く違っていて(だって僕の住んでいる街はこんなに雪なんか降らない)、その相違が新鮮で、話は尽きなかった。
 僕らはとても仲の良い友人同士になった。ちょうど、父たちのように。冬になれば必ず一人の一家が経営するペンションに来た。
 しかしそれも、数年限りの話だった。
 高校を卒業するころ、一人のペンションは経営難に陥り、ほぼ夜逃げみたいに一人一家はそこから引っ越した。僕にはなんにも知らされなかったし、父もそれは同じだったみたいで、ある日突然通じなくなった電話に、僕ら親子は息が詰まった。
 僕は大学進学を果たし、僕の住んでいた街よりももっと都会へ引っ越した。大学卒業後もその近辺にとどまり、いまは会社勤めをしながらひとりで暮らしている。
 一人はどうしているだろうかとたまに思う。冷たい風、白い雪原、赤い耳当て付きのニット帽をかぶった、笑っている一人。
 僕の中にある一人の映像は、そこで絶えている。

 ◇

 梅雨入りが発表された。僕は憂うつに、ため息をつく。一年で最もつらい時期はいつですか? と聞かれれば、猛暑日熱帯夜の続く真夏でもなく、インフルエンザの流行する真冬でもなく、花粉症の春でもなく、僕の場合は梅雨時だ。湿気て汗ばむのが嫌だという理由もあるが、心がずしりと重たくなるのだ。鉛でも飲んだかのよう。なにをするでもないのに不安に駆られ、やたらと眠く、地面とくっつきそうになる。
 そういえば、そんな話を一人とはしたことがあった。高校三年生のときに、メールで。あのころは、僕の暮らす街と一人の暮らす集落とが遠ければ遠いほど楽しくて、その差を感じればメールを送りあっていた。
 あのとき、一人は「こっちも梅雨入りしたー」とメールをくれた。僕の暮らす街の方が先に梅雨入りしたのだ。
「梅雨寒の日が続いて、ストーブ焚いてる」と、一人はメールに書いて寄越した。
「嘘だろ? じめじめ蒸し暑くて嫌になるよ。雨が降れば眠いし、頭痛もするし」
「梅雨、弱いんだっけ。学校は?」
「行ってるよ、そりゃ。通えないほどじゃないんだ。でもしんどいな」
「繊細なんだな。おれなんか、雨で部活は室内練習ばっかりだから、そっちで憂うつ」当時彼は陸上部に所属していた。
「繊細というか、心臓がいつもより冷たい気がするんだ。これって、なんだろうな」
「おまえ彼女とかいないの?」
「いないよ。彼女がいれば解決する問題なのか? これは」
「いや、淋しいからそうなるんじゃないかと、思っただけ」
 関係ないだろ、とは、一概に言えない気もした。僕は少し考えてから、またメールを打った。
「なあ。なんで一人って、『ひとり』って書くんだ?」
「名前の話か?」
「そう、名前の話。昔から気になってたけど、聞いたことなかったな、って。一人って書くと、おれは『独り』を連想するから、なんだか淋しい気がして」
「ふうん。ま、いいけど。おれんち、母さんがいないだろ。病気で早くに死んじまった。その母さんがおれを妊娠したって分かったとき、母体にめちゃくちゃ負担がかかるから、おろせ、みたいなことを、当時の医者に言われたらしいんだ」
 いきなり重たい話がやって来て、僕ははずみで聞いたことを後悔した。
 メールの文面は続く。
「でも母さんは産むって決めた。おれの名前の由来は、『唯一の人』って意味だ。私たち夫婦が溺愛するたった一人のかわいいわが子、とか、そんな感じ。あとは、将来大人になったら、誰かにとって唯一の人になってほしい、という意味」
 心臓が、一瞬だけ弾けそうに鋭く鳴った。ただでさえ梅雨時で落ち着かないでいるのに、これはとても大きな衝撃だった。メールの最後に「優人は?」とあった。僕の名前の由来を彼は訊ねている。
「優しい人に育て、だよ」と返信をする。
「優人は名前の通りだよな。優しいと思う。いろんなものを、許せる」
「一人は」と打ちかけて、僕は言葉を探した。「誰かにとって唯一の人、の誰かに早く出会えるといいな」と打とうとして、僕はそれを打てないことに気付いた。一人に彼女が出来るとか、大切な誰かがいるとか、恋をするとか、そういうのが嫌だと思ったのだ。どうして嫌なのか。対抗心からではないのは確かだった。では、この気持ちはなんだ? 胸のざわめきが一層ひどくなる。こんなの、こんな感情は、ちっとも優しくない。
 結局、「早く冬にならないかな」と全く明後日の方向へ話題を替えた。
「雪まみれんなって遊びたいな」
「来るか、今年も」
「行くさ。父さんが行かないって言っても、行くよ」
「受験生なのにか?」
「受験生なのにな」
「はは、待ってる」
 そしてその約束は果たせなかった。


→ 中編





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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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