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 それでも、恋人を欺き続けても、その冬は共に越した。それを繰り返して、大学三年の冬、千冬と常葉は、お互いの進路の話をした。進路というよりは、ふたりの将来の話だ。これは、いままでに常葉がしようとして、千冬があえて避けていた話題だった。
 話が混めば、ますます言い出しづらくなるだろう。そう踏んで、千冬の方から話題を振り、そしていきなり、なんの準備もなく、「別れたい」と切り込んだ。夕飯を取り終え、皿を片付けている最中だった。驚き目を見開いた常葉に、「女が出来たから」と追い打つ。容赦はなかった。酷いことをしていると分かっていて、相手の気持ちを量る余裕などどこにもなかった。千冬の背後には崖が迫り、崖の下は、真っ黒い水がたゆたう真冬の海があった。荒く波を立てては、千冬の足元に飛沫をもたらす。
 最初に常葉が発した言葉は、「夕海(ゆうみ)さんか?」だった。意外と冷静でいてくれている、と千冬は分析した。
「そう、夕海さん」
「なぜ? いつから?」
「いつからっていうか、……最近だ」
 夕海は千冬とも常葉とも違う大学に通う女で、専攻は乳幼児教育、保育士になるべく勉強していた。ふたりよりもひとつ年上で、先輩にあたる。彼女は千冬と同じコンビニエンスストアでアルバイトをしており、シフトが重なるため、知った仲となった。進路先はすでに内定していた。彼女の故郷にある、ちいさな、けれど地域には欠かせない、保育施設だという。彼女自身がそこの卒園者であり、園長直々に保育士の欠員が出たからと就職の打診があり、決まった職であった。彼女にとってこれは、望み通りの最高の進路だった。
 夕海の話はこれまでにもちょこちょことしてあった。夕海は少し、というよりはだいぶ変わった性格をしていて、その、サバサバとした、自分を女とも思っていないような振る舞いが、千冬には心地よかった。そういう話を、ぽつぽつと、してあった。だがそれが、いきなり千冬と男女の仲に発展していた、と聞かされれば、常葉の衝撃は大きい。分かり切っている話だ。いま現在、千冬と恋人同士でいるのは常葉である。同棲までしている。それを解消してほしいと言っている。無茶は、あまりにも酷いものだった。
「――だって、千冬。おまえ、女抱けるのか?」
「……いや、抱けない。無理だ」
「だったらどうして」
「夕海さんから告白されたとき、……嫌じゃなかったからだ」
「告白が、か?」
「そう、それもあるけど、……その、少し長くなる。とりあえず食器を片してからでいいか」
 中断を申し出て、常葉はそれを了承した。無言で、千冬が洗った皿を常葉が拭き、棚に戻してゆく。そしてお互い手が空いたころに、常葉が「今夜は冷えるよな」と呟き、ホットミルクを作ってくれた。少々のブランデーが垂らされている。常葉が冬によく作るものだった。
 ブランデー入りホットミルクのカップを両手で包み、千冬は長く息を吐く。
「いわゆる、パートナー協定みたいなもの」
 千冬はそう答えた。常葉は納得しかねる、という顔を千冬に向ける。当然だろう、パートナーとして縁を結ぶなら、千冬には常葉がいるからだ。
 千冬は続ける。
「告白されたとき、おれはゲイだから、おそらくあなたのことは抱けません、って言った。お付きあい自体がもうすでにいびつに歪むでしょう、と。さらに将来、家庭を築き、子どもが欲しいというなら、まあ、いまはいろんな妊娠の方法があるようなので、セックスしなくても子どもは望めるかもしれませんが、自然なかたちでは、無理です。そう言ったんだ」
「……彼女、なんて?」
「彼女はこう言ったんだ。
『私は実は、卵巣に病気を抱えている。だから自分が赤ん坊を産み育てる、という未来のことは、あんまり想像できない。私が、千冬くんがパートナーだったらいいな、と思ったのは、お互いの利害が一致するかなと思ったからだし、純粋に、千冬くんのことが、気にいっている。ひとりでいるよりは、ふたりでいる方が絶対にいい。緩やかに穏やかに、家庭を築いていけるんじゃないか。あなたに対して、そう思った。』
――そう、言ったんだ」
「……」
「おれ、それを聞いて、……悪い、ほっとしたんだ」
 常葉がはっと息をのむ音が、聞こえた気がした。
「……どうして、」
「おれは、『普通』を望めるんだ、と思った」
 常葉は黙った。千冬からの言葉を待つ姿勢を取る。
「勉強して、大学生になって、卒業して、就職して、出会った人と婚姻を交わし、子どもをもうける。子育てをして、親としての務めを果たし、子どもを独り立ちさせて、あとはゆっくりとパートナーと老いていく。家族に看取られて、死ぬ。……この国の全員がそうだとは言わないけど、まあ、一般的なモデルだろ。そういうのは、ゲイという身だったら、望めないんだと思った。一生外れて生きて行かなきゃならないんだと、それが、……とてもつらいことだと、ずっと思っていた」
 常葉は喋らない。あの、まっすぐな目で、瞳を透明にして、千冬を見ている。
「子どもが欲しいとかそういう意味じゃない。でも、男と……このままおまえと暮らして、そこにはなんの制約もない分、不安定で。例えば、おまえが飽きたらこの関係は終わりだ。いつでも解消できる仲。そういうのが、すごく、怖い」
「結婚、したいのか」
「したい。少なくとも子どもが出来なくても、『普通』に見てもらえる気がする」
「それは――」
 勘違いだ、あるいは、決めつけだ。常葉はそう言いたかっただろうと察しがついたが、しかし彼は黙った。言葉を飲み込み、次を待つ。
「……夕海さんにこれからの提案を、されたとき」
 千冬はもう、ほとんど泣いていた。声が震える。喉の奥が痛い。うまく喋れない。
「こんなおれでも、社会の大多数になれるのか、と、……そう、思ったんだ」
「……それが千冬は、嬉しかったのか」
 もう声が絞り出せず、千冬は強く、頷いた。
「それをずっと、そういう思いをずっと、抱えていたんだな」
 それも、肯定する。
「そうか。……知らなかった」
 常葉はそう言い、大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。あのまっすぐな視線を天井に向け、腕を組み、なにかを考えるポーズを取る。しばらくの後に、常葉は「卒業するまで」と言葉を発した。
「おれとおまえが大学を卒業するまでは、この部屋で、このまま、暮らしたい。卒業するまでで、いい。ルームシェアの体裁でいるんだから、おまえに無理がなければ、そうしてほしい。……その、夕海さんとの交際や結婚だって、急ぐ話じゃないんだろう?」
 常葉は妙に冷静だった。感情を出来る限りで抑えている、とも取れた。
「……分かった。卒業までは、このままここに、おまえと、住もう」
「ありがとう」
 ふ、と常葉は息をつく。そのまましばらく沈黙が出来たが、やはり常葉の方から、また語り出した。
「千冬、おれは諦めのわるい男なんだ。よく、知っていると思うけど」
「……そうだな、」
「絶対、絶対におまえと過ごす、暮らす……生涯を共にする、そういう未来を、諦めない。昔、話したよな。最大の愛情表現をしてみせる、って」
「……展覧会の話か?」
「そうだ。ときが来たら、叶えてみせる。そうやっておまえを、おれの元に呼び戻す。絶対に、絶対にだ。何度千切っても、契りを結ぶんだ。おれはもう、永遠に、冬の虜だからな」
 常葉の瞳は、熱意に燃えて妖しく煌めいて見えた。こんなにも自身が慕う人から愛されているのに、千冬が選ぼうとしている道は、人生を、もしくは生活を安定させるための、よく踏み固められ舗装された一般的な道路だ。逃げるのは卑怯だと、自分だけ安定を望むなと、責められても全くおかしくなかった。しかし千冬は、どうしたって「普通」に憧れた。マジョリティでありたかった。皮をかぶって群衆に紛れ込み、溶け込み、――一般的でどこにでもありふれて存在する生活、それが欲しくてたまらなかった。
 その夜以降、常葉は千冬に触れることを、一切しなくなった。
 本当に、ただ利害が一致したから共同生活を営んでいる、そういう体になった。常葉は家を空けることが多くなったし、一方で千冬は、夕海との時間を作り、何度も何十回も今後について話しあった。大学四年の冬には千冬の就職も無事に内定し、夕海の実家と、自分の実家とを行き来して、お互いの両親に挨拶まで済ませた。夕海とはしばらくは遠距離恋愛(という、体だ)で、時期が来たら千冬は夕海の暮らす街へ居を移し、籍を入れる、という話に落ち着いた。大学生活はあっという間に終わりを告げ、いよいよ常葉と離れるときが来た。冬がいつまでも居残った三月だった。まるで常葉が千冬を離すまいと、必死で永遠に冬であろうとしているかのようにも、思えた。
 部屋を引き払う日に、常葉が最後に千冬に向けた言葉は、「すぐだ」だった。
「きっとすぐだ。すぐに会える」
「……おまえの腕前じゃあ、一生かかっても無理だと思うよ」
「分からないだろ、そんなこと。おれの伸びしろを舐めんなよ。それになにより、おまえのこころはまだおれにある。そうだろ?」
「……」それを言葉にしてしまったらもう、千冬は一生、常葉の虜だ。それが分かっていたから、千冬はあえて口に出さずにいた。
 常葉は微笑んでみせた。
「また会おう、千冬。次に会ったらもう、おれはおまえを離す気はない。――それまで、元気で」
 お互いにかばんを持つと、揃って部屋を後にした。千冬の心臓は、痛みと、喜びと、安堵感と、罪悪感とで暴風雨が吹き荒れている、そんな音の打ち方をしていた。それでも時間が経てば、人は変わるだろう。いつか常葉は、自分を諦める日が来る。どうでもよくなる日が来る。自分は夕海との日々を大事に営む。
 それは酷くつらい選択だった。


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寒椿さま(拍手コメント)
読んでくださってありがとうございます。素敵なHNですね。連投でコメントを頂きましたが、こちらにまとめてお返事させて頂きます。

まずは「冬の虜」第3話のお返事から。
寒椿さんが疑問視されていたことは、第4話の辺りで明かすように書いたつもりです。ふたりの名前について、全く話は逸れるのですが、実はこの「冬の虜」を書き始めてからほぼ書き上げるころまでは、このふたりの名前は逆でした。「冬」の名を持つのは常葉の方だったのですが、どうしてもなじまず、逆にしたら落ち着きました。「千冬」と「常葉」はいつか使おうと思いストックしておいたワードの中のものですので、こうやって日の目を見ることが出来て嬉しいです。
オフコースの解散コンサートについては私はあまりよく知らないのですが、家人がオフコース(もしくは小田和正さん)のコアなファンでして、ぼんやりと影響を受けています。「心はなれて」「言葉にできない」はメロディを思い浮かべられる程度ですが、なんとなく分かります。小田さんの声は本当に心に響きますね。今度は歌詞にも注目して聞いてみようと思います。素敵なエピソードをありがとうございました。

続いて、「冬の虜」第4話へのお返事です。
常葉に「漢前」と頂きまして、大変恐縮です。さてこのふたりはどうなりますか。まだあと6話ございますので、見守っていただけたら、と思います。

まとめての返答で申し訳ございません。
ですが最後までどうかお付き合いを。
今日から暖かい日が続くと聞いているので、冬のさなかの物語は少し体感がずれるかもしれませんが、読んでくださる方が少しでも冬を惜しんでくれたら、という思いもあって書きました。楽しんでいただけると幸いです。
またお気軽にコメントお寄せくださいね。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2017/02/16(Thu)21:36:43 編集
佳子さま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
どこにも誰にも告知せず、ランキングサイトからも抜けてしまいましたので、更新しているかどうか非常に不案内で申し訳ないです。それでも来てくださって嬉しいです。ありがとうございます。
更新、本日までとなります。楽しんでいただけたら幸いに思います。
またお気軽にコメントお寄せくださいね。
拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2017/02/22(Wed)08:21:03 編集
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プロフィール
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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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