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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 ◇

 ゲイだという生産性が全くない身の上で、思うことは山ほどある。たとえば母が必死でつないでくれた生命のリレーにおいて、僕は次の人間にたすきを渡せないこと。いや、おぞましい体験をしてまで生まれた命なのだから、つなげないことが正解なのだと思えてしまうこと。そうやって考えを巡らせてしまい、ちょっと気を緩めれば、僕だって酒に溺れて心の調子を崩してしまいそうなこと。
 僕の身の上や心とは裏腹に、朝喜、という名前を、たくさんの人が喜びを持って呼んでくれた。僕はひどく臆病で、この歳になるまで恋人という存在を持ったことがなかった。それでも恋だけはした。すべて想いを告げられない片想いであったけれど、僕が好きになった人たちは、一様に僕の名前を褒めてくれた。あだ名で呼ばずに、ストレートに本名で呼んでくれた。それは小さいながら、大きな喜びだった。そういう喜びで、僕はなんとかこの歳まで生きてこられたように思う。
 五年前に出会った男には、僕のそれまでを話した。バイト先のその人は社員という身分だったが、歳が近いこともあってため口で話すことを許してくれた。その人にはもう婚約者がいたが、僕は彼が好きだった。何度経験したか分からぬ、痛む胸をさすりながら、それでもこの人とこうしてふたりで飲みに行ける夜というものが本当に嬉しかった。
 朝喜くんはなんでそんなに儚く見えるんだろうな、と彼は呟いた。
「? 儚いかな、おれ。至って健康体だけど」
「いや、なんていうかな。すごく幸薄そうに見える。顔が整っているだろ。それが時折、ハッとするぐらい遠い場所で悲しみを浮かべているように、見えるんだ」
 そう見えているとは思いよらなかった。僕は酔っぱらっていたので、苦笑して、さらりと生い立ちなどを話してしまった。ゲイであることも。
「母はレイプされて僕を産んだ。なんだろうね、だからか、命をつないでゆくことがいいのか悪いのか、おれはずっと考えている。生きていくことは、ただのエゴなのではないか? とかね。答えは出ないんだけど」
「……恋人を作らなかったり、結婚願望がないって言ってたりするのも、そういうことか?」
「それはまた別の話さ。おれは、ゲイなんだ。それで、あらゆることを、諦めてきた。だからいまさら恋人が欲しいとか家庭が欲しいとか、思わない。淋しく思うことはあるけど、……」
 好きな男を前にして、叶わない恋心を打ち明けるほどしたたかにできていなかった。これまでに自らがゲイだと語ることはあっても、受け入れられたことは本当に少数しかなかったし、端から期待してもいなかった。あくまでも一般的な話として、僕は僕の現状とそこから派生した恋愛観、人生観を語る。男は静かに耳を傾けてくれていたが、やがて「違うと思うな」と口を挟んだ。
「朝喜の考え方。その、お母さんが必死で産んでくれた命なんだから、ゲイだからとかなんとか言って諦めずに、繋いで行かなきゃ」
「……」それは内情をよく分かっていない人の台詞だろうな、とどこか冷めた思いでいた。
「おれは朝喜の立場に立てないからさ、うまく言えないけど……おれが親だったら、子どもには幸せになってほしいと思う、絶対」
「……幸せ、ね」
「人の幸せって人それぞれだから、おれが思う単純で当たり前なことだけじゃないんだろうけど」
「きみが思う単純で当たり前な幸福、ってなに?」
「おれ? おれかあ。おれはなあ、家族が欲しいんだ」
 だから婚約したさ、と彼は笑った。
「親父が早く亡くなったせいかな、早くおふくろを楽しませてやりたい、っていう気持ちもあるし、単純に一生ひとりの身じゃもたねえ、って思ったし」
「子どもが欲しかったり?」
「するんだ。父親になってみたい。子どもをかわいがってみたい。――って、朝喜には酷な話をしていたらごめん」
「いいんだ、これはきみの話だ。誰かの思うことがおれにも当てはまるとか、分かるよって頷くとか、そんな共感第一主義じゃないんだ」
 僕は心臓を抉られたような気でいながら、やはりこの人のことが好きだと思っていた。男はまたくしゃっと顔をゆがめて、「ほらそういう言い方や表情がさ」と不意に僕の額を人差し指で突いて、僕の頭を軽く上向かせた。
「儚く? 違うか、孤独に思える。朝喜はもっと他人を欲すればいいと思うんだけど……うーん、まとまんねえな。おまえとおんなじで、答え出ねえわ。これも考え方のありようだよな。――孤独を好きな人も、いるか」
 男は手を放す。思いがけないスキンシップに、僕は馬鹿みたいに胸を高鳴らせていた。
「でも」
 男は僕に微笑んだ。
「いろんなことを諦めんな、まだ先は長いんだから」
「……」
「そうだな、朝喜。また飲もうな」
 その言葉で、僕は充分だった。きみからの幸福はもうもらった、ありがとう、と思う。手の中でぬくまったビールをくいと煽って、店員にお代わりを注文した。

 あれから五年経って、男は結婚したし、子どももふたりばかり生まれた。恋はもう過去の恋になっていて、男から報告を受けることは、大した傷ではなくなっていた。僕は相変わらずひとりでいる。誰とも添わず、ここ数年は恋すらせず、不器用に生きている。諦めるな、とあの夜言われた言葉は、さほど実行していない。諦めることは、楽だからだ。
 母はどうして僕を産むことを諦めなかったんだろうな、とよく考える。好きな男との子どもならともかく、レイプされてまで産む命だっただろうか? おろしてしまった方が、肉体的にはどうだか、精神的には、圧倒的に楽だったはずだ。祖母の反対だってあったのだ。そうして産む命だっただろうか? ろくな味方もいないのに?
 僕が生きている意味や価値みたいなものが、分からなくなる。子どもは望めない。マイノリティであることは、障害があることと同じじゃないかとさえ思ってしまう。だからと言って、いますぐ死ぬ勇気もない。だらだらと、思い悩むことだらけで生きていること。これが辛い。
 一日か、空いても二日置きぐらいには、母の元を訪ねることにしている。母は相変わらず実家の離れに暮らしていて、これまでに何度も精神科のアルコール外来にかかっている。内臓がぼろぼろで、それでも酒を好んで飲もうとするので、家じゅうの酒を隠している。下手をすると料理酒やみりんにまで手を出すのよ、と、もう高齢の祖母がうんざりした表情で話してくれるのを、適当に聞いている。
 その日の母は、ベッドに横になっていた。もう身体が辛いのだ。それでもか細い声で、歌をうたっていた。僕はその傍らに椅子を持ってきて座り込み、ずいぶんと痩せこけたかつての美女を見ていた。
 不意に、僕のスマートフォンが着信を告げた。相手は五年前に好きだった、あの男だった。時折こうして電話を寄越すのだ。今日はなんだろう、と思って僕はその場で電話に出る。
 第一声が『生まれたっ!』だった。
「え、あ、三人目の子ども?」少し前に、奥さんが三人目を身ごもった話を聞いていた。
『そう、今朝生まれたんだ。男の子。それがさ、ドラマチックな朝でさ。昨日の夜って春の嵐で、荒れただろ? こんな嵐の夜に陣痛が来るなんて、いくら三人目でも心配だね、とか話してたんだけど、無事に生まれてくれた』
「そっか、おめでとう」
『それがさ、すっげえ朝だったんだ。おまえは今日の夜明けを見たか? 嵐がぴたっと止んで、見事に日がのぼる、っていう瞬間に生まれてくれた。これはもう、なんて喜ばしい朝なんだ、って思った。思ったら、朝喜、おまえの名前が浮かんだ。きっとこんな風にして、おまえは生まれてきたんだな、って』
「最悪の朝だったと思うけど」
『まあ、聞けって。こっから先は相談な。おまえのその、朝喜、っていう名前。子どもにつけていいか?』
 これには驚いた。僕は「え?」と動揺を隠せずに尋ね返す。
「名前。おまえからもらってもいいか?」
「……いいけど、でも、ちょっと安易じゃないか? 名前って、一生その子を表すんだぞ。それにおれは本当なら生まれちゃいけない子どもで、おまけにゲイで、」
「関係あるか。だから、何度も言わせんなよ。こんなに喜ばしい朝はなかったんだ!」
 男の言葉に、僕は胸を熱くする。しばらく考えて、僕は了解した。それから少し話をして、また子どもの顔を見せてくれよと約束をして、電話を切った。
 母はまだか細く歌をうたっている。布団の上に投げ出された、やせ細った手を取って、僕は深くため息をつきながら、「母さん」と呼びかけた。
「あなたが繋いだリレーは、ほかの人にバトンが行き渡ったよ」
 母は歌うのをやめない。
「バトンを渡すことで、誰かを傷つけることは、きっとなかったと思う。こんなおれだったのに、ちゃんとあなたのバトンを渡せたよ。喜ばしい朝だって、そう言ったあなたを、繋げたよ、おれは」
 これで良かったのかな、と軽くうなだれると、彼女は手をぎゅっと握り返してきた。そして歌うのをやめて、こちらを見あげる。
「良かったねえ、朝喜」
「……」
「良かったねえ、朝喜。私のいちばんかわいい子」
 そしてまた彼女は歌いだす。僕はいつの間にか涙ぐんでいた。こんな僕でも、喜ばしい朝に生まれたんだ。
 その朝を望んでくれた、母の幸福は、間違いがなかった。
「母さん、あなたは正しかった」
 涙が頬を伝っているのが分かる。ぬるい涙だ。鼻の奥が痛い。
「本当におめでとう」
 そう呟いて、僕は母の布団に突っ伏して、大泣きした。母はずっと歌っていた。あの古い映画の歌だ。それは子守歌のようで、僕はいつの間にか、眠る。
 朝喜、朝喜と呼ばれ祝福された、ちいさな子どもの夢を見た。



End.



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Beiさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
重たい内容で申し訳ないと思いつつ、今回の物語はタイトル先行でした。楽しんでいただけたようでうれしいです。
次回もどうぞお楽しみに。
ありがとうございました!
粟津原栗子 2016/05/03(Tue)07:28:35 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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