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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 ギャラリーから常葉の家までは車で一時間かかる、というなかなかの道のりだった。「えらく山ん中にあるぞ」と、常葉は嬉しそうに語った。街中でさえあれほど雪深かったのに、さらに山側へと車は攻める。途中から舗装が怪しい林の中の一本道に入ったときには、とんでもない悪路でタイヤは滑るし、それを常葉は平気でスピードも落とさず駆け抜けてゆくしで、千冬はシートベルトにしがみついて動けなかった。それを常葉は笑ったが、嫌味な笑いではなかった。ただ嬉しくて仕方がない、という笑い方をした。
「この辺は高原で夏場は涼しいってんで、金持ちの別荘地なんだよ。冬はそんなに人がいないけど、夏場になると県外ナンバーの高級車がうようよ停まって、人も増える。まあ、おれの家はもっと奥にあってな、あんまり関係がないけどさ」
「……こんなところに住んで、会社通っているとか、本当か? おまえ」
「ほんと、ほんと。変なところにある家だから誰も住みたがらない、住んで手入れしてくれてるだけでありがたいよって、管理人が言うから、ここに決めた。そういう空き家対策の家だからさ、家賃はうんと安くしてもらってんだ。おれとしても、出来るだけ辺鄙なところに住みたかった。会社からはちゃんと通勤費も出るし。運転は好きだし。問題ない」
「……」
「それより、この辺の緑」
 雪の積もった雑木林は、それでもそれなりに人の手が入るのだろう。倒木などはないし、地面の雪はよく踏み固められていた。ほどよく明るくて、暗い。雪の影に出来る青さが綺麗だと思った。常葉は「ほら、ああいうのとか」と、指をさす。指した先には葉を落とさずに雪をかぶった常緑樹がそびえていた。
「あれはヒノキだそうだ。地元のじいさま方が教えてくれた。この辺の木の生えているところはふもとの地区の所有林でさ、ちゃんと組合があって、毎年手入れしてくれてんの。森ってのは手入れしないとだめになるんだってさ。なんかさ、勝手なイメージだけど、人の手の入らない、密林っていうのが森本来の正しい姿であるような気がしていたんだ。でも違うんだって。きちんと間伐して、樹木のサイクルを作ってやる。そうでないと荒れるんだって、じいさま方は言ってたな」
 かつての恋人が嬉しそうに話す言葉の、一言一句も漏らすまいと、千冬は必死になって耳をそばだてだ。
「冬の森っていうのは、おれが想像していたよりもずっと人がいて、獣がいて、温かかったよ。実際に目の当たりにして、よく分かった。なにごとも経験って大事だよな。やってみなきゃ分からないし、五感に響かない」
「……ここが、好きか?」
「ああ、好きだな。理想の暮らしだ」
「そうか……」
 やがて車が行きついたのは、別荘地として家が木と木を挟みながらも集合していた林よりももう少し上にあがったところにあった。周辺に家や建物は見当たらない。常葉が、家の周りの必要のある場所のみを雪かきしたと言っていた。外には犬がつながれている。真っ黒な和犬で、見知らぬ千冬に対してよく吠えた。
「犬、いるのか」
「獣除けになるからな。猫もいるぞ。そっちは、ネズミ除けだ」
「役割があるんだな」
「そういうことだな」
 常葉が家の玄関の鍵を開ける。確かに中には猫がいて、常葉の帰宅に鳴いて出迎える。こちらは見知らぬ千冬を警戒したりはしなかった。まるくふくふくと太った猫で、年齢も、外につないでいる犬よりは年上だと明かした。人には慣れているという。
「夏場の別荘地が盛りなころにはさ、下へ降りて行ってどっかから餌もらってくるよ」
 喋りながら常葉は廊下をすたすたと進み、居間に据えてある薪ストーブの灰を掻く。二階まで吹き抜けになっている居間が外よりもほんのり暖かいのは、薪ストーブの空気穴を絞って最低限の火を落とさずにあったおかげだ。灰の中からおきを出すと、その上に木っ端をくべる。火がまわったころに薪を足す。手早く見事な火のおこし方だった。少なくとも高校時代や大学時代に住んでいた街では、身に着ける必要さえなかった技術だ。
 感心しながら、常葉の動作をただ突っ立って見ていた。猫が千冬の足元へすり寄る。千冬は動物を飼った経験が一度もない。だから動物は少し、怖い。知ってか知らずか、猫は何度も千冬の脛に体を寄せた。やがて千冬が自分にはなにもしないのだと分かると、猫はさっさと常葉の元へ向かってしまった。
 ストーブの薪がうまく燃えついたのを確認して、「さて」と言って常葉はこちらを振り返った。家について最初にするべきことをして、改めて、千冬の顔を見る。先ほどまでののんびりとした表情とは打って変わった、あまいも苦いも含みこんだ複雑な顔立ちをしていた。
「これまでの話がしたい。……すぐにでも身体が欲しい。おまえいま、どっちだ」
 訊かれて、千冬はうつむく。どちらも欲していたし、どちらも、してはいけなかった。まだ千冬は「なかったことに出来る」と思い込んでいる。こんなところにまでのこのことやって来ておいて、常葉のせいにしたがっている。いま一歩を踏み出せば常葉に届く距離にいて、それはすなわち夕海を裏切ることで、でも夕海のことは、最初から裏切っているのだ。なにをいまさら、と自嘲する自分もいる。欲と理性で迷いが生じ、千冬は、揺れる。いてもたってもいられなくて家を飛び出してきて、まだ、決心がつかない。
 そんな千冬に、常葉は「おまえは変わらないな」と一言、こぼした。
「いつも迷っていて、おさまりをつけようとしない。あっちからこっちからの引力に逆らえずに、揺れてばかりいる」
 指摘はその通りであったが、それを欠点だと言われたような気がして、千冬は腹が立った。夕海との生活では決して荒らされなかった感情を、刺激されている。千冬はつい、「喧嘩したいのか」と答えた。思っていたよりも低く、千冬らしからぬ声が出た。
「ここへ来てもまだ、帰れる、と思っているんだろう」と常葉が言う。その通りだったので、千冬は反論したい口をつぐむ。
「いつもどこかに逃げ場を確保しておきたいんだ、おまえは。自分のせいにしたくないんだ。自分は悪くない、あいつが一方的に、っていう風にな」
 それで、千冬の怒りは沸点に達した。常葉が妙に冷静でいることが忌々しく、やはり妻の元へ帰ろう、と瞬時に思った。「帰る」そう言って千冬は常葉に背を向け、家の中を荒々しく戻る。玄関から外へ出ると、すぐさま冷たい北風が、千冬を襲う。その風は粉雪混じりで、コートの隙間から千冬の身体を刺しこんでくる。
 冷たすぎる空気が肺にヒュッと入り込み、むせた。繋がれた犬が太い声で吠え、声は山々にぶつかってこだまする。千冬はそのまま、一歩も動けないでいた。外はあまりにも寒すぎた。犬の声の奥にあるのは風の音と、風が木々を揺らす音だけで、雑音が聞こえない。その中で千冬の荒くれていた感情が、急激に冷やされる。
 ここまで来ておいて帰っても、なかったことには、ならない。自分は確かに常葉のメッセージを受け取ってしまった。それは千冬を激しく喜ばせるもので、本意であった。長年待ち望んでいた夢みたいな現実だ。
 わが身のかわいさあまりの身勝手は、重々承知していた。そのわがままに常葉も夕海も、たくさんの人々が振り回されている。自分さえ存在しなければ、彼らはもっとスムーズに人生を歩めたのではないか。いや、そんなのは驕りだ。千冬がいてもいなくても、常葉も夕海も自分の意志で人生を歩める強い人たちだと、千冬はよくよく知っていた。だから惹かれたのだ。
 千冬は鼻をすすり、息を吐いた。その吐息の白さに驚きながらも、玄関の扉を再び引いた。室内の暖められた空気が千冬の頬を撫でる。燃える薪のにおいを、なぜか懐かしく感じた。廊下をきしきしと軋ませて進む。居間には、千冬に背を向けるかたちで、常葉が椅子に座っていた。薪ストーブの炎の様子を窺っている振りで、戻ってきた千冬へ顔を向けない。
「言いすぎて、悪かった」
 それだけ言った。怒気のこもらない声だったので、千冬は安心する。
「寒いだろ、外」
「寒い」
「帰るなんて、無理だろ。おまえの、そんなうすっぺらい身体、すぐに凍えて死んじまう」
「そうかもしれない」
「もしくは道迷いして、足滑らせて川に落っこちるとかな」
「ああ」
「帰れないよ、千冬」
「……」
「もう、帰れないし、戻れない」
 そう言って、常葉はようやく振り向く。人を惹きつける、濁りのない、千冬の大好きな輝きをした瞳。意志の強さを示す眉。通った鼻筋の下にある唇にくちづけたいと思ったとき、ああ、おれは、なんでも無条件にこの男が好きなのだと、悟る。
 この先、この男の傍を離れる自分のことは、想像したくなかった。
 千冬は背後から、その広い背幅を持つ男に、抱きついた。肩先に鼻を埋め、ぐりぐりと押し込む。思いきり息を吸い込んで香った体臭は少し煤臭かったが、懐かしかった。
「寒い、常葉」
 そう言うと、常葉は「ああ」とだけ答える。
「ずっと寒くて寒くて、たまらないんだ」
 まわした腕に、常葉の手が触れた。ストーブの輻射熱で片側だけが妙に熱かった。
「千冬、震えてる」
「おれはな、冬なんか、寒くて大嫌いなんだよ」
 常葉にしがみついていることで体温が伝わり、髪や肉や骨の質感が伝わり、安心したのだろうか。身体も震えるが、声も震えた。それでも喋る。
「でも、おまえがずっと、冬、冬、って言うから、……冬もいいか、って、思うんだ」
「そうか」
「そうなんだよ、常葉……」
 言うと、常葉はゆっくりと千冬の腕をほどいて、立ちあがった。千冬の方へ向きなおしたのを合図に、どちらからともなくふたりは抱きあう。やがて「こっち」と常葉は千冬を導く。どこへ行くのか、なにをするのか、言わなくても分かる。自分が欲していたものを常葉も必要としたことが、嬉しかった。



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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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