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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 会場は、大通りをいくつか入った、ちいさな路地に面した、フォトスタジオだった。
 狭く建ち並ぶ商店と商店の隙間に、細長く建てられた灰色の壁のビルで、一階がスタジオ、二階にギャラリーを持っていた。三階以上はよく分からない。ビルの前に案内の看板が立てられていなかったら、見落としていたかもしれない。おそるおそる中を覗いていると、スタジオのスタッフらしき若い男が、にこりとこちらへ笑みを向けた。彼は様子を窺っている千冬の元へ歩み寄ると、スタジオの扉を開け、「スタジオに御用ですか? ギャラリーに御用ですか?」と丁寧に訊ねた。千冬が「ギャラリーに」と短く答えると、どうぞ、と入店を促す。「ご自由にご覧ください。その、奥の階段を上って二階です」痞えのない、なめらかな口調だった。
「依田さん、さっきまでいらしていたんですけどね」
 男がそう言うので、ただでさえ早っていた心臓に、さらなる衝撃が走った。男はなにも知らない口調で、にこにこと、「お昼食べに行くって、出てしまいました。そのうち戻ると思いますよ」と喋る。
「と、……依田さんは、会期中は、毎日いらしているんですか?」
 尋ねると、男は「そうですね」と即答した。
「念願の個展だったみたいです。同じく写真を撮る仲間がいらっしゃって、彼らとグループ展示なんかは、何度もしていたんですけどね。うちのギャラリーは狭いし小さいですけど、一応、展示をしたいと仰る方にはポートフォリオの提出をお願いしています。審査、というほど厳密ではないですが、代表作などには目を通して、社長やスタッフの総意を得られなければ、お断りもします。展示は、その展示を行う一・二年前から準備を始めます。依田さんの今回の個展も、依田さん自身がきちんとコンセプトを立てられてずっと活動してきたことがポートフォリオからもよく伝わりましたし、その写真も絵も、どれも魅力的に映りました。私どもとしてもぜひお願いしたいですね、ということで、決まりました。決まったのは、一年半前ぐらいですかね。依田さんとは、お知り合いですか?」
「……その、学生時代の、旧知の仲というか、」
「ああ、そうでしたか。依田さんは、ずっと待っている方がいらっしゃると仰っていました。だからこの期間だけは会社も休んで毎日在廊しているんだとか。ひょっとして、誰なのかご存知ですか?」
「……さあ、」
 そう答えると、男はまた、ふふ、と笑みを浮かべ、「僕が喋ってばっかりいたらちっとも作品をご覧になれませんね。どうぞ」と千冬を先へ促した。
 階段をのぼった先にあった光景は、千冬にとってはなんだか現実味が遠く、なんとも言い表せない。不意にひらめいた言葉は、冬がある、だった。
 写真が展示されている。いつも千冬が見ていた常葉の写真は、定形封筒に収まるサイズのものばかりだったから、大きく引き延ばされている写真の迫力は、想定外だった。ギャラリー内がさほど広くないので、入り口で顔をひと巡りさせてしまえば、会場全体の様子が見て取れた。平日の昼間だからか、人気はなかった。千冬は入り口を抜けてすぐ左にある写真から、丁寧に見始める。それは空の写真だったが、千冬が見たことのある写真ではなかった。
 次は風景写真だった。これもまた、千冬は知らない写真だった。雪をかぶった田畑や家並みの写真だ。その次はマクロレンズで撮られたと思う、雪の結晶。次々へ順路を辿る。ここにある写真は、すべてが、冬に撮られた写真だった。
 入り口とは反対側の奥の奥に、簡易的な衝立で仕切られたスペースがあった。スペースの入り口には薄く透ける白い布がかかっていたのでスタッフルームかのようにも思えたが、順路、という単語と共に矢印がその中へ示されていたので、迷った末に、千冬はその中へ入った。そこにあったのは、壁という壁いちめんに貼られたスナップ写真の数々だった。入り口を除く壁面すべてに、これまでに常葉が撮りためた写真が、千冬の良く知っているサイズで、乱雑にぺたぺたと貼りつけられている。ここは、千冬の知っている写真ばかりだった。拙くて、感覚だけを頼りにしていたころのものから、技術が身に着いたからこそ撮れる写真まで。よくもこれだけの数を撮ったのだと思う。そのすべてを見て回るのは到底出来ないように感じたが、空間そのものが心地よく、常葉に包まれて眠った夜のような安心感を千冬にもたらした。
 ずいぶんと長いことその空間にいたと思う。やがて人のやって来る気配で、千冬はその空間から脱出した。展示自体は、もう半分あった。これもまた冬の写真だ。先ほど千冬を案内してくれた若い男の写真もあった。マフラーを首にぐるぐる巻いて、頬を赤くして、千冬に見せた笑顔とはまた違う親しい笑みでこちらを見ていた。ポートレイトにまで分野を広げていたことは、知らなかった。ほかにも親しい友人らを撮ったのだろうと思われる写真はあったが、そこに千冬と常葉、ふたりの離れていた年月の差を感じて、千冬は猛烈に後悔した。自分がそこに不在だったこと。常葉の傍にいなかったこと。とりわけこのスタジオの男の写真には、嫉妬さえした。
 展示のいちばん終わりには、常葉が描いたスケッチと共に、作家によるステイトメントと、謝辞が、寄せられていた。

『僕がこの展示をしたいと思ったのは、もう十数年も前になる。だからこうして、ようやく形に出来て嬉しい。けれど同時に、不安でもある。果たして僕の想いは届くのだろうか?
 今回の展示は、極めて個人的な私信、メッセージだ。これを受け取って欲しい人がいる。その人に届けばいいと思っているけれど、これは、難しいかもしれない。ただ、発信することは、大切なことだと思っている。心に仕舞っておくだけでは、なにも思わなかったことと変わらない。
 普段の僕は至ってごくありふれる、ただの会社員だ。何年も勤めているので、入社当時よりは少しだけ偉い肩書きがついた。よって、僕にとって写真を撮ることや、絵を描くことは、生活に直結しない。だから、本来ならばこんな展示は、必要のないものかもしれない。少なくとも、やるべきことではないし、やらなければならないことでもない。「撮ることや描くことをしないと自分が自分ではなくなってしまう」「表現活動は、生きることだ」そういう風に言う人もいる。そういう人がアーティストなんだろうな、と僕は思う。そして僕は違う。別に撮らなくても描かなくても、暮らしていけるし、生きていける。
 ただ、その人生が本望かといえば、異なる。
 この展示の企画を持ち込んだとき、とある人に、「あなたは幸せですね」と言われた。まさか、とそのときの僕は首を振った。まだなにも成せていない、と思ったからだ。なんにも成せていないのに、なにが幸せか、と思ったのだ。その人は言った。「こんなに時間をかけて、なにかに夢中になれることがあることです。大抵は諦めてしまうんですよ」。この台詞は、なかなか強烈だった。諦めるという選択肢が、僕の中にはなかった。もういいかな、そんな風に、思ったことがなかった。それはおそらく、飢えから来るのだと思う。強烈で猛烈な、ひもじさだ。(この辺は、幼いころに父という存在を失くしたことが由来しそうだけれど、いまここに明らかにすることは、控える。)
 僕は冬が好きだ。好きになりすぎて、より冬の長いこの街へ越してきてしまうぐらいに。静かだとか、寒いとか、冬が好きな理由は色々とあるけれど、なによりも、いきものがいきものと接する心地よさ、温み、募る恋しさ、それが最も露骨に現れる季節であること、これが冬を慕う僕の最大の気持ちであり、理由だ。いつからか僕はずっと冬の虜だ。だから今回の展示は、遠慮なく、冬を存分に構成し展開した。

 この展示を見てくださったすべての方々に、感謝を。展示を応援してくれたギャラリーのスタッフの皆や、日ごろ僕と一緒に写真を撮ろうと計画してくれる仲間、理解を示してくれる会社の同僚たちにも。何度もくどいけれど、発信し続けることは、とても大事なことだと僕は思う。この展示で届かなくても、いつか、人づてでも風の便りでもなんでもいいから、僕のメッセージが無事に届くことを、祈ります。』

 メッセージの下にある絵は、茶色いクラフト紙に描かれていた。緑色の上にさっと白い絵の具の載る、静かな絵だった。それを千冬はじっと眺める。動けない、動きたくない、常葉に会いたい。会いたい、会いたい。
 静かな室内に、カシャッとシャッターの降りる音が響き、千冬はとっさに音の方向へ振り向いた。ちょうど部屋の真反対に、カメラを構えた男が立っていた。男は構えた手をおろす。にこりと穏やかに笑んだ長身の男は、まるで冬の王様が寄越した使者であるかのように、すらりとそこに立っていた。
「来たな、千冬」
 その声は、最後の別れの際に聞いたものと、変わらない。千冬は、自分がいつからこの男に眺められていたのかを考え、急激に恥ずかしくなった。会いに来たくせに、会いたいからここまで来たくせに、逃げ出したい。
 それでもなんとか常葉に応じた。
「来たよ、常葉」
「届いたか、おまえのところにはさ」
「――届いた」
 言うなり、かくんと膝の力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。常葉がとっさに千冬の元へ身体を滑らせる。支えの力強さは、涙が出るぐらいに嬉しかった。



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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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