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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 寒くて目が覚めた。
 隣を探ると、手は空を掻く。いるはずの男がいないことで、千冬ははっと飛び起きた。あれは夢だったのかと昨夜の記憶を手繰る。辺りはまだ薄闇ではっきりしなかったが、少なくとも千冬の寝室ではなかった。信じられないような冷気を感じて、千冬は身震いする。いつの間にか衣類を身に着けていたが、それは地のうすいもので、布団の外へ出ることは勇気を要した。
 布団の上にかけられていたウールのブランケットをさっと身体に巻き付け、千冬はベッドから降りる。フローリングの床は信じられないほど冷たく、雪の上を直に歩いているような心地だった。冷気は痛覚を刺激する。冷たいのではなくもはや痛いと感じながらも床を踏む。居間には誰もおらず、夜明け前の薄暗い青さが、室内を支配していた。
「常葉?」
 声をかけるも、返事がない。
「常葉? おい、どこだ常葉」
 あちこちを覗いては、声をかける。どこからも返事がない。居間、続く台所、廊下、先にある洗面所や浴室、トイレ。いない、いない、どこにもいない。人の気配がない。
 嘘だろ、と思いながら千冬は足先の痛みも忘れ、玄関へと進む。引き戸を開けると、冷たい北風に乗って雪が舞っていた。昨夜のうちに、さらに数センチ積もったようだった。新雪が昨日の常葉や千冬の足跡を消している。ここには端から、千冬しか訪れていなかったかのような。
「常葉っ!!」
 叫ぶと、犬が吠えた。とっさにそちらへ振り向く。犬小屋の奥は家の裏手へまわれるようになっている。そちらから誰かが来る。わうわうと吠える犬を上手くいなし、長身の男が姿を現した。
「……千冬、おまえそんな格好で、出てくるなよ」
 太い薪を何本も抱えて、常葉が姿を見せた。千冬はほっとする。
「……目が覚めたら誰もいなかったから、夢だったのかと思って」
「目が覚めたときに寒かったら可哀相だと思って、先に起きたんだ」
 家の裏の、雪が舞い込まない場所に薪を積んであるのだという。薪を抱えたまま、常葉は玄関をくぐる。千冬も後に続いた。居間のストーブに火を入れ終える、そのタイミングを見計らって、千冬は冷えてしまった身体を常葉に擦りつけた。
「――夢じゃなかった」
 そう漏らすと、常葉も「そうだな、夢じゃあないな」と答え、千冬の肩を抱く。
「これから、……どうする?」
 常葉はためらいながら訊いた。千冬が答えに窮すると分かっていても、訊ねないわけにはゆかない質問だった。
「おまえの望んだ、普通、というやつは、……やっぱり、叶えられない、おれは」
「……」
「でも、帰す気もない」
 常葉は肩を抱く手にぐっと力を込めた。
 力強い手の温みに感じ入りながら、千冬は目を閉じる。目蓋の裏に過ぎるのは、これまでの様々なことだ。常葉との出会いのころ、いつでも一緒にいた放課後、冬の乾いた空気の中で交わしたキス、ともに暮らした大学時代。常に胸の内に存在した、「普通」でありたがるこころ、夕海に聞かされた力強く前向きな言葉に涙が出そうになったこと、常葉の傷ついた表情、離れて暮らした十年間、頻繁に届く写真やスケッチ。
 昨日見た、すさまじい恋慕のメッセージ。
 なにが正解で、どうするのかが正しいのかは、分からない。だからと言って考えることをやめたくはない。このまま情に流されて常葉と添うのもひとつの道だが、それではきっと、一生、罪悪感を背負ったまま生きるのだと分かる。誠実でありたい。なにごとにも、まっすぐでありたい。
 嘘のない人生を送りたい。常葉を欲しい気持ちも、あのまま夕海と暮らしたい気持ちも、どちらも、千冬にとっては嘘ではない。だからこんなにも揺れる。
 一生、自分はこうなのだと思う。決心をつけないこと。つけられずに惑い揺れること。いかにも、我欲にまみれたあさましい人間だ。聖人君子にはなれない。千冬は、千冬。千冬の身体と精神を持って、千冬は千冬の人生を生きる。誰が添うとも関係ない。その「誰か」だって、己自身の人生しか歩めないのだ。
 人は、ひとりだ。様々な人と縁を絡めたり離したりしながら、生きていく。それを淋しいことだとは思わない。たとえば常葉と同個体になれたらいいなという夢ぐらいは見るが、それは一生かけても実現しないことは、分かっている。ずっと夢見て暮らすよりも、いささか現実を知って生きる方が、千冬にとっては率直で素直に感じる。
 ひとりであるけれども、ひとりで生きていけるほど強くは出来ていない。他人の存在を混ぜるからこそ、喜びも、悲しみも、受け取ることが出来る。
「千冬?」
 黙り込んだ千冬を、怪訝そうに常葉は窺う。千冬は常葉の頬にそっと手を添えた。
「いまは、いいや」
「……でもな、」
「いいんだ、このままで。そのうち、なにか、ひらめくだろ」
「……」
「おまえはおれを攫いに来たんだからさ。そんな顔しておれのこれからの生活の心配をするこたないんだよ。貫いてろ、おまえの立場をさ」
「そうか」
「うん」
「……おまえは妙なところで、強かさを発揮するな」
「ん?」
「要するに、おれはなにがなんだって千冬の虜だってことだ。どんなに汚くて卑怯であくどくてもな」
「なんだよ、それ」
「いいだろ。おれが好いているやつは、ちゃんと人間だってこと」
 常葉の顔が近付いてくる。夜明けが近い。部屋の青さに、薄日のオレンジ色の光が混ざり出す。
 千冬は目を閉じて、男の唇を迎え入れた。


End.



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寒椿さま(拍手コメント)
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
これからことを考えると様々な心配が懸念されますが、それは千冬なりに向き合っていくのでしょう。という余韻みたいなものを最後に感じられるような物語を、というのを今回は目指しました。
千冬というキャラクターを書いていて、本当に嫌なやつだな、と何度も思いました。けれど、最後にも常葉が言いますが、「ちゃんと人間だってこと」という台詞、これに集約してあります。人間というものを書きたい、と思って筆を進めたものでした。きちんと書けているのかは疑問ですので、まだまだ課題を残しつつ、これからも精進してまいります。

次の更新のめどは立っておりませんが、また不意打ちで更新があるかと思いますので(すみません)、また気が向いたときに覗いてくださると嬉しいです。
拍手・コメント、ありがとうござました!
粟津原栗子 2017/02/23(Thu)09:25:14 編集
はるこさま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。

物語を書くときは、まず初めに色と感情の方向を想像します。こういう色のものが書きたいな、とか、こういう感情で終わらせたいな、とか。今回は言うまでもなく緑と白の、冬の木立や森の組み合わせを想像しました。そこに、欲深さだとか、純愛だとか、後ろめたさだとか、そういうものをあれこれ詰めていたら思いのほか長くなってしまいました。それでもお付き合いいただきまして、またこうしてコメントもいただきまして、嬉しい限りです。
とりわけ、冬が好きになりそうなほど、というのは嬉しい言葉でした。いつも季節感を想像しながら書きますが、冬に書くものがいちばん、筆がのる気がします。いつかうだる暑さの熱帯夜みたいなものも書いてみたいと思いつつ、冬ばっかり書いてしまいます。
とはいえ、もう日差しはほとんど春ですね。冬が終わろうとしています。また次の季節にご期待ください。

拍手・コメントありがとうございました!
粟津原栗子 2017/02/25(Sat)08:30:58 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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