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 常葉の示した貸しギャラリーは、遠かった。時間をかければ熱は冷めるだろうかと、あえて特急列車や新幹線という手段を選ばず、ひたすら鈍行列車を乗り継いだ。途中、いくらも進まないうちに終電になってしまったので、仕方なく駅近くに宿を取った。眠れるはずもなく、ただ、熱い湯を浴びられることだけがありがたかった。
 家はほぼ飛び出したも同然で、持参したのは財布とスマートフォンと、防寒具だけだった。ホテルで眠れない夜を過ごしていると、夕海からメッセージが入った。今夜を留守にする理由を夕海には伝えていないし、伝えられるわけもない。メッセージは放り、夜明けの、始発の電車を待つ。
 目的地のギャラリーに近づくにつれて、車窓から見える景色は冬に向かっていった。
 当然だ。千冬が暮らす街よりずっと北にあるのだ。おまけに日本海に接する街なので、降雪量が格段に違った。雪があるだけでもう、冬に感じられた。千冬の住んでいた街ではもう梅の花が開花したというのに、こちらはどの枝も重たく雪を載せ、沈黙を貫いている。
 始発のころ、電車はがらりと空いていた。途中で通勤ラッシュに遭い、それがまた過ぎて人影がまばらになる。車内でスマートフォンをいじり、再び貸しギャラリーのホームページを眺めた。「依田常葉」と、その名が画面に表示されているだけで、千冬は嬉しかった。嬉しさを噛みしめたくて、何度も何度もそのページにアクセスした。
 昼を過ぎて、ようやく目的地の最寄り駅に到着した。ここから先はバスで十分、とあったが、歩いた。飲食店から漂う油のにおいを嗅いで、ようやく、昨日、封書が届いて以降なにも食べていないことに気付く。けれども食欲は湧かなかった。溶けかかった雪が凍ってよく滑る歩道を、ゆっくりと確実に踏みしめて、常葉に縁のあるだろう知らない街を歩く。
 歩きながら、ふと千冬は思い立ち、実父に電話をかけた。社会科の教員として主に公立中学校に勤め、定年退職し、いま父は知人が経営する地図を作る会社でアルバイトをしている。ほぼずっと外回りの仕事だが、ゆえに学校教員だったころよりも通信環境は自由だ。千冬の読み通りに数コールで父は電話に出た。『珍しいね、どうしましたか』と、穏やかな口調で千冬に応じる。
「――ちょっと、聞きたいことがあった」
『なんでしょう?』
「おれの名前の由来、そういえば聞いたことがなかったな、と思って」
 父は面食らった様子で、『どうしていまさら、そんなことを』と尋ね返す。
「いいから、教えてくれ」
『んー、そうですね。別にそうたいした由来があるわけでもないんです。ただ、あなたの生まれた日があんまりにも冬らしかったから』
 それを聞いて、千冬は首を傾げた。確かに千冬は冬の生まれだが、千冬が生まれ育った街は太平洋側の雪など無縁な地域で、いつも乾いていて、晴れていて、例えばテレビで度々見かけるような豪雪地帯や、いま歩いているこの街みたいな、冬らしい冬とは無縁に感じたからだ。
『ああ、僕からは話したことがなかったかもしれません』父はおおらかに笑った。
『あなたが予定日よりも早く生まれてきたことは話したことがあったかな。そのとき僕とあなたのお母さんは、Nに旅行に出かけていました。豪雪や低温といった、厳しい冬で有名な温泉宿です。そこで産気づいてしまったので、まあ慌てましたねえ。旅館に地元のお産婆さん呼んでもらってみんなでばたばたしながらお産を迎えました。その宿に泊まっていた人や、女将さんや従業員さんや、お湯に浸かりに来た近所の人や、とにかくいろんな人に見守られてあなたは生まれたんですよ。外は信じられないぐらいに寒くて、でも雪があるおかげかやけに静かで、みんなあなたの産声に耳を澄ませてね』
「……」
『幸いあなたは未熟児ではなかったので、きっとおなかの中で育ちすぎてこれ以上は弾けるぞ、と思ったから早く出て来たんでしょう、と皆で笑いました。そのとき世話してくれたお産婆さんの名前から、千の字をいただきました。冬という字をどうしても入れたい、と言ったのはあなたのお母さんです。だから、千冬、と。単純で安易に感じますが、あなたの名前はこれ以外になかったと、僕は思っています。どうですか?』
「……いや、いいと思うよ」
『よかった』
 千冬は通話を終えると、しばらくその場に佇んで、空を仰ぎ見る。よく晴れた冬の青空が広がっている。目を閉じて、耳を澄ます。自分の響く産声を想像した。


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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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