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はじめに届いたのも、封書だった。
大学を卒業し、就職し、ひとりで暮らしはじめた街で、その手紙を受け取った。メールなどとっくに普及していた時代だったのに、常葉はいたってアナログな方法を取った。定形に収まる封筒の中に、写真とスケッチ。初期は、空の写真やスケッチが多かった。まだカメラの性能を理解していない、あるいは技術が伴わない、不慣れで不器用な図が多かった。
そんなのも、一年も撮りためれば上達した。技術を習得した、という感覚は、受け手である千冬にもよく伝わった。空の写真、もしくは絵にこなれて来たころ、常葉はモチーフを次へと移した。次は植物になった。このころから、レンズを替えるようになった。望遠から単焦点、マクロまで。働きはじめて金も程よく貯まりはじめたのだろう。画材もあれこれ試した風だった。とにかく文字の類が一切ない封書だったので、眺め、観察し、そこから想像をして量るしかなかったのだが、一緒に暮らした仲であったので、常葉の心理は、それなりに読めた。むしろ、どんな心境で撮ったか、描いたか。それを考えることが千冬の楽しみになっていた。
一方で千冬は、静かに、確実に事を進めていた。夕海とは三か月に一回会えれば良い方であったが、日々に起こったささやかな出来事はその都度メールで報告しあっており、その報告の積み重ねで、ふたりは互いの結びをきつく固めていった。夕海は旅行が好きで、旅先からの報告も多かった。遠距離であれどもパートナーの存在は心強かった。むしろ、離れていることでお互い変に熱くもならず、醒めもせず、不思議と落ち着いた、凪の暖かな海にいる心地だった。これが、自分が欲しかった安定なのだと感じた。
社会人になって三年目の春に、ふたりは入籍した。単に必要な届に記入して押印し、提出しただけで、特に式などは挙げなかったし、住まいも変えなかった。それを二年続けて、五年目に、千冬は会社を辞め独立した。フリーランスになり、在宅で仕事ができる体制を整え、改めて夕海の暮らす街へ引っ越した。夕海とようやく暮らしはじめたのだ。日々は、楽しかった。夕海は頻繁に家を空けた。仕事熱心で、旅好きで、だから不在が多く、その分、ずっと友達みたいな距離でいられた。夕海と千冬、双方の両親も孫の存在をふたりには求めなかったので、気が楽だった。
けれどもやはり千冬は、常葉を諦めきれなかった。
ばかみたいに真面目に引っ越しの際には転居届を出し、常葉にもきちんと引っ越した旨のメールに新住所を記して送った。常葉が発信するものは、すべて受け取っておきたかった。安定したいのならばこれは知らせるべきではないと分かっていて、常葉のこころを、支配しておきたかった。夕海と暮らして得るものも、常葉と接して得るものも、みんな欲しかった。
封書は、届き続けた。夕海と暮らしはじめてさらに五年が経つ。十代で常葉と出会い、恋をして、別れ――そういう日々は、とっくに過去になった。胸は痛まないはずだった。
そこへ届いた、宣言通りにやって来た、常葉の覚悟。それに対峙することに、千冬は戸惑いを感じた。憤りさえした。これを無視すれば、夕海との穏やかな日々がこれからも続く。知らなかったことにしたかった。でも、知ってしまった。
そもそも、封書を受け取り続けていたこと、これがもう、夕海への裏切りに違いなかった。「普通」を望んだから常葉と別れたのに、細い糸は、ずっと繋げていた。断ち切るはずだった糸がいま、千冬を引っ張っている。少しでも暴れたらすぐに切れてしまいそうな細いほそい糸であるのに、しっかりと、確実に、千冬を引く。欲に弱い千冬は、簡単に揺れる。そちらへ振り向きたくてたまらない。「普通」でありたいなら切るべき糸――ああ、「普通」って、一体なんだ。
千冬は立ちあがる。いつの間にか日が暮れていて、昼間の暖かさはとうに消え、ストーブをつけ忘れた部屋はうすら寒い。肩先から冷気を感じた。
今夜、夕海の帰宅は遅い。
千冬はクローゼットから、コートを取り出した。
はじめに届いたのも、封書だった。
大学を卒業し、就職し、ひとりで暮らしはじめた街で、その手紙を受け取った。メールなどとっくに普及していた時代だったのに、常葉はいたってアナログな方法を取った。定形に収まる封筒の中に、写真とスケッチ。初期は、空の写真やスケッチが多かった。まだカメラの性能を理解していない、あるいは技術が伴わない、不慣れで不器用な図が多かった。
そんなのも、一年も撮りためれば上達した。技術を習得した、という感覚は、受け手である千冬にもよく伝わった。空の写真、もしくは絵にこなれて来たころ、常葉はモチーフを次へと移した。次は植物になった。このころから、レンズを替えるようになった。望遠から単焦点、マクロまで。働きはじめて金も程よく貯まりはじめたのだろう。画材もあれこれ試した風だった。とにかく文字の類が一切ない封書だったので、眺め、観察し、そこから想像をして量るしかなかったのだが、一緒に暮らした仲であったので、常葉の心理は、それなりに読めた。むしろ、どんな心境で撮ったか、描いたか。それを考えることが千冬の楽しみになっていた。
一方で千冬は、静かに、確実に事を進めていた。夕海とは三か月に一回会えれば良い方であったが、日々に起こったささやかな出来事はその都度メールで報告しあっており、その報告の積み重ねで、ふたりは互いの結びをきつく固めていった。夕海は旅行が好きで、旅先からの報告も多かった。遠距離であれどもパートナーの存在は心強かった。むしろ、離れていることでお互い変に熱くもならず、醒めもせず、不思議と落ち着いた、凪の暖かな海にいる心地だった。これが、自分が欲しかった安定なのだと感じた。
社会人になって三年目の春に、ふたりは入籍した。単に必要な届に記入して押印し、提出しただけで、特に式などは挙げなかったし、住まいも変えなかった。それを二年続けて、五年目に、千冬は会社を辞め独立した。フリーランスになり、在宅で仕事ができる体制を整え、改めて夕海の暮らす街へ引っ越した。夕海とようやく暮らしはじめたのだ。日々は、楽しかった。夕海は頻繁に家を空けた。仕事熱心で、旅好きで、だから不在が多く、その分、ずっと友達みたいな距離でいられた。夕海と千冬、双方の両親も孫の存在をふたりには求めなかったので、気が楽だった。
けれどもやはり千冬は、常葉を諦めきれなかった。
ばかみたいに真面目に引っ越しの際には転居届を出し、常葉にもきちんと引っ越した旨のメールに新住所を記して送った。常葉が発信するものは、すべて受け取っておきたかった。安定したいのならばこれは知らせるべきではないと分かっていて、常葉のこころを、支配しておきたかった。夕海と暮らして得るものも、常葉と接して得るものも、みんな欲しかった。
封書は、届き続けた。夕海と暮らしはじめてさらに五年が経つ。十代で常葉と出会い、恋をして、別れ――そういう日々は、とっくに過去になった。胸は痛まないはずだった。
そこへ届いた、宣言通りにやって来た、常葉の覚悟。それに対峙することに、千冬は戸惑いを感じた。憤りさえした。これを無視すれば、夕海との穏やかな日々がこれからも続く。知らなかったことにしたかった。でも、知ってしまった。
そもそも、封書を受け取り続けていたこと、これがもう、夕海への裏切りに違いなかった。「普通」を望んだから常葉と別れたのに、細い糸は、ずっと繋げていた。断ち切るはずだった糸がいま、千冬を引っ張っている。少しでも暴れたらすぐに切れてしまいそうな細いほそい糸であるのに、しっかりと、確実に、千冬を引く。欲に弱い千冬は、簡単に揺れる。そちらへ振り向きたくてたまらない。「普通」でありたいなら切るべき糸――ああ、「普通」って、一体なんだ。
千冬は立ちあがる。いつの間にか日が暮れていて、昼間の暖かさはとうに消え、ストーブをつけ忘れた部屋はうすら寒い。肩先から冷気を感じた。
今夜、夕海の帰宅は遅い。
千冬はクローゼットから、コートを取り出した。
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プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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